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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 東海道線の大磯へと行って来ました。平塚までは駅前商業施設の有る大きな駅でしたが、大磯駅では丘が駅の北側に迫り、駅前にも商店街は殆どありませんでした。町の中心部は駅とは離れているようです。

駅前に降り立つと駅の直ぐ南面の丘にエリザベス・サンダースホームがありました。門より入ると入口より右手にはホームがあり、左手の丘へと上って行くと澤田美喜記念館がありました。かなり急な石段を上がると、そこには教会風の建物が有り、その一階が彼女の「隠れキリシタン」の品々を集めた展示室です。

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彼女は熱心なクリスチャンであり、この隠れクリスチャンのコレクションは若い頃から熱心に集めていったものと言われています。

これらのコレクションは九州の物が多いのですが、意外にも大阪近くの大槻や堺のものがあります。キリシタン禁止令の高札も昔のものがそのまま展示されています。また、実際に使用され銅版の踏絵の展示もありました。

大槻はキリシタン大名であった高山右近の領地でもあり、徳川家康によりマニラに国外追放されました。その様な訳で高槻には今もその隠れキリシタンの遺品が発見されるそうです。そこには韓国からの10人ほどの団体も見学に来ていました。

 この展示館の二階に上がってみると、そこには立派な教会がありました。毎週一度横浜から牧師さんが来るそうです。そこはサンダースホームの人々のための教会なのでした。

ホームは1949年に澤田美喜女史が、主に日本人と米兵との混血の子供達を保護し養育した施設なのです。

このエリザベス・サンダースホームという名称は、この施設を設立する折に、在日英国人の女性から最初に寄付金として170ドルの寄付をしてくれた方の名を冠したものだそうです。そしてその方は東京で亡くなり横浜山手の外人墓地に葬られています。

澤田美喜女史は岩崎財閥の子孫であり、彼女が外交官の澤田氏と結婚しての名前で、澤田氏は国連大使も務めた方でした。そして、このホームでは2000名以上の人が卒業してゆき、現在も日本人の児童擁護施設として澤田女史の理念の基で運営されています。ホームの設立の理念には感銘を受けました。


by minoru_mogi | 2018-01-26 13:46 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)




 1月中旬の暖かな日に、東海道線の大磯へと行ってきました。その目的は昭和の偉大な政治家吉田茂の住んだ邸宅を訪ねてみました。元の邸宅は先年焼失してしまい、平成294月に再建されたものです。

駅を降りて駅前より神奈中バスに乗り10分程で城山公園前(じょうやま)に下車しました。すると、直ぐ近くの信号の所に行くと、50人くらいの中年男女の団体が皆リュックを背負って信号を変るのを待っています。この人達は皆私と同じ吉田邸へ向かっているのだと思い、それについて行くと、そこには隣接地の元三井の別荘地であった県立城山公園であり、その丘の上の景色の素晴らしい所に着きました。この団体の人達は皆そこで昼食の弁当を開き始めました。そこよりは前山を従えた富士山が雪の姿で出迎えてくれました。

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園内は大変広くその中には横穴式の古墳群も有ります。しかし時間が無く郷土資料館までは見ることが出来ませんでした。

 そこで、急いで本来の目的の吉田茂邸へと向かいました。正門を入ると直ぐにバラ園が有りました。それらは冬の枝の剪定を終え、大変よく手入れがされた多くの種類のバラがありました。更に進むと、兜門がありそこよりは広い芝生の庭に連なっています。

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その傾斜のある庭の低い部分には立派な池があり、綺麗な水が広がっています。池の中には石の塔があり、その先には椰子の木が一本茂っています。日本庭園に椰子の木は大変珍しい物です。

行き届いた石畳の道を本館に向かいます。本館に入ると受付がありますが、周りの柱や廊下は皆むくの節目の無い全くあたらしい綺麗な木造の家屋です。先ず、南に面した応接間を見ると、大きな立派なソファーが三つと、ゆったりとした椅子が5客くらいある、飾りの石作りのマントルピースが備えられた広々とした空間です。ドイツのアデナウアー首相や天皇夫妻(現在の)がここに来ています。

二階へ上がると執務室兼書斎と寝室や生活のための空間がゆったりと取ってありました。

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大きな窓からは海側を見ると、黒松の林の向こうに海が光っています。山側に目を向けると箱根の山並みの上に雪の富士山がどっしりと控えています。この様な良い敷地は貿易商をしていた彼の父親が入手していたものだそうです。元首相はこの地で昭和42年89歳で没したのです。

