山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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ある年、信濃大町よりバスで葛温泉を経て七倉の終点で降りた。そして、高瀬川沿いのトロッコの軌道を歩いて湯俣山荘に1日目の夜を過ごした。(その頃、まだ高瀬ダムは無かった)
翌日は伊藤新道を三俣蓮華岳へと向う。高瀬渓谷を右に見て登ってゆくと、川岸の随所にお湯が噴出しており、中にはそのお湯に浸っている人もいる。
やがて、大きな吊り橋で右岸に渡り、川に沿いさらに3つめの吊り橋を渡った。
 単独行のテントで三俣蓮華・雲ノ平・双六岳を経て新穂高温泉に下る行程なので、キスリングザックは大変に重い。食料は出来るだけ軽くすることを考えて、米・フランスパン2本・ジャガイモ・ニンジン各3個・小さなきゃべつ1個・味噌の中に醤油漬けの豚肉・塩干し鱈1本・ふりかけ・チョコレート少々・残雪でかき氷を食べる粉末ジュース等々。(このフランスパンは失敗だった。乾燥してパン粉になる部分が多かった)。重くても外せないのは、エアマット・灯油を入れたラジウス・それにテントのポールとジュラルミンのペグである。これらは往時の装備では普通のものであった。
 渓谷はだんだんと狭くなり、その分、下に見えて深くなってくる。暑い日差しの中、樹木帯を過ぎて日陰は無く、疲れが出てきて呼吸が乱れてきた。確か4番目の吊り橋にかかった。今までの橋ではみなワイヤーロープが両側にあり、板幅も6・70センチはあり、少しも不安を感じることなどなかった。しかし、この橋は長さ20mくらいであるが、下の渓流の水は減ったが激流が流れている。そして、この橋に限って橋の側導ロープが右側だけで、しかもそのロープは1本の直径6・7ミリくらいのお箸の太さ位の針金が、少し伸び加減で付いていた。
 少し荒れたままの呼吸ではあったが、ゆっくりと橋を渡り始めた。中央程まで来たとき、自分の揺れるリズムと橋の揺れのリズムが全く合わなくなってきた。そして、橋の中央に立っていることが出来なくなり、「アッ」と思い、慌ててその右側の針金を両手で掴んだ。ところが、その針金は思いがけず緩く、私の両足は開いて橋の上に残り、両手で大の字型に針金を握ったままで、45度に近いくらいに橋から上体を乗り出してしまったのである。下はと見ると、渓流が泡だって目に入る。体が凍り付いて汗が瞬時に引いた。
そのままの姿勢で5分間以上は居たものと思う。しかし、他の登山者が来る見込みは全く無い。
止む無く、覚悟を決めて、その姿勢から静かに少しづつ橋をゆすり始めた。その振幅が大きくなり、体が橋の上に水平になった瞬間に針金の片手を離した。そして、そのまま橋の揺れが治まるのを待った。そっと、もう一方の手を離して静かにゆっくりと前進して遂に橋を渡り終えた。渡り終えた途端、ザックを背負ったまま、橋のたもとにヘタリ込んだ。そして、10分以上もの時間動くことが出来なかった。
尾根を目指して再度歩き始めたが、しかし、最後の吊り橋に出た。今度ばかりは、渡る前に橋のたもとで数分休んで呼吸と脈拍の治まるのを待ち、慎重に渡っていった。
尾根に出る手前の高山植物のお花畑でクルマユリの大群落を見ていると、10名くらいで女性が数人一緒のグループが降りてきた。そこでその人達に声を掛けた。
「これから降るのでしたら、もし食料に余裕があれば分けて貰えませんか」と言うと、女の人達がザックを開けてお米とバター・チーズそれに菓子まで出してくれるではないか。
これで一躍、食料大尽で気持ちが大きくなり、今日、体験した事件を忘れることができた。
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26歳の時の思い出である。
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# by minoru_mogi | 2005-08-17 23:37 | 随想 | Trackback | Comments(1)
北八ツの天狗岳を過ぎ、根石岳の山荘前のコマクサの広大な群落を楽しみ、諏訪側に降ようとオーレン小屋へのルートに向かった。小屋の前には冷たい水がコンコンと流れ出しており、乾いた喉を潤し冷水で顔を洗い気分爽快となった。
小屋の人達が2人立ち働いており、その一人が双眼鏡で尾根を歩く登山者を観察しながら「今日は割合と登山者が多いな、何人くらいこちらへ降りて来るかな」と泊まり客の予想を同僚と話している。小憩の後歩き出すと、直ぐに小さな沢沿いの道となった。水流は多くなくサラサラという早い流れで気持ちがいい。降るに従って沢の水量は増えてきて音の感じが変わってくる。そして、対岸から小さな滝が合流して、ドドドと一気に音量が変わった。大きな岩の間を流れる水は微妙な音の変化をする。沢はずっと登山道の左に沿って続いてゆく。
途中でクルマユリd0059661_1672795.jpgが登山道の傍で咲いていた。そこで、木陰に入りおにぎりを食べてから、スケッチを始めた。夏沢温泉近くまでこの川音はずーと続いた。
 思い返してみると、オーレン小屋よりイントロが始まり、滝の合流でフォルテとなり、流れの静かなところでは弦のトレモロが聞こえ、水流が早くなるとアンダンテに調子が上がった。最終章は川より道がだんだんと離れることにより、消え入るようなシンフォニーの終章であった。
 このルートは歩く登山者は少なく3時間半の間に3人の若者に遇っただけで過ぎた。
人家の見える所に出ると、三井の森リゾートの立派な本部棟の前に出てしまった。汗臭い山男の姿は相応しくないので、先ずは、沢水で3日振りのひげを剃り、シャツとズボンを着替えて、靴もスリップオンに替え、登山靴は袋に入れて下げて歩き出した。
かなり重い足取りで、別荘から下りてくる車が、もしや乗せてくれないかなと、僅かな期待をしつつ歩くが、何台もの立派な車が通り越して行くばかりである。
