山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2016年 04月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 京成電車に乗り、ガラ空きの車中で千葉市への絵画展に向かう折に、思いがけぬ光景を目にしました。電車に駅から母親の若い主婦と2歳と思える子供が乗車してきました。二人ともなかなかしゃれたファッションに身を包んでいます。席に着くと直ぐに母親はアイマックのスマホをバッグより取り出して画面を見つめ始めました。すると、連れの2歳とおぼしき女の子が、やはり自分のバックを開いて小型のスマホと思える物を取り出しいじりだしました。
私は多分子供のマックはリンゴのマークはあるものの、おもちゃであり、何か楽しい画像などが入っているものであろうと推察して、その親子を見ていました。その子は真剣にマックの画面を手で動かし、お母さんに見せています。そしてその音声も聞こえてきます。どうやらこの二人のスマホは本当にマッキントッシュの物に間違いなさそうなのです。こんな2歳位の子供が自由にスマホを操るとは一寸考えられませんでした。

 私もスマホを3年以上も使用していますが、いまだに自由に使いこなせません。途中で
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機種を変えたこともあり、また新しく勉強です。今回のそれは音声入力に優れた点が気に入っています。私のスマホの最大の利用は、グーグルの地図であり、知らない土地に行った時に地図が大いに役に立ちます。また私は通話はほとんどしません。一人で大声でスマホと話をしながら歩いている人を見るのが大嫌いなのです。
 この光景をみて私は時代に少し追いついていないのではと思いました。スマホ導入と同時に私はウインドウサーフェスのタブレットも購入したのです。しかし、そのタブレットは十分には利用できずに中大の3年生の男子学生にあげてしまったのです。
どうも時代に少し後れてきたように思えてなりません。時代は進む速度が上がっているよに思えるここ数年です。
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by minoru_mogi | 2016-04-29 09:55 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 私が大学3年で英語研究会の会長の時に、北海道の札幌から来たI 君が入部して来ました。大変英語力があり発音も良く、1年生の時からキャストとして英語劇に出演して、港区の500席ほどの日消ホールで公演をしました。確かその折には親族の方が観劇に来てくれていました。
 先日、大学の卒業生の会誌を見ていると、彼の写真と記事がありました。彼とはその折に交わした約束があるのです。彼の札幌の実家は食料品の大きな問屋であり、アイスクリームなどはどんぶりで食べるといいます。そして、私が札幌に来たらそれを食べさせてあげますよ約束しました。私は卒業したら出来るだけ早く札幌へ行くから、その折には必ずこの約束を実行することを決めました。
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昭和36年(1961)のことですから下宿生の私はアイスクリームなどほとんど食べる機会が無かったのです。
昭和37年に卒業して数年後の夏に札幌に行く機会がきました。地元の札幌に帰り実家の家業を手伝っていた彼に連絡して、二人で市内で会うことにしました。そこで会った時に彼は丁度札幌冬のオリンピックの前年であり、札幌のJC(青年商工会議所)の方々に英会話を教えているとの事で、なかなかたいした物であることを褒めました。
しかし、何時になっても昔の私との約束のどんぶりに盛られたアイスクリームを食べさせてくれる話しが出てきません。私はまだ彼との学生時代の約束を覚えているのですが、彼はもう全く忘れてしまった様子でした。私もその事を言い出すのが気が引けて自分からは言い出すのを止めました。
 ところが今回の会誌には彼が全道に7校もの高校を経営しているというのです。しかもそれらの高校では不登校の子供や、中退、成績不振の学生を救うための学校も開校しているのです。学生時代と比べてこれほど成長した友人を見るのは本当に誇らしい気持ちになりました。
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by minoru_mogi | 2016-04-22 09:38 | 随想 | Trackback | Comments(0)

