山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 以前から一度訪ねて見たいと思っていた日本橋の貨幣博物館へと行ってきました。

地下鉄大手町より歩いて15分くらいで行きましたが、本来は地下鉄銀座線三越前の方が近いのではないかと思われます。

 博物館は日本銀行本館の南側の別館にありました。そこでは、入館の検査が実に厳しく、持ち物検査と金属探知機のゲートをくぐり、持ち物はX線検査機で調べられます。空港の検査と一緒です。しかし入場料は無料でした。丁度良い時間に行ったとみえ、13:30よりの説明員が案内してくれるグループの10人くらいの中で聞きました。

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                    右手が博物館

 先ず、最初の展示物は「和同開珍」の貨幣を見ました。私達は学校で日本で最初の貨幣として教わりましたが、しかし今は「富本銭」が日本最初の最初の貨幣ではないかと考えられており、和銅より古く、奈良から発掘されており、実物は奈良県立万葉記念館に現物が展示されているそうです。

しかし、これは出土数が少なく、本当に貨幣として流通したかは疑問視されているのです。

平安時代になると、中国から多量の銅貨が輸入され国内に流通し、大仏の製造にもこれらを使用されたものでした。戦国時代には武田信玄の甲州金が流通して、西日本では銀が、東日本では金が流通し、この交換をしたのが両替商であり、後にこれらの中から銀行へと進んだ者もありました。

江戸時代には藩札が各藩で発行され、それらには偽藩札が作られるようになったとあります。現在の10,000円札の製造コストは30円位だそうで、思ったより安いのには驚きでした。

貨幣が無かった藤原時代以前は、米と布が通貨の代りをしていたとは、考えても面倒な時代だったようです。現在は仮想通貨の時代に入る直前かもしれません。


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by minoru_mogi | 2018-03-30 15:17 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 3月中旬に、我が家では家内の親戚のいとこ会とやらを千曲市の上山田温泉で行う事となり、少し気が重かったのですが参加しました。私は温泉宿はあまり好みではなく、どの温泉に行っても一度しか湯には入りません。そこで、この折に楽しみとして興味がある上田城蹟と松代城祉を見て来る事にしました。

私は3月初旬に免許証を警察に返上しましたので、家内の運転する車で高速インターを上田で降りて,上田市の中心に近い城跡に向かいました。

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                 上田城二つの櫓と城門


市営の駐車場に車を置き、上田公園の中を行くと、立派な二つの櫓に挟まれた城門が有りました。周りは大きな石を重ねた石垣が目立ちます。

この城門は戦国時代には二度に亘り徳川の大軍を退けた固い守りの門だったのです。しかし、今は昔の物ではなく再建された物であると記してありました。でも、西の櫓は戦国時代そのものが残った物だそうでよく見て来ました。その直ぐ下には大きな井戸があり、それは太郎山の麓に続く抜け穴となっており、篭城の時にはこの抜け道を通り食料が供給されたと書かれてありました。千曲川の崖に面して、西、北、東は堀が部分的に残っています。

この夜は上山田温泉に泊まり、翌日長野市から近い松代町へと向かいました。途中車のナビが不調で地元の車の方に尋ねたところ、松代城まで案内してくれて大変助かりました。

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                   松代城本丸入口


松代城址は千曲川沿いの平地に石垣と濠を備えた平城であったもので、天守閣などはありません。この城は海津城とも呼ばれ、武田・上杉の川中島合戦の主戦場に近いものでした。

そして、後日真田家が関が原合戦後10万石の領主となり封じられました。

城はあまり見るべきものはりませんが、その御殿は今も残り、昔の御殿様式の建物は実に立派であり、その庭園も素晴らしいものでした。真田宝物館と藩校であった文武館を見て回りました。

春の暖かな日に城蹟から白銀の北アルプス・雪の飯縄山・高妻山・戸隠山を望み、遅い信州の春を堪能して来ました。


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by minoru_mogi | 2018-03-16 16:58 | 随想 | Trackback | Comments(0)

私と運転免許証 No693

 先日、在所の警察署に行き免許証の返上をしてきました。ここ数年は自分では運転はせず、専ら家内の運転に任せています。私は子供の頃本家の隣に住んでおり、本家のおばあさんに大変可愛がられた記憶があります。

そして、そのおばあさんが家訓として皆に守らせた事がありました。それは、家族全員が一つの交通機関に乗らないということです。ですから、私の都内での結婚式には、叔父たちが群馬の館林から電車の便を別々にしてきて来てくれたものです。

大学に入り1年生の頃(昭和34年 1959)学内で自動車同好会を設立しようとするグループがあり、参加者を募っていたので、面白そうだと参加してみました。日産自動車に勤めていた先輩が中古の小型トラックを寄贈してくれて、その車の手入れをして車に触っていました。しかし、おばあさんの家訓の事を思い出し1年くらいで止めました。

その後、特に車に乗る必要も無い生活をしており、45歳過ぎまで車を自分で運転するなどとは考えていませんでした。しかし、考えてみると家内が運転している車に乗っていると、危なくて自分がもっと安全な運転をしないといけないと思うと共に、年をとってから車を持たないと不便であるだろうと思うようになり、急いで免許を取ることを考えました。

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自動車練習所に行ったのは48歳になってからです。なかなか上達しなくて40時間近く乗りました。しかもその最中に昭和天皇の崩御があり、1ヶ月以上に亘り練習どころではありません。

練習所に行くと仮免段階でしたが、路肩に乗り上げる始末です。やっと府中で免許証を手にした時は大変嬉しかったものです。

車に乗って富士山麓や八ヶ岳のスカイラインなどをよくはしりました。その後75歳くらいまで乗りましたが、やはり危ない思いをしたこともあり、80歳には完全に止めようと思いました。一度待ち伏せの白バイに呼び止められて注意をされたことが有りましたが、お蔭でゴールドカードのままで綺麗な状態で返却出来ました。やっと安堵できる気持ちになりました。


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by minoru_mogi | 2018-03-03 17:27 | 随想 | Trackback | Comments(0)