一台のステーションワゴンが同じように通り越してゆき50m程先で止まった。そして、そのままバックして来るではないか。「まさか?」とは思ったが、親子2人連れ(一人は小学生)の運転していた人が「乗りませんか」と声を掛けてくれる。 バス停まではまだ1時間は歩かねばならぬ。
「近くのバスの停留所まで送りましょう」と言ってくれる。 そして、「何処に登ってきましたか」と聞くので、「ピラタスから縦走してきました」、というと、車窓からその山並みを見て「ずいぶんと歩きましたね」と言う。
バス停への方向は親子の行く方向には遠回りではあったが快く送ってくれた。
この経験を含めて、何度かのこの様な出会いがあり、私の山での他人への規範が決まった。
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# by minoru_mogi | 2005-08-11 16:09 | 随想 | Trackback | Comments(0)
一昨日は乗鞍岳へと、花の写真を趣味とする友人と一緒にバス旅行へと出掛けた。乗鞍スカイラインを経て畳平へと上がって行ったが、雲も多く白山も笠ヶ岳も見ることが出来なかったのが残念であった。いつも八ヶ岳から乗鞍岳と御嶽の個性的な山容を見ていたので、一度は足を運んでみたいと前より期待していた。
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2700m付近ではコバイケイソウの群落が花盛りであり、密度は低いがコマクサ・イワギヨウ・ヨツバシオガマ・クロユリ。ハクサンイチゲ・チングルマ・それに黄色のキンバイソウが
広がっている。d0059661_20443210.jpg

幾つかの峰の一つ麻利支天(2872)の頂上に、乗鞍コロナ観測所の円形のドームが天を睨んで聳えているのが見えた。先週はスペースシャトルのTV放映に見入っていたこともあり、私の好奇心を引いた。しかし、そこまでは時間の都合で行くことは出来なかった。
 山中で泊まる方の中には星空を眺めていて人工衛星を目撃された方は多数いることだろう。私も何度か宵と夜明けの空に見る機会が有ったが、一番記憶に残っているのは北八ヶ岳の縞枯山荘での事である。
8月末ともなり、山小屋は比較的空いている時であった。名古屋から来たという30歳代の二人の男の人と同室となった。彼らは夕食が済むと、早々に一眼レフ数台と大型の三脚を準備始めた。聞くと、天体映像を撮りに来たのだと話してくれた。多分、星にも詳しく面白そうなので撮影に同行させてもらいたいとお願いすると、ドーゾと受け入れてくれた。
山小屋を出て草原の中ほどにカメラをセッティングすると、彼らはのんびりとウイスキーを飲み始めた。私は少し離れて天空の人工衛星の通過を見ようと天空を仰いでいた。程なく、北西より東南へゆっくりと天空を横切る最初の二等星くらいの明るさの衛星が3分くらいをかけて横切っていつた。水割りのウイスキーを勧められて、それを片手に待っていると、今度は北北西より南南西へと明かりがだんだん暗くなり、また明るくなりを繰り返しながら移動していった。
続いてその夜は3個出現して5個を見たところで、8:30くらいからはパタと止まった。
昨今の天空では、多くのロケットの残骸や衛星が飛行しており、この時間帯には容易に見ることが出来るであろう。山中で天空を見ることをお勧めしたい。
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# by minoru_mogi | 2005-08-07 11:09 | 随想 | Trackback(2) | Comments(0)
朝焼けが山の岸壁に映えるモルゲンロート(Morgen Rot)は日本の山でも一応は見られる。
徳沢から大滝山を経て蝶ヶ岳、常念岳への縦走の第1日目は大滝山荘泊まりとした(このルートは今は使用されていない)。 翌朝の日の出の時間は気温が低く、小屋を出ないで窓から穂高連峰を見ると、今まさにモルゲンロートに染まっている山々を初めて目にして感動した。そして気付いた事は、蝶ヶ岳ヒュッテから見られたら、更にすばらしいものであろうと想像できた。それ以来、永年このチャンスを願ってきたが、いまだに実現に至っていない。
そうこうしている内に仕事も定年となり、時間だけはお大尽となり、チャンス到来とスイスアルプスの高山植物と山を見に家内と二人で出掛けた。
d0059661_22514421.jpgツェルマットから登山電車でゴルナグラート(3135m)へ10時頃に上がった。モンテローザ・ブライトホーン、そして、あのウインパーのマッターホルンが毅然として聳えている。山腹に少し雲がかかっているものの、ほぼ完全な姿が眼前に広がる。
高山植物は素晴らしくゲンチアナのブルーやプリムラのピンク、キンバイソウのイエローと花のじゅうたんである。リュッフェルアルプ、リュッフェルベルクを経て歩き通して、ツェルマット(1500m)のホテルには夕刻の5時半にやっと到着した。
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 翌朝、日の出頃にホテルの窓からマッターホルンを見ると、山頂が赤く染まり始めている。
慌ててカメラを準備して、刻々と変わるモルゲンロートを撮ることに成功した。
この写真は目で感じた色より少し赤が強い感じがするが、フイルムはこのような発色であったことを事前に認識して見て頂きたい。
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# by minoru_mogi | 2005-07-30 22:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)
イワタバコは6~7月に紫色の大変美しい花を咲かせる。 その生育環境は通常は標高500mから1500m位の湿った日当たりの少ない岸壁に着生しており、葉は光沢があり厚く、野生のものは一株に3-4枚しか付いていない。 この葉は名前の由来の様に、大きなものでは15-20cm位の長さになるものもあり、煙草の葉の形と葉脈がでこぼこしている点が良く似ていることからこの名が付いたものであろう。
