山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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駿府城 No588

 10月に静岡市へ行った折に駿府城の址をゆっくりとみてきました。徳川家康の没後400年の年であり、市ではそのタイトルの下に各関係場所で特別な催しをしておりました。
家康が隠居後に移り住んだ駿府城は駅より歩いて10分くらいと町の中心地であり、現在もその城郭は昔のままの広さで保存されています。昔は有った天守閣は今は存在していませんが、城蹟内にその場所が明確に地面に表示されていました。城の濠は三重であり、外堀の石垣も立派なもので、現在は城の中には高層の県庁の建物がそびえています。しかし2箇所の櫓には実にその現在の光景にマッチしており、大手門の木造の橋が再現されていました。
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                     後ろが県庁の高層建物
城内は現在は公園となっており、その中心地に近いところに、家康手植えのみかんの樹が大きく枝を広げており、それは鉄の囲いがしてありました。これは和歌山の紀州藩からの鉢植えのみかんが贈られ、それを家康が城内に植えたものだそうです。家康は身長155cmで体重は60kgだったと記されてありました。
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 翌日、久能山東照宮を見て来ました。駅よりは路線バスで50分の日本平のケーブル駅まで行き、そこからロープウエイで少し降ります。その山が久能山であり、その山中に小型の日光があります。私はそれが日光の二分の一位のスケールと期待していましたが、実際には五分の一位のスケールであり、宝物館は内容が充実していましたが、他はそれ程立派には思えませんでした。
ここ東照宮にも中国からの観光客が来ていたのには驚きました。静岡市は大変綺麗な道路も広く魅力的な街でした。
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by minoru_mogi | 2015-10-23 20:45 | 随想 | Trackback | Comments(0)
この秋よりビレッジの花壇作りに我々のクラブが協力することになりました。それは同所館長のYMCAからの出向職員佐藤さんよりの話があり、試験的に1年間クラブでそれにチャレンジをしてみようとのことで、その後のことは1年の経過をみて考えることになりました。
最初の作業は9月22日に花壇作りからです。その場所は館内のロビーから見えるとても良い場所なのですが、今は雑草ぼうぼうの土地で、以前には花壇らしきものが有ったと思える所です。しかし今はドクダミがびっしりと生えており、掘り起こすとその白い地下茎がびっしりとあります。
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その作業は男性7人と女性4人の11名で、中央大学の学生さんが3人応援に来てくれて男性二人は鍬を持って中心的に掘り起こしてくれました。11時から作業を開始して、昼は館内の食堂で摂り、1時より作業を再開して2時頃にやっと8坪くらいの整地が終わりました。そして、そこに日本水仙と西洋水仙各120個の球根を女性陣が中心になり植え付けました。また、その中心部の3坪位には、春3月の半ばに咲きだす菜の花の種を播きました。
3時半に作業を終了して解散となり、残った男性4人は同館二階にある風呂に1番で入り、すっきりして出てから食堂に向かいました。そこで中ジョッキのビールを1杯飲んだその旨かったこと。! 仕事の後のビールは最高でした。
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                      芽の出た菜の花
 その後10月5日にその播いた種の生育状態を見に出掛けました。見ると芽は大変良く出揃っています。しかし、その芽はもやしの様に長く伸びすぎており、場所の日照不足が明確に見て取れます。この場所は南側の体育館の高い建物が有るので、日照はあまり良くないと判っていましたが、午前11時くらいまでは陽が射すものと考えていましたが、更に前にある桂の樹の葉も陰を作っている様子です。
この環境を見ると春に菜の花の黄色い花の広がる景色を見るのは難しと思われます。さりとて他の花の種を播き、この環境で咲く花は頭に浮かびません。水仙の球根は10月末には葉が出て、早ければ12月末には咲きだすでしょう。10月末には更にジャーマンアイリスの根塊を植えつける予定をしている最中です。  
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by minoru_mogi | 2015-10-16 11:33 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 以前、経済紙のコラムにこの登呂遺跡の見学のお勧め記事をみて、是非近い内に行こうと思い立ちました。
