山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29

<   2016年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 我が家の庭では山野草を沢山の種類作っていますが、今までに何度も作ってみたものの失敗ばかりの花に節分草がありました。その節分草が今年成功してやっと咲きました。
それまでは山野草展で苗を買い育ててみましたが、毎回失敗の連続でした。同じ節分草でも外国の黄色い種類は上手く咲いて、何年か咲き続けました。原因は日光の良く当る日なたで育成したことでした。
 昨年3月の初旬に五日市の深沢に行き、そこでこの珍しい節分草の大きな群落を見てきましたが、その折にその好ましい環境が良く分かりました。そこは楓の樹の下で、日照が少ない暗いほどの場所でした。この草は石灰石のある地域にあり、その場所は秩父の奥地なのです。
その五日市の群生地で株を分けてもらい、我が家の同じ様な環境の所へ鉢に植えて埋めたところ、植えつけて1ヶ月と一寸で株は枯れてしまい失敗したものと考えていました。
d0059661_952138.jpg

ところが、2月8日にふとその鉢を見ると、2本の花が付いた芽が3センチほどに伸びてきています。その花芽は急に伸びて2月13日には5センチほどの高さで白い花に空色の雄しべで少し寂しいくらいの感じの花が咲きだしました。
また、良く見ると花の周りには人参のようなキンポウゲ科特有の切れ込みの多い葉がたくさん出てきました。その周りには昨年の花の種が落ちて、丸い双葉の芽が沢山見えてきました。この花は種からでは3~4年咲くまでに掛かります。カタクリの種から8年程ではありませんが忍耐力が必要です。やはり自然の野草は作るのが難しいものです。
庭では福寿草がはぼ同時に咲きだした黄金色の花々が15位咲いており、庭が明るくなってきました。
[PR]
by minoru_mogi | 2016-02-26 09:53 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(1)
 1月末に江東区の夢の島で第五福竜丸を見に行った折に、近くの熱帯植物園も同時に見てきました。この施設は夢の島のごみ焼却場の熱を有効利用して熱帯植物を育てているものです。公園の奥に歩いて行くとあたりが黄色一色の菜の花畑が目に入ってきました。その畑に近づくと甘い匂いが辺り一面満ちており、春の息吹でいっぱいでした。その辺りからはガラスの背の高い温室が幾つも見えてきます。
d0059661_9504518.jpg

 着いたのが丁度お昼頃であったので、入口に近いカフェテリアで美味しいランチとアイスクリームを楽しみました。温室内に入ると30度に近い温度で、セーターになっても暑いので困りました。そこには先ずシダ類と芭蕉類の林があり、樹下にはオオタニワタリなどの大きな葉の植物があり、少し行くと小さな池があり周りには水辺の草が茂っています。しかし、花は少なく熱帯睡蓮は咲いていませんでした。近くに小笠原の植物があり、ムニンノボタンが2花咲いていました。
d0059661_9514959.jpg

さらに奥に進むと各種のランが見られるところがあり、立派なカトレアが沢山花をつけており、他にもよく見る黄色の花や、シロ、ピンク、赤、紫と名を知らないものが沢山あります。みなそれぞれに立派な花々でした。しかし、私が今までに見たランの花では、シンガポール植物園のものが最高であり、ラン園の広さも各種のランの集積にしてもそれの100分の1位でした。次に良かったのはスリランカのコロンボ植物園のラン展示でした。英国の昔の植民地には皆立派な植物園があります。英国ロンドンのキュー植物園を見たいものと思っていましたが、今からでは一寸無理であり残念です。
大きなブーゲンビリアが美しく咲いていましたが、色の美しいそれはガクであり、花は小さな白いものであることは、このブログの中の説明にあります。最後のところは少しアップダウンのある場所で椰子の樹の種類が沢山ありましたが、さほど興味を引くこともありませんでした。
館内を一周して外へ出ると、急に寒さを感じました。今回一番気に入ったのは館外の菜の花畑でした。
[PR]
by minoru_mogi | 2016-02-19 09:52 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 2月の風が無い暖かな日に家内と共に八王子城跡を見に行きました。大分以前にも2・3度行ったことがありましたが、余り整備されておらず城址もあまり明白ではありませんでした。今度行ってみると、先ず入口近くにガイダンス館があり、そこで方丈氏照のことが良く分かります。
d0059661_10492319.jpg