山の中ではなく、近郊の箱根の登山鉄道の強羅付近の線路沿いの石垣にも有り、驚いたことには今年6月に訪れた鎌倉の長谷寺や建長寺という標高の0メートルにちかい海の見える所にも生息していた。しかし、これらは移植されたものが定着したと考えられる。
我が家で栽培しているが、水盤の上に苔の付いた溶岩の塊を置き、それに付着させている。
ここに掲出した写真は「四国イワタバコ」であり、花の色がピンクでd0059661_21445528.jpg、普通のイワタバコの紫と花の色が異なっている。
 このイワタバコの天婦羅が山小屋の食卓に出たことがあった。昭和30年(1955)に高校の生物部の部員として尾瀬への植物の観察会に参加した時である。
私の記憶が正確ならば、それは桧枝岐小屋の夕食で出された。食感は軟らかで甘くユキノシタの葉の天婦羅に似ていた。登山者の増えた今では、とてもその様なものを天婦羅にするのは無理であろうし、また、このような可憐な花の葉を食べてしまうのは忍びない。
生物環境を守る為にも、これから食卓に乗ることの無いように願うのみである。
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# by minoru_mogi | 2005-07-24 21:46 | 山の花 | Trackback | Comments(0)
今回、ちょっと山の花を離れて、ハスの話を書くことをお許しいただきます。
昭和29年(1954)は、私は群馬県館林町の館林高校2年生で、そして生物部に所属していた。私の生物の教師、高野先生は大賀博士の元で助手を務めていた経歴を有している方であった。
その大賀博士が昭和26年に弥生時代の埋もれた丸木舟と共に出てきた蓮の実3個を発掘して、2000年以上を経てその内の1個が発芽した。当時の新聞で大々的に発表され大きな話題となった。
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昭和29年の7月、その大賀博士が私の高校に来て、その大賀ハス(下d0059661_10122515.jpg)の話を講演してくれた。
そして翌日、館林のツツジが丘公園の横に広がる城沼(ジョウヌマ)を和船2艘を出して、自然に繁茂しているハスを船上から調べて回った。我々生物部の生徒7名くらいは2艘めの船で付いていった。博士は極度の近眼で、分厚いガラスのメガネで花を鼻先に着けんばかりにして観察していた。この沼は今でも周りにハスが沢山栽培されている。
 今ではこの大賀ハスは各地に移植されており、目に触れることも多くなっている。そして、最近は古代ハス(下)の名称で平安時代のハスを栽培している所も各地に出てきた。
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我が家の庭では大きなプラスチツクのタライ状の池で、奈良の唐招提寺の池から移植した
唐招提寺ハスd0059661_22355599.jpgが植えられており、神秘的な美しい花を咲かせている。

まさか、鑑真和上が日本へ渡来の折に、中国本土から持参したとは、何処にも書いてないようである。それでもロマンを秘めた花色である。
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# by minoru_mogi | 2005-07-19 22:45 | 随想 | Trackback | Comments(1)
もう、10年も前になるが、NHKの深田久弥日本百名山の放映は山に興味がある人達にとって大変な人気を得て、それ以降この山々をいくつ登ったかが話題となる風潮が今でも続いている。このシリーズのナレーションを入れたのはNHKのアナウンサーであった相川 浩さんであった。
たまたま学校のOB会のパーティーでご一緒した時、そのことを話題におしゃべりをした。
NHKで全国の有名な山々を紹介する番組が企画された。そこで大いに問題となったのは、どの山を選ぶかであった。どの県も自分のところの山が紹介されないと、NHKに抗議が来るのは目に見えている。そこで、たまたま深田久弥氏が日本百名山という選定をしていることが判った。これならば選定に対して抗議を受ける事は無いだろうとのことで、この路線は決まった。
 このナレーションは現役のアナウンサーを終えていた彼に白羽の矢が立った。でも、その報酬は大変低いものであったと私に言った。しかし、彼は「この仕事は後々まで残る仕事であると判断して、喜んで引き受けましたよ」と語ってくれた。(写真 北岳山頂から間ノ岳方面
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この評判の高さから、続いて花の百名山が放映された。今度は田中澄江さんがその道をつけたのであろう。
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# by minoru_mogi | 2005-07-14 21:50 | 随想 | Trackback | Comments(1)
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中央線沿線の高山植物の豊富な山で、私が訪ねた山々は白馬三山(八方尾根第一ケルンから)よりの白馬岳・北岳・仙丈岳・八ヶ岳等であり、今でも行けなかった事を残念に思っている山は雪倉岳・朝日岳である。(写真は左より白馬鑓が岳・杓子岳・一番奥が白馬岳)
白馬岳へは蓮華温泉から白馬大池よりのコースと猿倉よりの白馬鑓温泉経由のルートで3度登ったが、一般の人が登る大雪渓のコースは、まだ一度も通っていない。
白馬大池周りのハクサンコザクラの群落や、蓮華尾根のクモイナデシコは私が最も感動した花々である。もちろん、三国境から山頂にかけてのウルップソウ・クロユリ・コマクサ・チシマギキョウ・ミヤマオダマキ・タカネマツムシソウ達もその美しさは勝るとも劣らない。
