山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 この6年くらい、近くに住む雪割草育成の達人から、その育て方を教わってきました。その中で人工交配の指導も聞きましたが、そこまでは私の力では出来ないので、私は自然交配した種を蒔いて4年後から花を咲かせることでその結果を見ることになります。
 この花の特徴は花色が沢山あり、また、花の形に多くの変化が出て、さらに雄しべの色が異なるものがでて、それらを掛け合わせると千差万別の花が咲くのです。平成21年に種を蒔いたものが、今年は6年が経ちいくつもの花が咲き出しました。

         
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            自然交配で出た薄紫で花弁の大きい新品種

その中にいくつかの思いがけない花色のものと、花弁が普通のものとは異なった花が現れました。普通には雪割草は6花弁ですが、10花弁のものも出ています。自然交配も面白いですよと言われましたが、確かにこのような楽しい花が色々出るとは想像していませんでした。
 先日、そのベテランの方の家で沢山のコレクションを見せて頂きましたが、その方も昨年夏の暑さでかなり沢山の株を駄目にしてしまったと言っておりました。しかし、そのコレクションは素晴らしく、黄色の系統の新しい株も見せてもらいました。そして、帰る折にはさらに4鉢を私に分けてくれました。
私の花のコレクションはまだ3分咲きというところで、3月10日頃が咲きそろうのではと思われます。
その折には我が家の庭にその方に来てもらい、評価してもらうことを楽しみにしています。
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by minoru_mogi | 2014-02-27 15:35 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(0)
 私は1980年(昭和55年)にスリランカへ友人達3人と共に、或る商品の輸入販売目的の可能性を調べるために、4泊5日で行ったことがありました。その以来、スリランカの商人とずっと親しくしており、同国を訪れたら私の家に泊って下さいと昨年もお誘いを受けていました。彼は2年に一度位は来日しています。
 昨年秋、たまたまインターネットでスリランカ旅行の案内を見ていたところ、4泊6日のコロンボで一日フリータイムのある日本旅行のプランを見つけ、二人からの申し込み受付で旅行中ドライバーの付いた車と、日本語のガイドが付くものがあり、これに申し込み、この2月10日から15日にかけて行ってきました。
 以前の34年前に行った折には、コロンボではインターコンチネンタルホテルに泊り、翌日郊外の英国植民地時代の古い格式の有る、スリランカの帝国ホテルとも云われるマウント・ラビーニアにも宿泊しました。そこのポーターは往時は裸足であり、腰にはサロンを巻いており、ポーターは荷物1個に付き1スリランカ・ルピーでした。観光の折に幹線道路の脇で子供たちがココナッツ椰子を売っており、それを買ってあげたところ、その金額は1個3ルピーであつたことを確実に記憶していました。それは日本円に直すと往時で30円でした。
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今回、やはりコロンボから郊外の町へ行く途中で、車を止めてその同じ椰子の実を買い、ガイド・運転手・私達で飲みました。大変美味しい味でその核の実に付いたゼリー状のココナッツも食べました。その値段は30ルピーでした。交換レートで日本円に直すとやはり一個30円です。これは34年間にインフレが進み、ルピーの価値が十分の一に下落していたのです。この間の日本円の下落率は2分の1か3分の1くらいではないでしょうか。
同行したガイドが言うには月給が6万円はほぼ部長の給与と言っておりました。同国の物価は日本の2分の1以下ですが、ホテルの値段はツインでアメリカドル135~であり、少し高いかなとも思いますが、皆広い部屋で、たまたまキャンディーでの夜は1日はスイートルームにも泊り大変楽しい旅となりました。
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by minoru_mogi | 2014-02-17 13:20 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 昨今、和食がいろいろな場面で注目をあびており、身近でこの関係の行事などが見聞できることもあります。先日、友人から大学の博物館でこの関係の展示会があり、一緒に行きませんかとの誘いがありました。
この大学は東京家政学院大学で八王子市内にありますが私の家からは遠く、八王子駅に一度出てからバスでその大学へと向いました。その場所は八王子と町田市の境にあり、静かな丘陵を背にした広いキャンパスとなっています。
校門から入り直の所の本部棟の地階に、この大学の生活文化博物館があり、入場無料です。私は初めて訪れた大学であり、この大学には家政学部の他にも、人文学部、日本文化学科もあり、考古学を専攻する科目もあり、発掘調査に参加する科目もあり、その調査には学生達も参加いているのだそうです。これには少し驚きました。
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                     懐石料理も見本例
 今回の特別展では「江戸の料理」の本格的なものを、浅草の合羽橋(かっぱ)で売られているような料理見本を大学で学生達が作り、多くの種類を展示していました。
これらの展示の中で私が特に注目したのは本膳料理と会席料理の見本の展示でした。
室町時代に成立した武士の饗応料理は本膳料理と呼ばれ、本膳のほか、二の膳、三の膳と最大七の膳まで用意され、それぞれの膳に料理が盛られました。
この形式は婚礼、葬儀、行事など儀礼食に使われ、江戸時代後期には農村地域にも広まって行きました。
また、会席料理は、現在では料理屋の料理の形式として発展したものを指していますが、江戸時代には会席、懐石とも茶の湯に伴って供される簡素な料理を指すことが多いのです。
会席料理の大きな特徴は、酒と共に楽しむ料理を中心とするために、酒肴を原則一人ずつ時系列で供する料理であったのです。これらの見事な見本が、いくつもの膳に並べた様は大変美しく、特にそれらが盛られた器が更にそれを盛り上げています。
本当に、日本料理つていいなあと言う感じがしました。
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by minoru_mogi | 2014-02-08 14:45 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 私は国分寺の大学を卒業後二年くらいが経てから、国分寺の西元町と言う府中に近い街に16年間住んでいました。大学の頃は国分寺駅よりは府中競馬場へ行く電車の始発駅でした。武蔵野線はまだ無く、西国分寺駅は有りませんでした。
駅は最初南口に広場が出来て整備されましたが、本来の繁華街である北口は、区画整理の話は出ていましたが、全く進みませんでした。その頃高円寺、吉祥寺、国分寺は3寺とも言われ、賑わいのある街でしたが、今は吉祥寺だけが繁盛しています。その後中央線沿線では武蔵境駅南口、小金井駅南口、八王子駅南口などが立派に整備されました。
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 国分寺駅の北口は、今やっと区画整理事業が始まり、私が大学生の頃から有った本屋、すし屋、パチンコ屋、喫茶店の取り壊しが始まりました。この事業は住友不動産が中心となり、整備が済むと住友の高層ビルが2棟建つことになっています。
今までの所ではバスの発着場もまともには取れない駅前の広さであり、あまりに不便過ぎました。この事業の完成には更に3年くらいの期間が必要と思えます。駅の乗り換え客も大変多く、中央特快の停車駅でもあり混雑が酷い駅なのです。
 古の武蔵国分寺が置かれていた地なのですから、何とかそれに相応しい町に変わって貰いたいものです。再開発はかなり広い面積に亘って取り壊しが進んでおり、出来るだけ早く新しい素敵な街が誕生することを期待しています。
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by minoru_mogi | 2014-02-01 21:06 | 随想 | Trackback | Comments(0)