                    ガイダンス館
八王子城主氏照は北条氏康の小田原城に応援の軍と共に行っており、その城主の居ないところを秀吉軍の前田利家と上杉勝家の連合軍に攻められて、一日で落城してしまいました。
そして、小田原城は秀吉軍に明け渡され、氏照は兄の氏政らと共に秀吉から切腹を命じられました。
 城内を上がってゆくと大きな曳橋が御主殿に続きますが、丁度3月までは修理中で閉鎖されていました。御主殿は往時の間取りが分る礎石が配されており、日本庭園もあり、塀に囲まれていた様子です。この部分が一番広い空き地であり、その前に続く平地が居住区であったといわれています。
d0059661_10565855.jpg

                       御主殿の門
また、お城はまだ未完成の状態であり、それまでの居城であった八王子の滝山城を1587年に拠点を移した矢先の1590年6月30日に落城したのでした。
北条氏照及び家臣の墓が城の入口近くにありますが、氏照の100回忌に建てられたもので、氏照は小田原城下で切腹し、現在は小田原駅近くに墓が残っているようです。
有名人の墓は幾つもあるのが多く、近藤勇などは3箇所もあり、すなわち板橋、三鷹、岐阜と三箇所も有りますが、三鷹のそれは首の無い体躯だけが近藤勇の親近者が板橋の刑場から体の特徴から探して運んだものといわれています。
この城も戦国時代の悲しみの城だったのです。
[PR]
by minoru_mogi | 2016-02-12 10:51 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 テレビを見ていると第五福竜丸が東京都で保存展示されていることを知り、一度見てみようと江東夢の島公園に行ってきました。京葉線で新木場駅に下り立ち、そこより大変広い公園内を歩いて10分程で海辺の夢の島マリーナの傍に地味な色合いの建物の中に、陸揚げされた船が展示されていました。
d0059661_975539.jpg

入場は無料であり、多分訪れる人は少ないと思いましたが、当日は11時頃でしたが中高年の男女のグループや一人で来ている人達で10人位が展示物を見ています。そこで受付をしている女性に聞いて見たところ、今日は1400人ほど今の時間までに来ましたとの答えに大変びっくりしました。見学者の多くは小・中学校の生徒で社会学習のために来たのです。しかし彼らは全くこの事実は知らない筈です。
昭和29年(1954)の出来事であり、インターネットで当時のことを当時のことを調べて見ますと、被爆した第五福竜丸は政府が買い上げその後2年間残留放射能検査をして、東京水産大学の練習船に改装され10年間活用されました。
その船は意外に大きく140トンもあり、長さは28.5メートルもあります。しかもそれは木造船であり、昭和22年(1947)に和歌山で建造された時には、GHQの命令で100トン以上の船は作れなかったのですが、書類では100トンと申請し、偽って申告し作られたのでした。昭和42年(1967)年に廃船となりスクラップ業者を経て、江東区民が30万円で入手して、後に東京都が所有することになりました。
d0059661_992229.jpg

建物の中に据え置かれた船は、舵まで総てが木造なので驚きました。そのエンジンは後に他の船に利用されましたが、座礁して海中に没した物を引き上げて、同じ場所の戸外にやはり展示されています。
ユーカリの林の中にあるこの展示船は、まだ多くの人達が見学に来て語り継がれているのは、やはり原爆・水爆に対する人々の関心が続いているのが原因と思われます。
[PR]
by minoru_mogi | 2016-02-05 09:11 | 随想 | Trackback | Comments(0)