白馬鑓のコースでは大出原のお花畑が圧巻である。クルマユリ・ハクサンフウロウ・ハクサンコザクラ・ミヤマキンポウゲ・が雪田の脇に咲き乱れて足を置く場所すら無いくらいであった。
これより少し下の温泉小屋の手前でシラネアオイに出会う事が出来た。この付近で二度見かけたが株はわずかしか見当たらなかった。

d0059661_217058.jpgこの花の4枚の紫色花弁(正式には萼)は大きく、中心におしべの黄色の固まりが目立ち、葉の色とのコントラストも絶妙である。昨年栂池自然園へと出掛けたが、時間不足で目的地を変更して、八方尾根でこの花に会えたことは本当の幸せであった。
今年の夏に白馬岳への登山を考えておられる方には、私は猿倉から白馬鑓・杓子・白馬・から白馬大池へのルートをお勧めしたい。白馬鑓温泉の露天風呂から見える南の星空はサソリ座を中心に広がり、雪渓からの涼風が頬をなでてくれるであろう。今は花と三山の稜線を見ることで我慢している。
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# by minoru_mogi | 2005-07-12 21:11 | 山の花 | Trackback(1) | Comments(0)
山のご来光は、それぞれに素晴らしさを経験されている方が多いと思います。
北岳からのそれも、鳳凰三山の稜線をを目の前に、遠くには富士山の黒いシルエットが浮かびます。(北岳、肩の小屋より地蔵・観音・薬師のシルエットを望む)
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 北八ヶ岳をピラタスロープウエイの下から、ウエイを利用せずに縞枯山荘から縞枯山を経て、麦草峠から高見石の小屋へ泊まることにしたのは、夏沢峠までの北八ヶ岳縦走の折でした。天候に恵まれ、明日の朝は足元に白駒池が光る壮大なご来光が期待できるとワクワクしながら寝床に就きました。
夜半に目が覚めて時計を見るが、時計の照明が暗くて余り良く見えません。でも、それなりに寝た気がするので夜明けは近いと考え、一人で静かに靴をはき発電式のライトをジイジイと鳴らしながら高見石の大きな岩の上まで登りました。
まだ誰もおらず、天空は漆黒の中に星の天蓋が360度広がります。寒いことを想定してセーターとウインドブレイカーを着ていましたが、それでも寒いくらいでした。
岩の上に寝そべり天空を見ていると星空の中へ吸い込まれてゆくようです。
暫くそのままでると、東の空から少しづつ星の光が弱くなり、漆黒の天空が青みがかつてきます。その変化がゆっくりと進行して星が徐々に消えかけてくると、なんと周りの山の山腹から小鳥の鳴き声が沸きあがってきたのです。その声は周りに溢れて、まるで小鳥のさえずりの合戦です。東の空が赤く燃え出す頃には、意外なことにこの声が静まってしまいました。
いよいよご来光の時間直前となり、20人くらいの人が山頂に集まりました。
東の空から雲海の上に太陽が昇りだし、白駒池が鏡のように光ってみえます。
この1時間はファンタジーに包まれた妖精の支配する時間であり、ご来光の出現は夜明けの劇場のエピローグだったのです。
皆さんにもこの体験をされることをお勧めします。
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# by minoru_mogi | 2005-07-08 20:42 | 随想 | Trackback | Comments(0)
那須岳から三斗小屋へと向かう途中の、山道を外れた那須岳の北東面に這松の茂るテント場に最適な場所を見つけて早速6人用のテントを張った。炊事用の枯れ木を集めに行った所で、真っ黒なコールタール色の直径25センチで高さが15センチもある山のような糞を見つけた。どう見てもチョット前にした糞と思えるものである。何か大型の獣の糞であり、熊しか考えられない。ものの、10分もしない内に「熊だー」との大声が聞こえた。振り向いて斜面の下の方を見ると一人の登山者が登山道を駆け上がってくる。我々の位置からは6・70メートルの距離感である。よく見ると登山者が来た方向の先にツキノワグマが高山植物の実を食べているのが目視できる。こちらは離れていて危険が無いのでのんびりと見ていると、熊はのそのそと藪の中へと消えていった。
山腹の上のほうを見ると湯気が昇っているのが目に入る。その場所まで上って見ると小さな水の流れがあり、そこから湯気が出ている。手を入れてみると、温泉としても十分な温度である。早速6人で周りの石を動かしてその水流を溜める作業を始めた。そこに一人の年配者が登ってきた。そして、「この温泉源は私が見つけたものだ」と言い、近くにその証拠には杭を打ち込み発見日と名前が記されていた。
流れを十分に堰き止め高原の温泉に浸かり「那須熊の湯」d0059661_010877.jpgと命名した。大倉尾根を眺める絶好な場所であり、山なみを見ながら入る湯を大いに楽しんだ。
夕方からは焚き火を夜中まで絶やさない様に、枯れ木を皆で沢山集めることに集中した。やはり、近くに熊がいる以上、近づかれないように夜は11時過ぎまで外で焚き火を明々と燃やし続けた。この時は大人数でありそれ程恐ろしい思いは無かった。
 しかし、一人で遭う熊はやはり恐ろしいものである。二度目の熊との遭遇は焼岳より岐阜県の上宝温泉へ下るときに経験した。
夏の暑い日で、その年は焼岳は火山活動が活発で山頂への道は閉ざされており、焼岳小屋より下って大木の生える笹が茂った山道を会う登山者もなく静かに下りていった。
突然、「ドスン」という音が7mくらい先でして、笹原が二つに割れて「ザザザ」と音を立てて伸びてゆく。しかし、その姿は笹に隠れて見えない。慌てて足元の石の塊を拾い上げて身構えた。体が固まりかけた。
