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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2016年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 高校時代の友人で高崎に在住している仲間が、5月半ばに大腸癌の手術をして、入院して11日後に自宅へもどり回復へ向け療養中なので、皆で励ます食事会をしようと千葉・埼玉・群馬・東京から5名が集まりました。
彼が車で高崎駅まで出迎えに来てくれており、早速車へ乗り手術の様子を聞くと、腹部に3センチ位の穴を開けて腸を取り出して20センチほど切り取ったそうです。病後でもあり少しやせていると思っていたところ、腸を切った分として2キロ痩せただけで、77キロが75キロになっただけで別に痩せる程ではなかったと言います。
病人と思っていましたが全くそれらしくないのには驚きました。手術後は翌日にはリハビリで歩かされ退院後は翌日からは奥さんと買い物に行ったとそうです。全く元気で皆でよかったなあと話しました。
 食事後、皆で久しぶりに高崎に来たので何か見てゆこうとの話となり、観音様と私が言った先日TVで放送された高崎の古墳が、彼が昔勤めていた会社の工場の傍にありそこへ行くことにしました。
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                    古墳円墳上よりの景色
そこへ行くと土屋文明の記念館があり、その日は休館日でした。その裏に広がる保渡田古墳は広い空き地が広がり周りが空堀となっている長さ120m高さ15mくらいの前方後円墳があります。墳丘の周りには多数の埴輪が囲んでおり、その墳丘は葺き石で覆われています。空堀の中には4個の円墳があり、陪臣の墓と思われる直径10m高さ3mほどのものがあり、やはり埴輪が周りに巡らされています。
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                       人物埴輪・動物埴輪
この前方後円墳は東向きで、その前方部分には人型埴輪や動物埴輪が纏めて祭られています。武装した武人や帽子を付けた貴人や巫女と思える女性や楽師の姿もあります。
動物埴輪では装具を付けた馬が5頭位と裸の馬がおり、その他に鹿や猪、犬、鶏などが多数ありました。
今までに私はこの様な沢山の埴輪の並んだ古墳を見たことはありませんでした。仁徳陵や奈良の多くの古墳を見ていますが、宮内庁の所管する古墳は良く管理されており、外周しか見られません、埼玉県の行田市の古墳群は立派なもので、将軍塚古墳は同じ様に埴輪が古墳の周囲に置かれています。古墳時代の3世紀から5世紀くらいの物ですが、今回の古墳は1500年くらい前の物です。その保存状態も良い物でした。
今回は本来の目的ではなかったのですが、大変良いものを見る機会に恵まれました。
by minoru_mogi | 2016-06-24 13:54 | 随想 | Trackback | Comments(0)

高尾北麓の藪こぎ No622

 過日、高尾城山を歩いた折に高尾山の全ルートを記した地図を貰ってきました。

それを見ていると、私が今まで歩いたことがない沢沿いの道があります。そこでこの道は歩くと約1時間とあったので、歩くには少し短いなと思いますが、今後脚力がなくなってのんびり歩く80代くらいになり利用するルートになると思い、一度歩いてみようと半日位の予定で、高尾より小仏行きのバスに乗って日影で下車しました。

沢沿いを上流へと向かうと、カジカカエルの涼しそうな声が沢山聞こえてきました。これは良い時期に来たと期待が膨らみます。

日影沢の橋を渡り、すぐ木製の遊歩道があります。その道に入るとすぐ木の道は無くなり、湿気の多い水がしみ出ている山道になりました。更に少し進むと道の中央に小石が50センチほどに丸く20センチほどの高さで積み上げられてあり、その上に棒が立っており、

「これを越えないで下さい」との表示が出てきました。しかし、この道は特に紐を張って通行禁止とも出ていません。

あの表示は何だったのかなと思いながら更に進みます。この道は歩く人が少ないと見えて、雑草が深くなり膝以上もあり、道が見えにくくなってきました。しかし、よく見ると道の目印である赤いテープが木に付けられているのが見え、そちらが道であることが直ぐ分りました。そして周りの木には1m位の位置に白いペイントが塗られており、それもこちらが道であることを示しています。藪も深くなってきました。

その印のある木は10m間隔くらいであるのですが、歩いてきた道は歩いた跡は殆どなく、山の斜面の滑り易い山道であり、アオキが沢山茂り歩きにくい道です。

ここでこの道は廃道になったものかと思いましたが、ここで引き返すのも面白くないととの想いがしてきました。それは、沢に沿って2030m上を横に進んでいるのですが、そこからは近くの民家や沢の向こうの車の音も聞こえて来るのです。

ですが、いよいよ道が分らなくなり、木についている白いペイントも見つからなくなってしまいました。さて困ったと思いましたが、山の斜面を滑り落ちたりして、木の枝を掴みながら下の沢までやっと出ました。

