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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 スカイツリーの直ぐ近くにある「たばこと塩の博物館」に行ってきました。

以前よりその話を聞いており、一度は訪ねてみたい所であったのですが、丁度「江戸の園芸熱、浮世絵に見る庶民の草花愛」という特別展を行っていると言うのがきっかけでした。江戸時代末期に日本に来た西洋人達は、口を揃えて日本人は草花を育てるのが大好きであると言い、世界一好きな国民だと書いています。

それと共に、昨年秋に能登半島を訪ねた折に、海岸での製塩業の「揚浜式」を見たことが、昔、昭和30年代の後半に岡山県の塩田で見た「枝条式」の方法が、いつ頃から瀬戸内海沿岸で始まったのかを知りたかったのです。

 都営地下鉄を本所吾妻橋で降りて、スマホのグウーグルの地図を見ながら10数分歩くと、倉庫群の一角にこの目立たない博物館はありました。日曜日でしたが見学者はあまり多くなく、静かなものです。
先ずは特別展を見ると、色刷りの浮世絵の中に色々の花の絵が見られます。版画なのでその色彩はあまり良いとは言えません。皆鉢植えのものばかりで、梅、椿、菊、撫子、万年青、福寿草、桜草、朝顔、蘭、等々です。これらの花は偏っており、皆鉢植えに向く花ばかりです。しかし、朝顔などは変種の多さは多彩で、現在の花以上の変種が見られます。

江戸時代は長屋が多かったようですが、庶民は6畳間の家の外には沢山の鉢植えを楽しんでいたようです。また、武士や花柳界ではその広がりは大きかった様で、浮世絵には沢山並んでいました。

塩の博物の展示の中では枝条式の製塩方は模型がありましたが、あまり大きくなくて説明文書も好奇心を満たしてくれるものではありませんでした。展示物の多くは外国の岩塩の実物や、岩塩鉱山の写真などが多く、日本の古来の製塩方にはあまり力が入ってはいないので少しガッカリしました。

私の今まで読んだ本では瀬戸内海の沿岸では、入浜式の発達で製塩が拡がり、その乾燥のために山の木が切り倒され、瀬戸内海の沿岸では鷲羽山に見られるように岩が露出してしまい、明治に入って北九州の石炭が使用されるようになるまでは、瀬戸内海沿岸は禿山ばかりであったとの記述を読みました。今はその回復期で有るのかも知れません。緑の沿岸が見られるようになっています。うれしいことです。


by minoru_mogi | 2019-03-11 15:22 | 随想 | Trackback | Comments(0)