1・2分して周りを見回すと、音のした先には直径7・80センチの大木があり、地表より3mくらいの所に、大きな横に張り出した枝があった。多分、熊は暑いのでその枝の上に腹ばって涼んでいたところ、音も立てない一人の登山者があまりに近づき、慌てて飛び下りたとしか考えられない。そこからの下りは、大声で楽しくもない歌を歌いながら温泉のある山荘へと出た。
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# by minoru_mogi | 2005-07-03 00:16 | 随想 | Trackback(1) | Comments(0)
 毎年6月末にもなると、今年はどこの夏山に登ろうかと計画を頭にめぐらし始める。
山登りに興味を持つことになったのは、高校時代に生物部で昭和30年(1955)に尾瀬の至仏山に登り、姫シャジン雲居ナデシコを見た時の感動から始まる。その頃の尾瀬はまだ今ほど有名ではなく、尾瀬ヶ原の湿原も木道はあまり無く、ブスブスと足が沈み込む歩きにくいものであった。
北アルプスなどで様々な高山植物を見てきたが、この山でしか見られないという花も幾つかある。その中の2つが鳳凰シャジンと高嶺ビランジで、これらは鳳凰三山でしか見ることが出来ないものである。
定年になり、時間的余裕が出来て一人で8月の末にかけて出掛けた。足には自信が無くなっており、初日は夜叉神の小屋へと早々と到着して宿泊を申し込んだ。この頃ともなると登山者も少なくなり、大抵は単独行の登山者が多い。山小屋の管理人の家族が全員来ており、小学生の男の子の2人が食事を出すのを手伝っている。明後日から小学校が始まるので、明日山を下りるのだと話してくれる。
食後、暮れなずむ間の岳の稜線を外で見ていたが、暗くなったので部屋へと引き返した。子供達が布団を敷いてくれている。
暫くすると、子供の一人が「これから花火をやるよー」と部屋に言いに来た。中高年の登山者ばかりであったが7・8人が皆小屋の外の広場へと出てきた。子供達が市販の打ち上げ花火を次々と、しじまの広がる闇の中へ打ち上げる。しかし直ぐに終わり子供と話しながら部屋へと戻った。
 翌日は朝焼けの間の岳を見て、早々にバラバラに出発した。
今回の登山の目的は2種類の花の自然の生育状況を見たくて来たのである。南御室小屋でコンコンと湧き出る冷たい岩清水に喉をうるおし、さらに登ること1時間くらいで、花崗岩ばかりの樹木の無い砂払岳へ出た。d0059661_2251667.jpg
その岩屑の中に初めて見るタカネビランジがあちこちに散見される。傾斜が急で足の置き場が無いような場所ではあったが、スケッチ帳を出してスケッチを始めた。今夜泊まる小屋は近いのでのんびりと山の景色を堪能する。
地蔵岳の小屋は水も無く大変混雑しており、小屋の外でスケッチの色付けに時間を割いた。
翌朝は快晴の中を薬師岳から観音岳へと向かう。d0059661_2264594.jpg d0059661_2251667.jpg
その山道に鳳凰シャジンがあるはずであるが、乱獲された為か周りに注意を集中して見ていても、たったの4株を見つけただけで終わってしまった。その生育場は岩の狭い割れ目から15-20センチくらい茎を下に垂らしてキキョウ科の釣鐘を沢山吊り下げ、その花色は深い紫で大変美しいものであった。
下りは鳳凰の小屋から御座石へ向かったが、静岡から来た登山者と一緒になり、御座石鉱泉に下りて温泉で汗を流し、2人で大瓶のビールを数本飲んだ。彼はそこに泊るとのことで、一人でタクシーで穴山駅へ出て、念願の花たちに会えた満足感を噛み締めながら車窓の鳳凰三山を振返つた。
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# by minoru_mogi | 2005-06-26 22:13 | 山の花 | Trackback | Comments(0)
その頃はまだ南アルプススーパー林道は夜叉神トンネルの工事中で、南アルプスの登山基地の広河原へは、身延駅よりバスで奈良田まで行き、更に早川沿いに歩いて入るよりなく、東京よりは1日掛かりでやっと着ける長いアプローチであった。
北岳からの白峰3山縦走の予定で出掛けたが、出発日の天気予報では太平洋の南の方に小さな台風が発生したと報じていた。身延からのバスはシナノナデシコの咲く早川沿いに早川町、西山温泉を経て2時間近く掛けて奈良田の終点に着いた。今日の泊まりは1軒で温泉のある白根荘に決めてある。
 宿に着いて1時間もしない内に猛烈に強い台風性の雨が急に谷間に降り出した。川原に張られた若者のテントに増水がアッという間に迫り、撤収がやっと間に合う状況である。川幅は一気に広がり、上流から直径50センチ以上の材木すら流れてくる。対岸の山腹からザーと音を立てて落石が続く。大雨の中を登山者が農鳥岳より下ってきた。その中の年配者の一人と同室となった。 夕食の時にラジオを聴くと、小型の台風が太平洋の南から真北に進行して、御前崎付近に上陸の見込みと報じている。夜半は大雨が続き、翌日も朝より風と雨が続く。止む無く一日停滞を決める。
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 同室の年配の登山者と話すと、今回は一人で北岳・間ノ岳(夜叉神峠よりの朝焼けの間ノ岳)・農鳥岳を縦走して奈良田に下りてきたと言う。年齢は70才、広島から来たとのこと。昨年、高校生の孫と一緒に仙丈岳に登り、北岳の姿を見てどうしても登りたいので来たという。その為に広島では1000m位の山に毎月登り足を鍛えてきたとも話してくれた。今年は孫が大学受験で一緒に来ることが出来なかったとの説明であつた。
 3日目の朝は台風一過の晴れとなった。登山は諦めて帰路に着こうとするが、身延よりのバスが途中の道路が谷に崩落してバスは全く動いていないとの説明が、朝の食事の時に宿の主人より伝えられた。止む無く、歩いて下ろうと登山靴を履いていると、宿の主人が同室した年配の客と一緒に行ってくださいと老人を心配して私に声をかけてきた。もちろん異論があるはずもない。
