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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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南国の果物 No571

 今回、ヴェトナムへ行った折にも、色々な果実を見て食べる機会がありました。以前のスリランカ、タイ、シンガポールにても沢山の種類を見て来ました。その中に実に奇妙な実が木に成っており、面白いので足を止めて眺め入ることが多くありました。ヴェトナムでは泊まった総てのホテルに無料のランブータンが10個ほど置かれており、同じ様なライチーが用意されている所もあったのです。
 果物としてはココ椰子、ジャックフルーツ、パイナップル、マンゴー、マンゴスチン、ザボン、緑バナナ、ドラゴンフルーツ、ウオーターメロン、ドリアン、ランブータン、ライチーなどです。ホテルの朝食のブッフェに出ていたジュースはマンゴー、オレンジ、リンゴ、ウオーターメロンであり、食べた事が無いのはマンゴスチンとドリアン、ざぼんでした。出ていた緑色のバナナも甘味が強い美味しいものでした。
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                  ジャックフルーツの木と果実
 今度の旅では出てこなかったのですが、2月のスリランカに行った折にジャックフルーツを食べる機会がありました。この実は大変大きくしかも木の幹から成っている様は、5メートルくらいの木でも、地上1.5mくらいの所にも直径20cmの楕円形の黒ずんだ緑の実が着いています。味は薄甘いパイナップルというところで、ジューシーではありません。
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                     美しい豆科の花「火炎樹」
ベトナムでは丁度乾季であり、街路樹を見るとマメ科の黄色の花が多く、10mくらいの背の高い木の上には、頂上に朱色の花を見事に咲かせているものが目立ちました。
お城の堀には蓮の花が咲いていましたが、その葉が日焼けして汚く、日本の夏の蓮の葉のような美しいものではありませんでした。
 花の多様さはタイが勝ります。訪れた時期が2月でしたが、たまたま市内の花の市場を訪れてみたのですが、以外にもコスモスがありました。北部の高原地帯であるチェンマイなどで作られているそうです。
各地を巡ると色いろな花や果実が見られて面白い経験が出来るのが楽しみの一つです。
by minoru_mogi | 2015-06-28 12:56 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 4泊5日のヴェトナム航空の格安の旅行があったので、家内と一緒に楽しんできました。
行きの飛行機の中で、3人掛けの隣に座った人がヴェトナム航空に勤務する28歳くらいの日本人男性で、その方よりヴェトナムの知識を教えてもらいました。総人口は9170万(13年)であり、その平均年齢は22歳だそうです。日本の人口を超えるのも近いうちだろうと言います。
町中がオートバイが群れを成している姿は、皆さんもテレビで見たことがあると思います。乗用車はまだ非常に少ないのです。オートバイは二人乗り、子供を含む3人乗り、子供2人が乗る4人乗り、までは当たり前に見かけますが、驚いたことに5人乗りまで見てしまいました。また、その運転は大変危険で、道を渡っていても止まらずに警笛を鳴らして突っ込んできます。そして何時も警笛を鳴らして騒々しい限りです。自転車はオートバイの20分の1というところです。ところで、日本のオートバイでは警笛は付いているのでしょうか。警笛を聞いたことがありません。路線バスが発達しておらず、大都市以外はバス停がありません。
              フエのインペリアルホテルとオートバイ群
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 中部ヴェトナムの第3の都市、人口80万のダナンに着陸して、近くの最後の王朝のフエ市とホンアイの3市を廻りました。また、ヴェトナムの鉄道は単線であり、北のハノイから南のサイゴンまで30時間も掛かるのだそうです。最近、ヴェトナムの首相が来日して新幹線の話しが進んでいる様子ですが、私が思うには20年から30年後の話と思えます。
兎も角、今のように交通マナーがでたらめな状態では、次に車が増えたらどうなるか心配です。車検の時の話では、車検の折にタイヤが磨り減っていると、友人のタイヤを借りて車検を通して、それを返して磨り減ったタイヤでを使用して、事故が多いのだそうで年間死者は1万人を超えているとのことでした。
田舎の片側1車線の道では、道路の中央線は無く、対向車が無いと真ん中を当たり前に通行しています。そして警笛をすぐ鳴らします。国道1号線は現在片側2車線に拡幅中であり、乾季の今は埃まみれで道の端にはゴミだらけでした。1号線のダナンとフエの間の6キロのトンネルは日本のODAで熊谷組が立派なものを作り、人々に感謝されています。
一口に言って、交通の民度はかなり低いと言わざるを得ません。一昨年同じ社会主義国のスリランカを旅しましたが、そちらの方が民度が高いと思えます。