暖かな冬の陽射しの中、立派な庭と素晴らし日本建築を十二分に楽しみました。


by minoru_mogi | 2018-01-18 14:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 今読んでいる本が、人類発生後の260万年前から170万年前の頃の内容が書いてあり、東アフリカ大地溝帯に発生して現人類が20万年前に分かれ、10万年前にアフリカよりユーラシア大陸へと移動し、ネアンデルタール人に途中で分化しています。

 この200万年前より80万年前の間の年代の化石と石器がエチオピアのコンソという地域より出土し、エチオピア政府の協力で東大博物館において、特別展「最古の石器とハンドアックス」が催され、18128日まで展示されています。入場料は無料です。

 大江戸線本郷6丁目で下車して、4番出口より出ると、博物館が直ぐに入れる門がありました。建物が直ぐに分り入館すると、そこには常設展の色々な物が展示されています。

蝶の標本、古代の石器、古代土器、動物の剥製、動物や人体の骨格などです。

入口の近くには大森貝塚を発見したウイリアム・モースの発掘した縄文後期の土器・石器・などもまとめて展示してあります。モースは東大に2年居りましたが、その間に大森のみならず、日本の北海道から九州までの各所の発掘をしていたことが分ります。展示品の中には馬の剥製や象の骨の骨格等の展示もありました。

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「特別展」は一番奥の部屋にありました。この部屋に入ると頭骨のレプリカが中空に下げられており、人類の系統進化が判るようにしてあります。それら頭骨は現代人のそれとは大きく異なり、類人猿に近いと思われる形をしていました。

そして、この人類の使用し始めた石器は大変大きくて重そうな物であり、そこには加工されたことが判るものでした。ハンドアックス、クリーパー、スクレーパーなどの形が判別でき、175万年前の頃の石器がかなり沢山の展示がありました。当日は平日にも拘らず、かなりの見学者がおり、女性の方も居りました。

今読んでいる筑摩新書の「人類5000年史」を視覚的に実証する機会として、実にタイミングの良い展示会でした。


by minoru_mogi | 2018-01-14 13:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)

拝島大師 初詣 No688

 毎年、正月3が日の内に何処か有名な神社・仏閣に初詣に行くことを恒例にしていますが、今度は有名な所には殆ど行ってしまい、暮れより何処にしようかと考えていたところ、理髪店で店主と話をしていたら近くに拝島大師があり、その近くの出身なのだと言います。

早速その大師をパソコンで検索してみると、駅より20分位歩かなければなりません。参拝者のために臨時バスが出ているという記事がありますが、さて時刻表が出て来ません。

 今年の正月は孫達3人が我が家に泊まっているので、家内と娘と孫達3人の6人で朝の9時に家を出て電車で拝島へ向かいました。電車の接続がスムースでお寺に近い駅の昭島駅に着くと、駅前のバスターミナルには初詣の人々のために大師への直通臨時バスが待っていました。車内は思わぬ空いた状態で20名くらいの年配者ばかりでした。

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 寺に着くとかなりの人々が来ていて境内の参道には正月23日のみ開かれるダルマ市がずっと並んでいました。快晴の空の下赤いダルマの山が見事です。

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本堂への参拝を済ませ、子供達はダルマを買いました。一人は金色の小さい物を、もう一人は普通の赤い物を買いました。そして、今度は食べ物屋台でチョコバナナを皆食べていました。

 ダルマ市の思い出は、私が大学生時代、府中の在日第五空軍の大佐の奥さんと、従軍牧師の奥さんと共に大きなアメリカ車に乗って深大寺の3月のダルマ市に二人を案内し、通訳を務めたことを思い出しました。天気の良い暖かな日で二人とも大変喜んでくれて、昼食に六本木の立派な中華料理店に行き、3人でテーブルを囲み私はご馳走になりました。

そしてその時食べた中華料理を今でも鮮明に憶えています。それらは卵スープ、春巻き、あんかけ揚げ餃子、白菜のスープ煮、炒飯などでした。これらの中で食べたことの有った物は炒飯だけです。こんな美味しいものが有るのかと本当に感心しました。

その頃の学生は納豆、鯨のカツ、豚汁ライスなどを食べていたのですから当たり前ですね。

今回は思い出深いダルマ市でした。


by minoru_mogi | 2018-01-05 13:25 | 随想 | Trackback | Comments(0)