ほんの20分も歩いた所で道路が全面川に落ちてしまい、山側に樹を頼りに登り、その先の道路に出る始末である。そんな事を数回繰り返していると、4・5人のゴム長を履いて道路の状況を調べている作業服の男達のいる場所に出た。すると、その中の180センチもの身長と頑丈そうな40才くらいの男が「お爺さん、今日はバスが来ないから、暫くしたら車でこの男が身延に下りるからそれに乗りな」と言う。すこし待つと、黒塗りのセンチュリーをその大男が長靴で運転して「乗りな」と声を掛ける。もう一人の男が運転席の隣に座った。「この男は建設省の人で、身延まで行くから乗せて貰いな」とも言ってくれる。
途中、早川町に来ると自分の土木建設会社であろうか、会社の前で降りて、「この役人の車がここから出るから乗れ」と指図する。老人と2人で近くのタバコ屋でカートンを買い、手渡そうとすると、その役人に渡して自分は受け取らない。
「困ったときはお互い様だ」と言い、「お爺さん気をつけて行けよ」とも付け加えた。役人の車は間もなく3時頃には身延駅へと着き、礼を言って下りた。
「私はどうしても今日中に広島へ帰らなければならないのです」と言う。「明日は午前中新幹線が工事で不通なので、こんなに早く下りて来られて本当に良かった」と明るい顔をした。
この老人と一緒のお蔭で身延にこれほど早く戻れた事の幸運と、あの大男の荒々しいが優しい言葉、更に老人の山への情熱に感心したものである。
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# by minoru_mogi | 2005-06-21 23:52 | 随想 | Trackback | Comments(0)
久しぶりに百貨店に自分の買い物に電車で出掛けた。昼ごろとて、ゆっくり座って行けると思っていたが、来た電車は満席で立っている人もチラホラ。
仕方なく隅のほうでつり革に手を掛けて、何気なく前に座っている人を見ると女子高校生と目が合った。やや暫くしてその女性が「どうぞ」と席を立って譲ってくれる。
「ありがとう」と言って座ったものの、初めて席を譲られて嬉しいけど尻が落ち着かない。
シルバーシートの前に立った訳でもなく、キャップを被ってスポーティーに装ってはいたが、髪の白さからか、顔の筋肉のたるみ具合からか、それなりに老人と思われたかと推測した。
自分では70才くらいになれば老人と思われても仕方がないだろうと思っていただけに、少し淋しい気もする。
間もなくして、隣の人が降りたので「どうぞ」と言い、彼女がまた隣に座った。一呼吸あって言った。d0059661_9493380.jpg「今日は私にとって記念日になりましたよ、初めて席を譲ってもらった日ですからね」と話すと、「いいえ、お年寄りと思って言った訳ではないのです」と釈明する。
これで私は少し気が楽になった。更に話してみると、父親の仕事でロンドンに居たという。多分、そこで身に着けた習慣で席を譲ったのであろう。
「躾」とは漢字でなく日本で作られた造字であるという。身についた美しさとは良く出来た文字である。躾の語源は「仕付く」である。
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# by minoru_mogi | 2005-06-15 09:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)
5月から6月にかけて、標高500mから1500mくらいの山道を歩いていると、遠目には白い花が咲いているように見えるつる状で5mくらいの木がある。 近づいてみると、それは花が咲いているのではなく、葉が白く変わっているのに気付く。
これは、猫属の心をとろけさせるマタタビである。
この白い斑は葉面の全部に及ぶ時も、葉の一部が白くなる時もある。そして、7月頃から、白い色がピンクに変わってゆく。しかも、秋口になると、今度はピンクの上に緑が乗ってきて、段々と普通の葉と見分けがつかなくなってしまう、なかなかのマジシャンである。
秋の終わり頃、この実を採り、塩付けにしようとして探すが、春のように色が目立たなくなり、知っている筈の場所がなかなか見つからない事がしばしばである。
山歩きの楽しみは山の中の各所に散りばめられている故に、また行きたくなるのであろう。d0059661_21514755.jpg
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# by minoru_mogi | 2005-06-13 21:55 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)
タイトルの「イキイキオンクル」は『活き活きおじさん』の意味である
オンクルはフランス語の「Oncle」であり、かなり昔、フランス映画「Mon Oncle 」 〔ぼくのおじさん〕の、あの漂々とした主人公を憧憬して付けたものである。d0059661_22222841.jpg

仕事を離れて7年、仕事で時間が無かった折に、定年になったら必ず実行しようと考えていた事を毎日追いかけている。この写真のおじさんはシンガポールか香港の商人のイメージがするなーと自分では思っている。そう言えばこの写真はバンコックの中華レストランでで撮られたものである。
第一は登山である。今は年齢のこともあり3000m峰は控えて、1000m台の低山を専らとしている。第二は高山植物の観察と自宅の庭での育成である。第三は海外旅行を含む旅行というところ。第四はスケッチ画を描くことだが、山で描こうとしても疲れて描けない事が度々である。
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第五はパソコンで画像を加工することである。お蔭でパソコンは3年毎の買い替えが必要となる。その他の雑学にも好奇心が動き、言語学や地誌、ギリシャ神話を読んで星野を見ることなどである。
家族は奥さんと娘に、愛犬のアイザー(メス)であり、毎日犬の夕方の散歩1時間半が私の仕事でもある。