しかし、その旅行の中でフエで泊まった5つ星のインペリアルホテルは設備とサービスが最高のもので、楽しい旅を印象づけてくれました。
by minoru_mogi | 2015-06-23 16:48 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 その日は友人に会うために、昼近くに新宿駅の構内をあるいていました。
山手線の階段の近くを歩いていおり、ふと見ると中年の女性が階段の半ばで腹ばいになり足を伸ばして立ち上がろうともがいている姿が目に入りました。周囲にはサラリーマンと思える男性が三人ほど立ち止まり、只その姿を傍観者として見ています。私はとっさに持っていた長傘と手提げ鞄をその場に投げ出して、その女性のいる階段の中央部に駆け寄りました。
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そしてその女性の腹部を両手で力強く持ち上げ、彼女を階段脇の手摺につかまらせました。
女性は60~70歳くらいで、太っておりその体重は70キロ位でした。手摺に掴まり上がっていたところ転んだと思えました。そして手足が伸びきって起き上がれなくなっていたのです。いま考えると、そんなに太った人を良く一人で持ち上げられたと思います。多分、大変だとの思いで、火事場のバカ力的に体が動いたのでしょう。
立上がらせて「大丈夫ですか」と声を掛けました。「大丈夫です」との答えを聞いて、怪我が無いことを確かめて、手を離して「お気をつけて」とその場を離れようとしました。
傍でそれを見ていた年配の男の人が、私の投げ出した傘と鞄を持って手渡してくれました。
 私は以前にも電車の中でテンカンを起こした若い女性を手助けして、次に止まった駅で車両の外に移動するのに、周りで見ていた中年男性3名に命令して、手足を持たせて運び出したことがあります。
その時も、私は車両の一番前に座っていたのですが、バタンという物が倒れる大きな音に気付き、多分大きな旅行鞄でも倒れたのかと最初は思いましたが、人が倒れているのが目に入り、周りの人達が何もしないのが見られたので、急いで車両の最後部まで行き、倒れている女性を停車した駅のホームの上に、じかに他の人にも命令して搬出させましたが、その折も、近くの人達が誰も手を出して助けようとしない態度に、大いに立腹したものです。そして、私の命令でやっと手を貸したという状況でした。
 この二度の体験で、日本人は本当に親切心があるとは言えないと思うのです。近くの人が常に助けようと行動してこその親切です。私としては二度とも裏切られたという気がします。
by minoru_mogi | 2015-06-11 17:00 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 大学時代から山登りが好きで、定年になってからは南アルプスを中心に山歩きを続けてきました。
なかでも、一番印象に残るのは、26歳の折に黒部川の源流の雲ノ平に6泊7日で、独りでテント持参で出かけたことです。そこは北アルプスの最深部分で標高は2700mです。そこに行くのは殆どが大学のワンダーフォーゲル部の人達で、15~20人のグループでした。
私と同じ日に登っていた山の猛者は、重いテントは持参せずにシュラフカバーだけで這い松の下に潜り込んで夜を過ごし、満天の星空に感激したと,帰りの登山口の露天風呂で語り合ったものでした。
 学生時代はお金が無く、山の用具がなかなか買えず、就職してから2年目に夜の家庭教師のアルバイトをして、1週間に2日2時間ずつ教えて、月に6千円のアルバイト料を貰い、そのお金を貯めて山の用具を買い揃えました。そして最初の2ヶ月分のお金でアタックザックとピッケルをやっと買えました。
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そのピッケルはその後1度だけ5月初旬に立山の雄山の山頂まで深い残雪の時に使用して、山頂からは剣岳の険しい景観に見とれました。このピッケルは山形県の職人がモリブデン鋼を手打ちした立派なもので、その時に7500円でしたが、時の私の月給は2万円だったと思います。
山の用具も進歩して小さく軽いものになり定年後の山では新しいものに買い換えて使用しました。そのひとつにコッフェルセットの2-3人用のものがあります。
何時も友人と山登りの折に春・秋・冬の寒い頃に、山頂でスープとコーヒーを沸かして温かかな昼食を楽しんだものでした。しかし、今はその時の友人も膝を痛めて登山は出来なくなり、私一人であまり高くない山を歩くだけです。そこで思い出深いこのコッフェルを交流のある中央大学の2年生で山登りが趣味であるという人に譲ろうと思うようになりました。
独りで行く折はテルモスに800ccの湯を持ってゆけば暖かなスープとコーヒーを楽しめるからです。若者にとっては大変利用価値のある用具です。その様に今では使用することもなくなってしまつたスエーデン製のプリマスのガスコンロも、次の時に学生に譲ることを考えています。
最後には最も思い出深いピッケルも彼らに渡して、本格的な雪山に行く学生に大切に使ってもらうことを願って行こうと考えています。
by minoru_mogi | 2015-06-04 15:45 | 随想 | Trackback | Comments(0)