沢水も多くなく、上手く川石が繋がるところを見つければ渡れそうです。河原を歩いて行くと丁度石が繋がる位置を見つけました。そこで川を渡り、前の竹やぶを登り上に出るとそこは畑になっていました。畑を抜けると小仏へのバスの路線に出ました。時刻を見ると丁度お昼です。案内では1時間とありました1時間半かかっていました。今回は廃道を行く破目になったのでした。道の真ん中にあった表示は廃道を示していたのです。

今までも何度も山道で道が消えた所を歩いて大変なことが56回もあります。好奇心が勝り引き返すのが出来ないでいるのです。人のいない山道が大好きなのです。

翌日、家内が洗濯してくれたズボンを見ると2cmほどのかぎ穴が尻のところに開いており、昨日の山歩きの折に木の枝開けたのが分りました。子供の頃によくこれと同じ穴を良く開けた腕白時代を思い出しました。


by minoru_mogi | 2016-06-18 19:31 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

長野市より戸隠神社 No621

 長野市内でワイズメンズクラブの東日本区大会があり、北陸新幹線のかがやきで出掛けました。東京駅で乗車すると、次の停車は大宮だけで1時間と少しで長野駅に着き、早いのには驚きでした。
6月4日・5日の昼までに大会は終わり、午後からは長野周辺の観光地を巡るバスが運行され、その中の戸隠神社へのバスに乗りました。長野より北へのルートをとり、山間地に入って行きます。長野カントリークラブの青々とした芝生が見えてくる所ではもう標高は1000mを超えて涼風が吹いてきます。飯綱高原を過ぎて戸隠へ入ると落葉松と白樺の林が目立つようになりました。
少し遅めの昼食を途中の田中屋食堂で摂りましたが、もちろんおそばでした。その店の窓からは戸隠山のゴツゴツとした岩の山稜がよく見えます。若いときならば登りたい衝動を覚える姿です。
d0059661_13195555.jpg戸隠神社奥社の駐車場にバスが着き、そこから歩いて約30分の奥社へと向かいました。参道はゆっくりと上り坂で、参加者は年齢が差があり、バラバラになりました。参道の中程の随心門を入ると実に立派な杉並木の中を行く道となりました。この大杉は200~300年は経ているでしょう。
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比較的早い順で私は奥社を参拝することが出来ました。奥社はもっと立派な物と考えていましたので少し期待はずれでした。バス駐車場まで同じ道を戻りますが道の脇には水芭蕉の大きな葉が茂り5月中ならば白い花がきれいであったと思われました。神域も広く新緑の杉並木の参道は実に立派なもので山の姿と相まって神秘性十分でした。
今までに行ってみたかった場所でもあり、いいチャンスに恵まれました。
by minoru_mogi | 2016-06-10 13:21 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 五月の末に私の卒業した館林中学の同窓会を横浜のレストランで実施しました。
私は戦時中,小学校1年生の時に、群馬県の館林町に疎開しましたが、その後ずっと同町で過ごし、中学校は町に1校しかなかった中学校であり、3年生の時は9クラスで59名のクラスでした。疎開という言葉は今の人には解らないでしょう。戦争で空襲があり、都市はその被害を免れるために多くの家屋の住民が逃げ出して、地方の田舎へと移住したのです。空襲も解らないかも知れませんね。
この3年1組の同窓会が年に2回あり、1回は館林で1回は東京近郊で行われます。
今回は横浜市の港の大桟橋近くのレストランで、北欧レストランの「スカンディア」で行われました。館林近在の人々にとっては横浜は少し遠いので何人参加か少し心配でしたが、15名の方々が参加し、内訳は女性11名男性4名でした。
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 レストランでは二階の予約席で昼のコース料理を予約し、飲み物は各自の好きな物を注文して貰うことにしました。やはり多かったのはグラスワイン、ビール、ジュース、ジンジャーエール、ウーロン茶とそれぞれの好みでした。
冷たいクリームスープより始まり、肉料理はステーキは年配者には噛み切れないことを心配してビーフストロガノフとし、魚のコースは本日のお勧めの魚としました。グリーンサラダも出て、最後にデザートのジェーラードが出て、最後に美味しいコーヒーが供されました。
席は11:30に付き、皆で楽しい会話と食事を13:15まで楽しみました。また、その折に店のオーナーの70歳くらいの女性がわざわざ挨拶に見えて、我々の使用に対してお礼を述べられたのには驚きました。さすがに立派なレストランであると実感しました。
このお店の店内は壁に北欧の木彫りの宗教画に囲まれており、照明はほの暗く、席は60ほどありますが、昼の時間であったために他に10名位の客数でした。
食後は山下公園の中を歩き、係留されている氷川丸内を見学して、船を出て近くにある丁度季節の合ったバラのガーデンを楽しみ、そこでの解散として多くの方は中華街へと足を伸ばしていました。私が計画をしたプランで皆さんとの素敵な一日になりました。
by minoru_mogi | 2016-06-03 14:24 | 随想 | Trackback | Comments(0)