山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2015年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 宇宙飛行士の油井さんがロシアのロケットで宇宙ステーションに到着した翌日の7月24日(金)とあって、今回のキャンパス公開は大変な人気です。淵野辺駅の連絡バスの駐車場に10時に着いた頃には、300名くらいの人達がバス待ちで並んでいます。
マイクロバスの25人乗りが6台でピストン運行していますが、なかなか順番が来ないで25分ほども炎天下で待ちました。並んでいる人達を見ると、小学生の子供を連れた親子連れと中学生の友人同士、中高年のおじさんの一団という方々が多いようです。
会場へは10分も掛からず会場へと着くと、そこには松林に囲まれた立派な研究施設があり、続々と人々が門を入って行きます。
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 本館の建物に入る前の右手には、2台の本物のロケットが展示してあります。これらは直径1mと1.5mくらい長さ30mの初期のMVロケットのようでした。今ではそれらはイプシロンロケットに引き継がれています。
各建物の中には、月面のピンポイント着陸を目指す「小型月着陸実証機」や太陽の光の力で推進する宇宙帆船の先駆者「イカロス」、深宇宙探査技術実証機「DESTINY],超小型探査機「PROCYON],又、中庭の芝生の上では月面移動車3台が動いています。
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その周りには屋台の店が沢山あり、三陸町のホタテを焼いて売っており、良い匂いが漂ってきます。私も食べたいと思いましたが時間が足りないので諦めました。他の展示会場も巡りましたが、どこも混んでいました。
空が曇ってきてだんだん雷雲のようなモクモクとした雲が出てきたので早めにバスに乗りましたが、今度はかなり空いており半分くらいは席がまだ空いていました。
電車に乗り八王子みなみ野で降り、レストランで食事をしてバス乗ると雷の音が聞こえて来ました。家に戻ると丁度一度に雨が強く降ってきました。ラッキーな時間に帰れて幸いでした。
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by minoru_mogi | 2015-07-31 10:16 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 横浜桜木町駅近くにあるランドマークタワーの直ぐ傍に三菱重工の高層ビルがあります。そのビルの1,2階に「三菱みなとみらい技術館」という展示場があり、有り難いことに入場料500円が65歳以上は無料となっています。
7月18日(土)にまだ台風の影響で、重い曇り空のやや涼しい日にそこへ出掛けてみました。この展示場はビルの1階の正面に入口がありました。受付では年齢を示す運転免許証を提示しますと快く入館させてくれました。 その展示場は幾つものカテゴリーに分かれており、航空宇宙・海洋・環境エネルギー・交通輸送・くらし発見・技術探検と6つの区分けです。
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先ずロケットの展示場ではH2Aの5mくらいの模型が2機目に入り、直ぐ横にその実物のブースターが2基展示されています。その噴射口の直径は2m程もあります。これらの実物は実験用に作られたものだそうです。
次の海洋では国家事業として推進されている深海探査の潜水艇がこれまで開発された各機種があり、深海調査船「ちきゅう」の模型とそれに依り採取されたマンガン塊などが目を引きました。海洋エネルギーでは大型の海中設置型の風力発電機などがあります。
交通輸送では飛行機の日本で作られた航空機の模型や船の模型が沢山ありました。しかし船の模型ならば同じ市内の日本郵船の博物館の方がはるかに大きな船の模型が沢山展示されています。また、航空部門では今秋に飛行予定の日本で2機目の旅客機のMRAジェット旅客機のコックピットの中で飛行シュミレーションが出来る機体頭部があり、子供達が順番待ちをしていました。その他には発電機のシリンダーとその羽の実物がてんじされています。
 見学者は土曜日であったせいか小・中学生の親子連れが多く見かけられ、年配者は少ない様子で施設は割合と空いていました。私は特にH2Aのブースターに興味があり、それに多くの時間を割いて見て来ました。
この施設は大変立派なもので、またその立地も駅にも近く、おおいに皆さんに見てもらいたいものと感じました。
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by minoru_mogi | 2015-07-23 09:31 | 随想 | Trackback | Comments(0)

神田藪蕎麦 No574

 以前から一度は話の種に訪ねてみたいと思っていた店に、丁度機会を得て行ってきました。昨年10月に新しく再建された店で、明治以来100年を超える歴史のある店です。
 お茶の水駅で電車を降りて、日立本社ビルを下りて行きましたが、なかなか分りづらく3人もの人に聞いて、やっとたどり着きました。その店は生垣に二面を囲まれた角の店であり、店の前には庭木の植え込みがあり、立派な日本家屋です。平日であり、少しは空いていると思いましたが、店先には7,8名が席の空くのを待っているお客さんがおりました。5分くらい待ってやっと店内に入りますと、座敷席が3分の1位あり、椅子席を含めて60人くらいは入る店内は満席です。
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 注文は蕎麦好きの常道である「盛り」を頼もうと思いましたが、お品書きにはその文字はありませんでした。替りに「せいろ」の文字があります。これの大盛をと聞きますと大盛はなくて、このせいろを2枚注文してくださいと言います。670円のせいろ2枚では1340円と少し高いと思い、1枚の注文としました。
少し待たされましたが、出てきたせいろを見ると、緑がかった細い蕎麦でおいしそうですが、せいろの上に上品に薄く盛られていますが、5口くらいで食べてしまうくらいの量しかありません。なるほど隣の若い女性が2枚盛りを食べている理由が分りました。
そして、そのつゆが大変濃くしょっぱいものでした。この味は江戸時代からのこの店の特徴であるのらしいのです。
