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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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多摩御陵 No496

 先週、高尾駅近くの園芸用具店に雪割草の専用鉢を買いに行った折に、今まで一度も行った事の無かった多摩御陵に行ってみました。
駅よりは甲州街道を行き、御陵への案内看板が有ったので、それに従い行くと甲州街道から外れて他の道に入ると、そこには旧甲州道中と書かれた古い家並みに出ました。まもなく淺川の脇に出て、歩行者用の橋を渡ると少し上り坂が出てきました。この道は本来の御陵に行く並木道の続く路ではなく、近道なので民家の中を行きました。そして直ぐに陵の正面に出て来ました。
そこには2月14日に降った雪が、9日の分も加わって広場の脇に1mもの多さに積まれており、降雪日から26日も経っているのにこれほど残っているのには呆れてしまいました。陵の敷地の中を行くと、どこかここに似た所に行った事があるなとの印象を覚えました。そうです、明治神宮の砂利の幅の広い参道をゆく感じです。常緑樹の大きな林が続く路を入り口から500m程も歩いたでしょうか、そこに広い広場の中に大きな木製の鳥居があり、それに正対して昭和天皇の石で覆われた円形の御陵がありました。
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他の人は3人ほどいましたが、柏手をうち参拝しました。皇宮警察でしょうか監視員がおりました。昭和天皇の婦人、香淳天皇の陵はすぐ右手に同じ大きさであり、そこには紅梅が丁度きれいに咲いており印象的でした。そして更に行くと大正天皇の陵がありました。先月の降雪の影響で、途中に根元が60センチもある赤松が倒れ、大きな松の枝も折れて残っていました。
その周りの雰囲気は昨年秋に訪れた高野山のものと同じであり、参道の周りの杉の木の並木の大きさが違うだけで、高野山のそれは皆太くて高い樹ばかりでした。
帰りは御陵を出てから本来の正式なケヤキ並木の続く参道を歩き、今では使用されていない高尾駅の手前にある皇室専用の多摩御陵駅のなごりの多磨御陵入り口の甲州街道まで歩いてみました。
by minoru_mogi | 2014-03-22 16:34 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 2月にスリランカ旅行に行った折に、同国の8つの世界遺産の内の4箇所を見てきました。そのスケジュールは厳しくて、5時間以上も車で走るコースも有りましたが、幸い今回は私と家内だけの参加とあって、運転手付の車と現地人の日本語の通訳がつき、途中で何度も停まって、休憩やお茶を4人で楽しみました。その53歳の通訳の方は日本大使館での日本語の週2日の勉強を5年間して、日本語を勉強しましたが、日本には来たことは無く、インドしか行っていないと言っていました。大変勉強家で私との会話で判らないことがあると疑問を質問して書きとめていました。彼には機会があり、日本に来る予定があれば色々とお手伝いをしましょうと言っておきました。
旅行中はホテルを8時に出発して、夕刻の6時か7時に到着です。日が長いのでレストランは皆7時からでした。でも年配者には疲れる旅であったのは確かです。
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                    岩山途中のレンガの遺跡
 このシギリヤの遺跡はスリランカの中央部の岩山の多い地区にあり、紀元5世紀のものであり、日本の時代ですと古墳時代のものです。この岩山上の遺跡は1875年に英国人により発見されたそうです。
時の王様が息子の王子に殺されてその王権を奪われたのですが、長男の息子は正室の子ではなく、弟が本来の王権を継ぐ立場でした。
その様な訳で弟の復習を恐れて岩山の上に王宮を築いたのでした。その王宮は200mの切り立った岩山の上にあり、歩いて登るには1200段の階段を2時間近くを要し、歩き出した午前10時頃には30度を超える暑さで、上るほどに息切れがして、全く大変でした。しかし、その山上からの景色は素晴らしく、360度を見渡すと森が続き、その大部分は自然保護区で象などの住む森です。
この地は大勢の外国人旅行者、とりわけヨーロッパ人が多く、フランス、ドイツ、英国、アメリカ、ロシアとスリランカ人で、日本人は僅かでした。
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  垂直に近い岩肌にある壁画
垂直に近い岩の壁面には有名なシギリアレディの等身大の壁画が今もはっきりと何体も残っており、日本の昨年見た高松塚古墳の壁画(模写)などと比べても、全く良く残っているのには驚きでした。
急な勾配を上ってやっと山頂に着くと、そこにはレンガを積んだ階段状の王宮の址が残っており、そこには500名もの人が居住していたそうです。岩で囲まれた池もあり、王様の沐浴の場所もはっきりと残っており、実に広大な施設でした。日本の城跡では100mの山上の安土城がありますが、そのスケールとそれより1000年も前の遺跡には驚きを覚えました。
スリランカの文字はインドの古い文字が基となっていますが、今は全く違っています。日本の文字が中国よりの漢字が仮名に変わって行ったの同じことです。言語もシンハリ語であり、国民の90%はこの言語を話し、ほかにインドからのタミール語が使用されているとのことでした。
by minoru_mogi | 2014-03-16 20:01 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 昨年春より、ボランティアでバスターミナルの花壇に花を植えることをやっていますが、今年はその同好者も出来て2人でそれをやっています。
そして、今年の春の花は何が良いかを相談したところ、菜の花が黄色でめだつのと、春先から長く咲くので良いのではないかという事になり、10月中にプランターに種を蒔きました。その苗を12月初旬にロータリーの花壇に植え付けましたが、その小さな苗を鳥が来て食べることが考えられるので、その上に不織布のカバーを掛けることにしました。
この布は大きなもので1.5m×9mの布を買ってきて、近くの大塚山という120mの丘に登って、1.5mくらいの篠竹を30本ほど取り、運んできました。その篠竹をアーチ状に曲げて、50センチ間隔にその花壇に差込み、8mほどのアーチを作りました。その上に不織布を張って、ドームとして更に上より篠竹で留めました。
そこに、株数として50株ほど4センチほどの苗を植えつけたのですが、育ちの悪い株もあり、少し中の間隔が空いたので、我が家のプランターに残っていた株をそこに更に植え付けました。
2月になると、苗が育ってきて葉も茂り出して、草丈も10センチくらいになり、頭頂には花芽の大きな塊が見えてきました。これならば春には期待が出来ると楽しみにしていました。
ところがです、2月9日にあの大雪が降りました。八王子では40センチを超えるような雪の深さです。丁度、その2月10日から、私と家内と共にスリランカの友人を訪ねてコロンボに出発したのです。花は多分雪で潰されたものと考えてがっかりしました。
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帰国した日は2月15日で、成田に近づいて機外を見ると雪景色が見えます。珍しいことだなと思い外を見ました。昼頃に成田より都内へ来ると、雪が20センチ以上あります。
やっと夕方八王子へ戻ると、雪は何と60センチ近くの深さがあります。私は植えておいた花は全部潰されて雪の下になり全く駄目であろうと判断しました。
数日後、雪がだんだん溶けてゆくと、菜の花の不織布のドームが、この雪に耐えて潰されていなかったのです。全く奇跡に近いものでした。3月6日に、一緒に花を作っている方と二人で、その覆いを外しました。そこにはまだ花丈は20センチ位の、かなり黄色の花が咲き出した菜の花がありました。
二人でその雪に負けなかった花を喜び合い、バス停に来る人達が、春の近いことを実感してもらえる花壇であって欲しいものです。
by minoru_mogi | 2014-03-08 15:26 | 随想 | Trackback | Comments(0)