山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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どろぼう橋 No523

 橋の欄干に記してある妙な名前に気が付きました。そこは川越市の喜多院(寺院)の南の入口であり、下は今は水がない空堀となっているところです。
家内と一緒に秋の一日を川越の街を散策してみようと出かけたものでした。面白い名前に気づいてデジカメで橋の写真を撮って、橋を渡り寺の境内に入ると、そこにこの橋の名の由来がちゃんと記してありました。
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それには「昔この橋は1本の丸木橋であったといわれ、これはその頃の話である。ここ喜多院と東照宮の境内は御神領で江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行では捕らえることが出来ないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げ込んだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕らえられて、寺僧に諭されて厄除け元三大師に心から罪を許してもらうよう祈り、真人間に立ち直ることが出来た。
幕府の寺社奉行にその処置を願い出て無罪放免の許しが出た。その後町方の商家に奉公先を世話され、真面目に一生を過ごした」との話である。
それにしてもこの橋の名を残した江戸時代の人はなんとウイットに富んだ人達であったのか、街の歴史と共に楽しい話である。
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by minoru_mogi | 2014-09-26 21:12 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 日本のけん玉が米国などで人気が出ており、その人気が広がるものと考えて百貨店のスポーツ売り場の一角にその売り場が設けられたとの記事が新聞で知った。友人を訪ねて浅草へ出た帰りに、大江戸線の新宿西口で降りて、小田急百貨店のハルク地下1階のスポーツ用品売り場へ行き見学してきた。
そこに有ったけん玉は国内外のメーカーの色々な色変わりの物が多いが、商品が小さいので、色彩的変化だけでは変わり映えしない。けん玉売り場として訴求力に全く欠けていた。売り場の前に柱があるが、その3面は何も表示が無く、写真やイラストなどで大きく表示もしていない。
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 私の昔の百貨店の営業部長時代の気持ちが出てきて抑えられなくなり、その売り場の若い販売員を呼んで話をした。わたしがこの店の営業部長であったことを話し、この様な小物を売る時には、それを大きく展示しないと客が気づかないことが多いこと、その為にはこのコーナーの入口の柱の面に、大々的に商品の大きな写真やイラストを掲示して、売り場を目立つようにしなくては駄目であることを話した。彼は素直に提言を受け入れてくれて、やってみましょうと答えた。まだ、百貨店でこのようなけん玉のコーナーを設けた店の話は聞いたことがないので、場合に依っては注目を集める可能性は十分にある。
しかし、新しい取り組みにはそのタイミングが重要であり、早過ぎでも失敗するし、他に遅れをとっても失敗なのである。
長年、色々と新しいことにチャレンジした中には、早すぎて失敗をした事例が多く有ったのである。
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by minoru_mogi | 2014-09-19 21:29 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 私の落語の歴史は大学生になり直ぐの昭和34年頃からである。高校時代の友人が卒業後直ぐに日本橋の繊維問屋へ就職したので、休日に彼と一緒に人形町の末広亭によく落語を聞きに行ったものであった。
当時、その末広亭は戦争の爆撃でも焼け残っていたと見え、木造の建物で下駄を脱いで上がるように下足番が居た記憶がある。その中は広い畳敷きの大広間であり、演台は2尺くらいの高さであった。その頃の出演者は、先代のはげ頭で出っ歯の三遊亭金馬とか、小柄で粋な古今亭志ん生などが真打で出演していた。
お客さんは夏の日の昼席では、始まってからまもなくは10人程しかおらず、広い畳の部屋の後ろの方で皆横になって寝そべって、前座の話は聞くでもなく昼寝をしていた。
私たちも同じ様に寝そべって前座を聞き、段々上手な出し物になると前の方へ出て座布団を敷いて聞き入ったものであった。今考えると明治・江戸時代の延長の様であった。
落語の面白さが判ってきたのでその後は専ら上野の鈴本へ足を運ぶようになった。
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その頃には柳亭痴楽の綴り方教室や、三遊亭歌奴の経験した大久保のJR駅員の話も良く聞いた。その頃の噺家は型破りの人が多く大変面白かった。その後は権太郎などの正統派が主流になってきた。
今回は高校時代の友人と共に行ったが、入場料が2800円と高く、券売り場で高齢者料金を設定して欲しいものだと伝えた。しかし2百数十席ある椅子席に座って周りを見回すと、70%くらいの入りであるが65歳以上の高齢者が80%と、これでは高齢者料金の意味が無いことが判り笑ってしまった。
久しぶりに落語会を楽しんだが、次の行く折には入場料の安い三宅坂の国立演芸場にしようと友人と話した。写真は林家正楽の切り絵を投影して見せているところです。
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by minoru_mogi | 2014-09-12 20:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 京王線府中駅の南側に隣接して広大な再開発事業が今年より始まっています。府中駅の周りはマンションが大変多くあり、駅近くには市の再開発事業の折に誘致した伊勢丹百貨店があり、今工事中の空き地の前にありますが、駅の2階のコンコースより丸見えで工事の杭打機などが林立しています、改良区は1ヘクタールに及び、。この空地に56400m²の15階建ての大きなビル1棟が18年に出来る予定となっています。府中駅の北側は新甲州街道があり、商業地などの発展の余地は有りません。そこで南側が商業地と業務用の使用地となります。
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                  向かいが伊勢丹府中店
 市内を歩いてみると、駅近くには欅並木がありその先には大国魂神社と人通りも多く賑わっています。驚いたことには駅近くの並木沿いのビルに「縄文の湯」という日帰り温泉があるのです。6階が受付で、13階が男性用大浴場となっており、お湯は43度もあるのだそうです。(インターネット調べ)
大国魂神社より少し西に歩くと交差点があり、東西に伸びる旧甲州街道と北へは府中街道で所沢へ、南へは府中街道で川崎方面へ街道がが分かれており、その四辻の角に「高札場」があり、昔の小屋根のついた5メートルほどの高さの門状の旧い施設があり、町人への江戸幕府からの告知板が柵に囲われてありました。江戸時代の名残の施設のようです。
府中や調布は江戸時代の末に栄えた地でしたが、明治に入り鉄道が引かれた折に反対運動が強く、中央線はこれらの地を通らずに中央線は三鷹や国分寺、立川と北の台地を直線的に走ることになってしまったのだと、歴史に詳しい友人が話してくれました。
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by minoru_mogi | 2014-09-06 20:28 | 随想 | Trackback | Comments(0)