私の八王子の郊外に古民家を利用した「車屋」という有名なお蕎麦屋さんがあります。そのお蕎麦は細くて白いもので、大変おいしいのですが、せいろの盛が1080円です。しかし藪蕎麦の1.5倍くらいの量があります。好きな人はやはり2枚食べています。
 おいしかったのですが、腹は全く膨らみませんでした。そんな訳で空腹気味で電車に乗り帰ってきたのですが、何か満たされないので家の近くの駅で降りて、駅構内にあるそば店に立ち寄り、掻き揚げ天そばを又食べる破目になってしまいました。
話の種としては十分でまた足を運ぶ機会は少なそうです。
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by minoru_mogi | 2015-07-17 09:45 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 友人からの誘いで、地下鉄江戸橋駅より8分とあるこの博物館へ出掛けてみました。地下鉄より地上に出て方向感覚が分らず、丁度そこに出てきた中年のサラリーマンに道を尋ねると、そこより一部だけ見える高い半円形のビルを指して、あそこですと言います。
たまたま、その方と一緒の方向で途中まで同行しましたが、この前の川は何と言う川ですかと聞くと、神田川ですと教えてくれました。近くにある鰻屋は有名ですと言います。この川で鰻が沢山捕れたといっていました。川沿いを歩いてそのビルの前に来ると、実に立派な15階位の半円形のビルでした。
そこで友人に会い博物館を一緒に見て歩きました。入場料は3百円ですが、今回の特別展は8百円でした。博物館は地下1階にありました。天井の非常に高くて広い展示場です。
 入って先ず目に入ってきたのはフランスのラスコー洞窟の動物の石に描かれた動物の壁画(BC15000年頃)です。次にはエジプトのヒエログラフの大きな石の展示品(BC4500年頃)、その次は中国の甲骨文字(BC4500年頃)のレプリカがありました。今度は有名なロゼッタストーン(BC300年頃)の3種の文字で書かれた石と思えるレプリカが壁の中央に展示されていました。また、メソポタミアの楔形文字青銅書版(BC1400年頃)も有ります。これらは皆文字の歴史を展示しているのです。その中には古代中国に竹簡(BC100年頃)もありました。
これらの展示物に圧倒される感じであり、これぞ博物館という素晴らしさですが、その割合にこの場所が知られていないことに残念に思いました。
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 次に本日の主目的の特別室と入って行くと、それは「ヴァチカン教皇庁図書館」の展示物です。そこには先ず羊皮紙に印刷聖書がありました。本と言う概念を超えて大きなもので、70cm×60cm、厚さ15cmというもので、その本の止め具は鉄か青銅金具です。
その中の画は手書きの着色のものでした。
これらの出品物はヴァチカンより貸し出されたもので貴重品ばかりです。周りには男の方の警備員が多人数見張っていました。これらはグーテンベルクの印刷機が発明されてから印刷されたもので、1455年頃の物でした。その中ではイタリア語のものが多く見られました。また、ユークリッドの幾何学の本も出品されていたのですが、これは展示会途中で返却されており、その題のある場所には展示されておりませんでした。
このグーテンベルクの印刷機は天正少年使節団の4人の帰国と共に日本に持ち帰られ、キリスト教布教の印刷物の出版に利用されました。しかし、日本では木版が印刷の主流で幕末まで続きました。
 この展示場には浮世絵の印刷の版木で摺る工程が展示されており、外国人で浮世絵に興味を持っている人をこの展示館に案内したら喜ばれると思いました。
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by minoru_mogi | 2015-07-09 20:11 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 1年程前に、新渡戸稲造の英文で書かれ、矢内原忠雄氏訳文の「武士道」を読みましたが、全く難解で半分も良く理解出来なかったのです。明治33年(1900年)にアメリカで出版されたこの本は、時の大統領ルーズベルトが1904年に読み、感銘をして30部を購入して、子供や同僚に配っており、また、彼は日露戦争の仲介役としてポーツマスでの講和に日本のために尽力してくれたのです。
この新渡戸稲造の話がワイズメン仲間の東京むかでクラブの森本晴生氏の「新渡戸稲造と台湾」とのタイトルで、例会卓話で取り上げられました。同氏は現在中野区にある幼稚園から、小、中、高、短大まである新渡戸学園園長として教育界で活躍されています。
氏の祖父は札幌農学校で、稲造と同期生でありこれらの学校を興した人でもあるのです。
 札幌農学校は明治8年(1875)に開設され、稲造は明治9年(1877)に二期生として入学しています。それは旧東京大学より1年早い設立なのです。入学生は120名で、官費生60名と私費生60名でありましたが、卒業までには約半数になってしまうほど学業には厳しかったのです。
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                    旧5000円札の新渡戸稲造
彼は農学校を明治15年(1882)卒業後、東大に入学しましたが、中途退学してアメリカのジョン・ホプキンズ大学に明治17年(1884)入学、さらにドイツのボン大学で農政学を学びました。
明治34年(1901)に同じ岩手県出身の台湾総督後藤新平に頼まれて台湾で殖産局長として3年間務め、台湾の農業振興のために砂糖の原料の蔗糖の増産に務めハワイから優良品種を移入して台湾に広め、大いに生産性を高めて農民の生活の向上に成功しました。
明治39(1906)年には第1高等学校校長に就き、明治42(1907)年拓殖大学第二学監(学長)、大正7年(1918)東京女子大学初代学長、大正8年(1919)国際連盟事務次長、そして1926年に退任して東京文化短大初代学長となり、それが新渡戸学園と成っているのです。
彼が国連事務次長の折に設立した「知的協力委員会」が後のユネスコ設立の基になりました。色々と読み調べてみて、彼がいかに国際人であり、教育に力を尽くしたかが良く判りました。1933年カナダで死去しました。77歳でした。
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by minoru_mogi | 2015-07-04 22:12 | 随想 | Trackback | Comments(0)