10月6日の天気の安定した日に、静岡駅に10時過ぎに降り立ちました。駅の案内所で土呂へのバス便を聞いて、15分くらいで到着しました。そこにはかなり広い空き地と田んぼが広がっており、その中に竪穴住居が4棟と、高床倉庫2棟、祭殿1棟がいにしえの姿そのままに建っていました。弥生時代後期の遺跡です。
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小学生低学年の子供達が100人くらい昆虫採集に来ており、少し騒がしかったのですが、皆1箇所に集まって帰り支度をはじめました。広場の中央では火起しの実演をやっています。その田んぼの畔を歩いて行くと丁度稲が黄色に実っており、古代米の黒米もありました。稲は少し倒れている物もありますが、刈り取りはまだ済んでおりません。
 説明文を見ると「二度目の大きな洪水で集落が埋没する直前の姿であり、10棟程度有ったと推定される住居の4棟と、高床倉庫2棟、祭殿1棟が復元されています。更に西側に10棟程有ったと推定されています」とありました。
ここは大水害の被害で一度に埋もれてしまい、住人達は安全に逃げられたか否かは全く解りません。しかし災害の跡であるのは確かです。
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この遺跡は昭和18年に発見され、昭和22年から25年にかけて本格的な発掘調査が行われ、昭和27年国の特別史跡に指定され、平成11年から15年まで再発掘調査が行われた。
5年前に静岡市が立派な土呂博物館を建設し、この地より出土した品々を展示・実演しています。出土品の多くは生活用具と農具であり、木の鍬、田下駄、はしご、丸木舟、櫂、石斧、鉄斧、杭、矢板、臼、鹿角釣針、石錘、四手網、など海が近いので漁撈も盛んだった様子です。他には狩の弓、矢じり、鹿、猪の骨などです。
そこで気付いたのはその遺跡には壕などは無く、戦いに使用された武器などは無いのです。同じ弥生時代前期の佐賀の吉野ヶ里遺跡では壕で囲まれた集落であり、戦いが有ったのは明白です。
この土呂では稲作中心の平和な生活が築かれていたものと推定できます。しかし、水害の災害で埋もれてしまったので現代人が往時の生活を垣間見ることが出来るのです。
歴史の皮肉と言わざるを得ません。
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by minoru_mogi | 2015-10-09 12:06 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 9月末に長野県上田市で結婚式があり、ご当地の生島足島神社で式を執り行いました。その翌日から家内の実家のリンゴ畑で農作業のお手伝いをしてきました。
 今回の作業はリンゴの玉回しと葉摘みであり、私は初めての経験で単純な作業と思っていました。朝8時半からリンゴの木に脚立をかけての作業です。作業人員は男女各3人で合計6名、皆親戚の定年退職者で70歳以上80歳未満の人達です。
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木の高さは最高4メートルあり、リンゴの実は上まで成っており、その一つ一つの実の蔭を作る葉を取り除いて日当たりの悪いところに日が当るように、リンゴの玉を少し回しておくのです。その加減が難しく、回しすぎて実が落ちてしまったものもかなりありました。回転角度は10~15度位まででした。
高い脚立に乗るのは慣れた農家の人に上がってもらい、私は5段くらいの低い脚立に乗り、2~3メートルくらいの下からは手の届かないところの実の作業を主にやりました。
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                  玉回しと葉摘みしたリンゴ
葉を取り除くのは2-3枚と思っていましたが、実際には10枚近くを取り除かねばならないものもありなかなか大変です。そしてその作業には鋏を使用し葉柄を切りますが、時には手が滑って実を刺してしまうことがあり、そうするとその実は商品にはならず、傷口からだんだん腐ってしまいます。慎重にやりますが失敗例も沢山ありました。
この作業を8時半からやり、10時にはお茶の休憩が15分で、それから12時まで続けます。
昼食をとり少し休んでまた1時過ぎから5時までやりますが、3時の休憩は多めに休みました。7時間くらいの労働でしたが、脚立の上での仕事は大変で夕刻には腰が痛くてたまりませんでした。そして早めに風呂に入り痛みを拡散させました。
 私は翌々日に東京で友人と会う約束をしてあったので、2日目の昼前に作業を切り上げて、13時台の新幹線で家には夕刻までに戻りました。しかし、家内は1週間もこの作業を続けたのです。
農業は本当に忍耐力が要る仕事だとつくづく思いました。
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by minoru_mogi | 2015-10-02 16:56 | 随想 | Trackback | Comments(0)