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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2016年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 先日、私の家内の兄がいとこ会やらを主催して、長野県の上山田温泉で1泊の集いを催し、私も一緒に参加してきました。全部で12名の方々が集まり、その会に参加した人々は60~70台ばかりでした。地域的には長野市から上田市の近郊の人々、東京からは5人の参加です。
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            真田氏居館跡の自然公園 アルプスが望めました

その翌日、今のテレビ番組「真田丸」の本拠地である上田市の北方6キロくらいの真田町を訪ねましたが、そこは標高700mちかい高原の盆地で、周りはリンゴ園やぶどうの樹が広がっていました。ここが真田氏の発祥の地であり、立派な真田歴史館がありました。広いバスの駐車場がある平屋建ての館内は、真田代々の鎧が幾つもあり、刀や駕籠なども展示されています。見ものは大阪夏の陣の大屏風が飾られており、その傍には真田氏に宛てた豊臣秀吉の巻物の書状もありました。
真田は真田幸隆が武田信玄に仕えて、その後昌幸が家督を継ぎ、武田家滅亡の後は1年の間に織田、北条、徳川と情勢に応じて主君を変えるなど外交戦略により領土を拡大し、上田城を築くなど、戦国大名としての地位を築きました。
徳川家康とも戦い、関が原の戦いでは、昌幸と次男の幸村が豊臣方に、信之は徳川方に別れて戦いました。真田家は信之により家名を存続して、松城へ移封となり、明治まで10代に渡って真田10万石として栄えました。
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                   長谷寺(ちょうこくじ)と藁作りの馬
真田一族の墓所長谷寺(ちょうこくじ)は館より2キロくらいの山の近くにあり、先日の雪が沢山残っており、寺よりは墓は回り道をして行かねばならぬ程でした。真田氏居館跡は現在自然公園となっていますが、武田信玄の居館跡のつつじヶ丘館と同じ様に保存されていました。
まだ観光バスが1台来ていただけですが、これから観光客が大勢来るようになるでしょう。
by minoru_mogi | 2016-03-25 09:55 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 2005年の5月より書き始めたエクスブログの発表数が、10年と少しで600話まで到りました。初めはこれらを本にしようとA4版の横で印刷しと250話まで印刷用の版を作っていました。しかし600話ではこれを印刷するとそのページ数が多くなり、とても自分で作成することは困難になりました。そこで考えたのがDVDに作るということです。
以前200話までの話をCDにして同窓生や友人に配った記憶があります。その頃に比べるとDVDの価格が格段に安くなっており、またCDでは容量が足りないためでもあるのです。最近ですとDVDの2倍速ではDVDの価格は10枚組で800円位で買えるのです。そしてカラーラベルを貼るのですが、そのラベルは20枚で600円です。合計では1枚あたり110円になります。そのラベルには南アルプスの間ノ岳を北岳の頂上から撮った山の画像を使いました。これらをこの記事の中に載っている方々と仲の良い友人たちに配ることにしました。彼らは高校の仲間や山仲間、知人等と幅広い私の人脈です。
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 このブログの内容ですが、最初の頃は60年代で若かったのでブログのタイトル通り「山と高山植物」が中心であり国内のアルプスやそこでの高山植物、また、海外の山へも行き、マッターホルンやそこでのエーデルワイスなどでした。しかし、だんだんと低山歩きが中心となり、昨今はそれも少なくなってきています。そして博物館めぐりや展示会などの報告が多くなりました。
今まで良くここまで継続してきたものです。そんな中で好ましい記事が思いつかない時は今まで行った事が無い博物館、展示館などに敢えて出向くことがここ数年多くなりました。そろそろ隔週くらいに記事で悩まないように変えようかと考えてもいます。
でも、毎週記事を見つけて書く事こそが、私の脳を刺激して認知症の予防になっているのかもしれません。やはりなかなか止められません。次は800記事を目指しましょう。
by minoru_mogi | 2016-03-18 10:16 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 日野市の高幡不動駅の割合と近くに土方歳三の生家が有ることは以前より良く知っていましたが、今まで訪問したことはありませんでした。今回は家内が運転する車で送ってくれることになり、都合よくそこに行ってきました。モノレールの万福寺駅の近くの今は住宅地の中にその場所はありました。また、その資料館は月に二度しかオープンしないので、時間も12時から16時と限られています。
館の前に着くと沢山の人達が来ており、何やら団体の一群が30名ほどおります。正門から敷地に入ると玄関前に歳三の上半身の胸像があります。それは写真の様な端正な顔立ちの姿をしています。これが歴女の心を捉えているのでしょう。
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 その資料館は土方家の一部の一部屋に作られており、20坪くらいの展示場になっています。そこには彼が新撰組に入るまでの生活が判る品々もありました。彼の家は大きな農家であり、それと共に生薬の製薬卸もしており、彼はその薬を各地に卸に行っておりました。彼が背にして運んだ竹製に紙を張った入れ籠もありました。その製薬に使った薬研も展示してありました。また、剣術の稽古で使った木刀も当時の物がケースの中に展示されています。その実物大の木刀は大変重いものでした。
 40人近い人が部屋に入ったのであまりゆとりが無く、それを土方家6代目とかの若い女性が説明してくれました。また、彼が使用した会津藩の松平容保より拝領し使用した刀もケースに展示されておりました。
新撰組は京都を逃れ、甲州、上野、川越と官軍から追われ、近藤勇は流山で捕まりますが、彼は仙台から榎本武楊の船で函館に行き、その地で鉄砲に撃たれて落命しました。
やはり負け戦の側であったのでその遺品は少なく、少し寂しい感がしたのはやむ終えないことと思われました。
by minoru_mogi | 2016-03-11 09:15 | 随想 | Trackback | Comments(0)

東芝未来科学館 No607

 暖かな4月初旬頃との気候に、一寸と足を伸ばして川崎駅前にある東芝未来科学館を見学してきました。JRの川崎駅で降りると、駅のコンコースは多くの人々が急ぎ足で歩いています。川崎は工場地帯との認識でしたが、今は文化都市としての顔が目立ちます。駅前に出るとラゾーナ川崎プラザの大型商業施設と隣接して東芝ビルがあり、その2階にこの広い科学館がありました。
自動扉を入ってゆくとホテルのフロントのような案内カウンターがあり、インターネットで調べたところでは、入場無料と書いてありましたが、有料の施設で有ったのかと思いましたが、聞くと無料で安心しました。
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館に入ると先ず最初に東芝の創業者の田中久重のからくり久重と呼ばれた数々の発明品が展示してあります。その部屋ではそのからくりを実際に説明員の女性がガラス扉を開けて動かしてくれました。その隣の部屋には次の社長、藤岡市助の東芝の発展の基を築いた歴史的な製品の展示がありました。
その初期には電球事業であり、扇風機、ラジオ、洗濯機、白黒テレビ、電気コタツ、炊飯器、カラーテレビ、ワープロ、電算機、パソコンなどです。この中で攪拌式洗濯機は我が家にも有ったもので懐かしく、机の大きさの最初のワープロは後の物に比べて大きく、興味を引きました。
広い展示場の中にはエネルギー、未来の交通、省エネ、ヘルスケア、情報、サイエンスなどのコーナーが有り、見るだけではなく自分で動かして楽しめるものが沢山ありました。
別の意味で世間の注目を集めていますが、やはり立派な伝統が流れているものと感心しました。
by minoru_mogi | 2016-03-04 20:13 | 随想 | Trackback | Comments(0)