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このブログを開設したが、時折タイトルとは離れた話題も入れて、炊き込みご飯のような味の多様なものにしたいと考えている。請うご期待としたい。
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# by minoru_mogi | 2005-06-09 22:05 | オンクル自己紹介 | Trackback | Comments(0)
6月7日、入梅直前のタイミングをみて友人2人と武甲山へと出掛けた。
八王子の我が家は丘陵の中に有る事で、標高118mに位置している。
近くの丘の最高高度は180m位あり、奥多摩・奥武蔵・冬には赤城・男体・筑波も見え、武甲ももちろん見えている。
秩父の周りの丸山・二子山・破風山などから武甲山を何度も見たが、今まで登って見たいと思った事は一度も無かった。その山体は無残に階段状に山頂まで削り取られ、とても痛々しい。しかし、我が家の近くから見る山の遠望ではその形はきりりとしたシルエットで見える。
周りの山々もほぼ全部登り、この山だけ未踏山となってしまつた。そこで、半分は義務的に気も進まない中で出掛けてはみたというところである。
横瀬駅からはタクシーを利用して山頂の武甲山神社登山道の8丁目(600M)まで行き、杉林の中を登りはじめた。32丁目の樹齢800年と推定されている大杉を経て、樹下のフタリシズカとクワガタソウ(写真)、ニリンソウしかない花を見ながら山頂へと向かった。
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山頂は手前の神社の裏を山頂への道を行くとフェンスがあり、直ぐ先3M位からは垂直に山が削られて石灰石の採掘現場となっている。(二子山よりの武甲山
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100m位下では大型のブルトーザーやら、ホイールローダー、ダンプカーが動きまわり、そのずーと先に秩父の市街地が霞む。
山頂は10人近くの人がおり、昼食をとり、のんびりと体を休めていると、神社の改修の仕事をしている人が、12:30に発破があると言う。そしてここまで4輪駆動車で山頂の直ぐそばまで採掘場から上がって来たのだと話す。それでは、その発破の音でも聞いていこうかと、12時半近くまで待つが5分前になっても警告のサイレンも鳴らない。多分、今日は発破は無いのだろうと腰を上げ歩き出すと、その時ズシンというあまり大きくない音の響きが聞こえた。
下りは一気に生川(うぶ川)に降り、3時過ぎの電車で5時半には帰宅できた。
でも、今回はいつもの充実感は得られない登山であつた。
  
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# by minoru_mogi | 2005-06-08 12:14 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
数年前の6月初旬に、友人の誘いで家内と二人でオレゴン州のポートランド市を訪れました。
目的は全米的にも有名な、その市のバラ祭りとバラ園を見るためです。
其の年は6月12日(日)が祭りのハイライトのパレードの日でした。
バラ園は丘陵に有り、広大な敷地に素晴らしいバラ庭園が広がり、日本庭園も併設されており、こちらもかなりの規模で滝までありました。
 当日は市内中心部の繁華街には何万人という市民と旅行者が歩道に集まっています。市民たちは歩道の車道側に椅子を整然と並べてフロートの来るのを待ち受けています。
コーストガードの音楽隊に続いて、市のバラで飾ったフロートには写真にあるバラの女王たち(選ばれた高校生)が乗り,手を振っています。d0059661_1691055.jpg
次には州のフロート、森林警備隊の騎馬隊の行進、地区の大学のチアガールの軽快な踊りの一群、いくつもの高校のブラスバンド、市の姉妹都市、札幌の太鼓のフロート、台湾高雄市の高い竹馬の一団、ヨーロッパはアントワープ市のフロート、メキシコからのソンブレロの一団、その間に市長のオープンカー、ボランティア活動の市の表彰者もオープンカーの上です。保険会社は童話をテーマのフロート、その他にも、延々50台くらいが2時間近く続きます。 もちろん、沿道の観衆は拍手と掛け声でその素晴らしさを賞賛します。
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 その中で私が最も感銘したのは若い女性の20人くらいの一群が犬を連れて行進して来ました。直ぐその後を大きなハーネスを着けた犬の像を載せたフロートが来ました。これは盲導犬育成の団体(会社?)のものです。高校のバンドの中には車椅子にのり、後ろから押してもらいながら皆と一緒にホルンを吹いている若者もいました。
盲導犬Seeing Eye Dog,またはGuide Dog とありました。盲導犬のフロートを見てください。翌日、たまたまノードストローム百貨店で買い物をしていた時、年配の女性が車椅子で犬に引かれ買い物をしています。この犬を何と英語で言いますかと、尋ねるとAssistant dog ですとの返事。そして、見て御覧なさいと言い、車椅子を走らせながら、車のキーを落とすと、その音を聞きつけ犬は直ぐに止まり、それをくわえて拾い、女性に渡します。このことが絶対に必要なことなのですとの言葉は車社会のアメリカでは如何に重要か理解しました。
弱者に対する配慮と平等の社会を見る貴重な機会でした。
日本の盲導犬育成団体アイメイト協会のお手伝いと、介助犬になりそびれた我が家のアイザーがその思いを引き継いでいます。
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# by minoru_mogi | 2005-06-05 16:25 | 随想 | Trackback | Comments(0)