佐賀 吉野ヶ里遺跡 No613

 長年訪ねて見たかった第一番の吉野ヶ里へとうとう行ってきました。
今回の旅行では長崎を見てから佐賀へと向かい、駅前のホテルに宿泊して、4月7日(木)に早くに電車に乗り吉野ヶ里駅に向かいました。
ところが、当日は雨が強く加えて暖かな南風で大荒れです。佐賀駅から各駅停車で15分くらいで吉野ヶ里駅に着きました。そこより遺跡に向かう北口に降り立ったのは私と家内だけです。あまり雨が強いので折りたたみ傘では濡れてしまい、大きなビニール傘を用意しました。駅よりは歩いて15分くらいとありますが、もちろんこの場合はタクシーを使用せざるを得ません。タクシーは駅に2台だけ停車しておりました。駅の北口の周りは麦畑が多く、青々ともう50センチにも育っており、穂が出ている畑もありました。
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 遺跡の入口には立派な建物があり、多くの観光客が来ても十分なように、そのバスの駐車場は100台は優に停められる広さでした。昨年は来場者が74万人であり、今まで最高の入園者数であったと丁度テレビで報じていました。当日はこの雨と風では来場者は非常に少なく、これでは1日でも100人台ではなかろうかと思われました。
 この弥生時代の遺跡は国営吉野ヶ里歴史公園となっておりました。先ずは受付を済ませてガイダンスルームで案内の映像を見てから出発です。この公園はあまりに広いので園内バスが20分おきに巡回しており、直ぐにその巡回バスに乗りました。
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                  平和そうに見えた吉野ヶ里の村
バスを降りて最初に向かったのは北墳丘墓です。この丘の上からは佐賀平野から北の背振山地が近くに見え、見晴らしの良い場所でした。
そこには想像していたよりはるかに大きい甕棺が多数出土しており、それらは代々の王の墓と考えられてます。その出土した場所を建物で覆い更にその建物の上には土に覆われています。その墳丘墓を見て、私はそれが古墳時代に円墳や前方後円墳にと変化してゆく方向を示唆しているように感じました。
次に北内郭とある所に行くと、この里の祭り事が行われた場所で、巨大な祭殿や他の9棟の建物が、環濠に囲まれてありました。南内郭では物見やぐらが4棟もあり、王の家や煮炊きの棟など20棟もあります。一般の村の人達は環濠の外にも竪穴住宅に住んでおり、人口は700名いたと推定されています。
2時間ほども園内を歩いて回りましたが、倉と市のブロックは回りきれませんでした。これらを全部見るのには3時間以上掛かるそうです。しかし、この村の住民達はやはり他の部落の人達との争いがあったことは確実で、平和な時代が続いていなかったと考えられます。ロマンがある里ですが、現実は違っているようです。
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by minoru_mogi | 2016-04-14 11:42 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 ここ4ヶ月、山歩きに出掛ける機会が無く、久しぶりに今まで何度となく登ったことのある大月駅に近い岩殿山に出かけました。登山口まで40分で行き、ゆっくりと急な階段を登りますが息切れで足が進まず、今まで経験のない鈍足です。平日でしたが登山口を11:00から登り始め、年配の登山者が皆私を追い越して行きますが、若い女性の登山者もいました。登山者でなく歴女であったのかもしれません。
地図にある標準所要時間が休みなしで30分とありましたが、その倍の時間が掛かりやっと山頂近くのテーブルの有る所に到着しました。ベンチに腰をかけて周りを見ると、目の前にアブラチャンの黄色の花が春一番先に咲いていました。この山頂でお昼を摂り40分休憩を取りました。
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                  山頂付近より雁ヶ腹摺山方面を望む
 この岩殿城は今テレビ放映中の「真田丸」とも関係があります。真田家が仕えていた武田信玄が亡くなり、その子武田勝頼は1582年に信長と家康の連合軍に攻められて、韮崎に有った新府城を放棄して岩殿城を目指します。武田24将の一人であった小山田信茂の岩殿城を目指しますが、信茂は武田を見限り勝頼に謀反を起します。
そして武田一族は追手に追われ甲斐の天目山で自害します。しかし、小山田信茂も家康の命令で切腹処分にされました。
その時、真田は勝頼を群馬の岩櫃城に招いていました。この両城は共に大変急峻な山城で堅固な城で有名でした。今でも岩殿城の山頂には馬場跡や井戸もある広い山頂です。篭城には最適と思えます。
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                    春の山の花アブラチャン
 この山頂の城跡を見て下りは猿橋への東側の急な階段の連続する道を降り、途中で大きな岩の洞窟も見てきました。その道の周りにはアブラチャンの黄色の花が今は盛りと咲き誇っていました。
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by minoru_mogi | 2016-04-08 10:50 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 昨秋に高尾に青少年施設のある「わくわくビレッジ」の花壇を、我々のワイズメンズクラブが作ることになり、9月22日に菜の花の種まきと、日本水仙の球根、西洋水仙を植え付け、後日ジャーマンアイリスも更に植え付けました。
 ところが、菜の花の芽は出たものの花壇の日照が全く悪く12月になっても丈は10センチ位しか伸びていません。同じ時期に我が家の庭に播いた種から生育したものは、もう花が咲くほどの25センチにもなっています。
この日照の様子では冬の生育は悪く、これでは花は期待できないと思い、いっそう引き抜いてしまおうかと思いましたが、それも可愛そうかと思い、そのままにして置くことにしました。化成肥料も散布したところ、雑草ばかりが伸びてきて、12月中に3人で雑草取りをやりました。
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                  かろうじて咲いた菜の花と西洋水仙
3月になりその花壇を見に行ったところ、意外にも25センチくらいに伸びており、花が沢山咲いて明るい黄色の畑が出来ています。我が家のそれは1月半ばには丈が50センチにもなり満開を過ぎて、すでに花も終わりかけています。おそらくは3月になり太陽の位置も上がって日照も伸びて、冬の間は日が当らなかった場所が、かなり良好な日照に戻っていたのです。
 花壇の一部に何も植えてない場所が残っていたので、そこに矢車草の苗を植えつけ、5月にはブルーの花が咲くはずです。また、同じ時期にジャーマンアイリスの花も咲き出すでしょう。
菜の花は4月末まで咲き、5月には種が実ってきます。しかし、それは収穫せずに4月中に全部引き抜いてしまい、今度はダリアの花壇にしようと計画しています。
その中心には丈が4メートルにもなる皇帝ダリアを、隣人の家からもらいうけて、その根塊を植え付けます。また、同時に150センチにもなる大輪のダリアや100センチくらいのポンポンダリアを50個ほど近くのホームセンターのガーデニング用品で買い込み、4月中旬の植え込みを予定しています。
この夏には、ワイズガーデンにはダリアの見事な庭園が出来ることを夢見ております。
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by minoru_mogi | 2016-04-01 14:53 | 随想 | Trackback | Comments(0)