ここ4ヶ月、山歩きに出掛ける機会が無く、久しぶりに今まで何度となく登ったことのある大月駅に近い岩殿山に出かけました。登山口まで40分で行き、ゆっくりと急な階段を登りますが息切れで足が進まず、今まで経験のない鈍足です。平日でしたが登山口を11:00から登り始め、年配の登山者が皆私を追い越して行きますが、若い女性の登山者もいました。登山者でなく歴女であったのかもしれません。
地図にある標準所要時間が休みなしで30分とありましたが、その倍の時間が掛かりやっと山頂近くのテーブルの有る所に到着しました。ベンチに腰をかけて周りを見ると、目の前にアブラチャンの黄色の花が春一番先に咲いていました。この山頂でお昼を摂り40分休憩を取りました。
山頂付近より雁ヶ腹摺山方面を望む
この岩殿城は今テレビ放映中の「真田丸」とも関係があります。真田家が仕えていた武田信玄が亡くなり、その子武田勝頼は1582年に信長と家康の連合軍に攻められて、韮崎に有った新府城を放棄して岩殿城を目指します。武田24将の一人であった小山田信茂の岩殿城を目指しますが、信茂は武田を見限り勝頼に謀反を起します。
そして武田一族は追手に追われ甲斐の天目山で自害します。しかし、小山田信茂も家康の命令で切腹処分にされました。
その時、真田は勝頼を群馬の岩櫃城に招いていました。この両城は共に大変急峻な山城で堅固な城で有名でした。今でも岩殿城の山頂には馬場跡や井戸もある広い山頂です。篭城には最適と思えます。
春の山の花アブラチャン
この山頂の城跡を見て下りは猿橋への東側の急な階段の連続する道を降り、途中で大きな岩の洞窟も見てきました。その道の周りにはアブラチャンの黄色の花が今は盛りと咲き誇っていました。
地図にある標準所要時間が休みなしで30分とありましたが、その倍の時間が掛かりやっと山頂近くのテーブルの有る所に到着しました。ベンチに腰をかけて周りを見ると、目の前にアブラチャンの黄色の花が春一番先に咲いていました。この山頂でお昼を摂り40分休憩を取りました。
山頂付近より雁ヶ腹摺山方面を望む
この岩殿城は今テレビ放映中の「真田丸」とも関係があります。真田家が仕えていた武田信玄が亡くなり、その子武田勝頼は1582年に信長と家康の連合軍に攻められて、韮崎に有った新府城を放棄して岩殿城を目指します。武田24将の一人であった小山田信茂の岩殿城を目指しますが、信茂は武田を見限り勝頼に謀反を起します。
そして武田一族は追手に追われ甲斐の天目山で自害します。しかし、小山田信茂も家康の命令で切腹処分にされました。
その時、真田は勝頼を群馬の岩櫃城に招いていました。この両城は共に大変急峻な山城で堅固な城で有名でした。今でも岩殿城の山頂には馬場跡や井戸もある広い山頂です。篭城には最適と思えます。
春の山の花アブラチャン
この山頂の城跡を見て下りは猿橋への東側の急な階段の連続する道を降り、途中で大きな岩の洞窟も見てきました。その道の周りにはアブラチャンの黄色の花が今は盛りと咲き誇っていました。
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by minoru_mogi
| 2016-04-08 10:50
| 歩いた山
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