毎年6月の初旬になると、山のシャクナゲとレンゲツツジの花に会いたくなります。
とりわけ、今年はツツジ科の植物の花の当たり年です。でも、残念なことに予定が重なり、十文字峠にアズマシャクナゲを見に行きたいと考えながら、実行に移せません。
d0059661_1120262.jpgシャクナゲに魅せられて各地の山を見て歩きました。天城の万三郎岳では10センチを超える高さ4メートルにもなる巨木にもお目にかかりました。草津白根、瑞牆山、蓼科山、八ヶ岳、蔵王また、奈良の室生寺と各種の花に出合いました。
その花色のやわらかなピンクは咲き始めは濃く、だんだんと色が薄くなります。屋久島シャクナゲは濃い赤から白に変化して行きます。
我が家の庭で栽培しているものは4月の下旬に咲きました。暑い日が有ったので花の見頃が長くは続きませんでした。吾妻シヤクナゲと庭の細葉シャクナゲ・筑紫シャクナゲ・大和シャクナゲの咲き誇る画像を見てください。山では6月10日頃がピークであろうと、これまでの出会いを思い出しています。
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# by minoru_mogi | 2005-06-03 11:27 | 樹木とその花 | Trackback(1) | Comments(0)
やっと仕事の合間に休みが取れて、3月の末に霧が峰の奥の沢沿いのヒュッテジャヴェルに、ラングラウフスキーにと独りで出掛けたのは今から20年も前の事であつたろうか。
雪の多かった年で、まだ70センチ近い積雪があった。
山小屋の宿泊者はヒュッテのご家族のご主人と奥さん、ご子息のほかは学齢前の子供2人連れの夫妻、外国人と一緒の学者風の2人、若いカップル、に私であった。
山小屋らしくない見栄えの良い夕食を、クラシック音楽のバックグランドミュージックで楽しんでいると、若いカップルが「ビールがありませんか」と言う、宿の奥さんが「私どもは山小屋なのでお酒は出していません」との返事をした。実は、その時に外国人との2人がワインを空けていたのである。「お客様がお持ちになったものまで禁止には出来ないので、その場合は認めています」と言う。なかなか見識のある山小屋だなーと私は感心していた。
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食後、独りの私を気遣ってか、ストーブの周りでご主人が話かけてきた。部屋の壁には油彩画が1枚と20枚くらいの水彩の風景画がシンプルな額で飾ってあった。また、壁際には山小屋にはそぐわない立派なレコードプレーヤーボックスがあり、尾崎喜八のレコードケースが飾ってある。
一通り絵を見て、「この中で私が一番惹かれるのは、山ラッキョウの絵ですね」と話しかけると、「私もそう思っています」と言う。それは20センチ×15センチ位の最も小さい絵であつた。
「私は絵描きになりたかったのです」、とご主人。「最近東京の出版社がこの絵のいくつかを貸してもらいたいとの事で、何か雑誌に載るそうです」と言う。
「何と言う雑誌ですか」と尋ねると「たしかルルブとか言ったな」との独り言のような返事。
 山から帰り、暫くして書店で本を見つけると別冊るるぶ愛蔵版信濃路の旅であり
トップのカラーグラビアの4ページが、この高橋達郎氏の絵と文であつた。
ヒュッテジャヴェルのジャヴェルは、後になりフランス人の登山家で山岳文学の著者
エミール・ジャヴェル≪一登山家の思い出≫によるものと知った。
挿入の絵は高橋達郎氏の本に掲載された〔強清水スキー場付近から中央アルプス〕
をスキャナーで取り込んだものである。ヒュッテはインターネットで検索できます。
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# by minoru_mogi | 2005-06-02 21:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)
今は少し無理になりましたが、50才くらいまでは毎年夏山の北・南アルプスを単独行で花を見に登りました。26才の時が私の最も気力体力の溢れていたと今思い起こしています。
その年は一人でウインパー型のテントを2尺8寸のキスリングに入れて6日間の予定で黒部川の源流地点の雲ノ平へ行きました。予定では三俣蓮華から双六岳まで縦走して新穂高へ下る計画です。
今はもう廃道となってしまった様ですが、大町から入り七倉・湯俣を行き、伊藤新道から雲ノ平へ入りました。湯俣の山小屋を7時に出発して三俣蓮華の尾根に出たのは、もう夕陽が薬師岳に落ちて、茜の光芒が残る7時頃でした。 急いで100mくらい降りて残雪を取ってきてラジウスで水を作り、夕食が食べられるようになったのは暗くなってからでした。 しかし、頭上は満天の星空で天の川に支流が有るのまではっきりと見えます。あまりの星の多さに星座が見分けがつきません。やっとさそり座がアンタレスの赤い星で分かりました。
翌日はテントはそのままに鷲羽岳・水晶岳から雲ノ平のギリシャ庭園やアラスカ庭園を回りました。そのルート上で鷲羽の池は山頂から見るとコバルト色と紫色の中間で、まるで宝石のサファイア色が広がっていました。
その岩を手で掴みながら登っている眼前に、このイワキキョウの花が岩の割れ目に咲きほこっていたのです。 d0059661_14273176.jpgあの岩の小さな割れ目には土はほとんどありません。どうしてこんな過酷な環境でこのような美しい花が咲くのか、全く理解を超えたものでした。その時の震えるような感動は今もありありと蘇えります。
白馬岳・千丈岳・北岳・八ヶ岳とその後も何度か会いましたが、あの感動は別物でした。
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# by minoru_mogi | 2005-05-31 14:28 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(0)