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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 今回は是非とも見たいと考えていたもので、23日の祝日に出かけてきました。
大森貝塚の発見で有名なエドワード・モースは明治10年(1877)に来日し、東京大学の教師として働き、3度の亘り5年間近くを日本で暮らしました。そして、本郷の加賀屋敷(その頃は本郷の上屋敷は東大の敷地となり、前田家は渋谷へ移転していた。)に住み、日本の町を北海道から九州まで見て回りました。その中で日本人の日常の暮らしの品々をコレクションしたのでした。そのコレクションが今はアメリ東海岸のピーボディー・エセックス博物館に展示されています。
彼はスケッチ画も巧みで、後に日本について出版した「Japan Day by Day」(日本その日その日)の中に使用されております。
彼の研究は貝であり、横浜から新橋に行く間に見た貝塚を発見したことで有名ですが、実はもっと重要な事を発見していたのです。その貝塚を発掘して縄文時代の土器を発見して、それを縄文土器に英語名で「Rope Marked Pottery」としたのです。その訳文が「縄紋土器」と書かれ、現在は「縄文」とされているのです。弥生式土器の命名は、文京区東大下の弥生町で発掘されたのが命名の理由であり、地名を取ったもので発掘場所には石碑が立っています。
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このコレクションは実に様々なものが有り、「のり」、「お菓子」、「お茶」も昔の包装と中身がそのまま保存されています。とりわけ注目すべきは「生き人形」です。これらは当時見世物小屋に展示された等身大の人形であり、「甲冑武士」は実に素晴らしく、他にも同様の人形が4体出ていました。
特に子供達について本の中で記していることは、日本の子供は大切にされており、世界中で最も幸せな子供であり、いつも笑顔で遊びまわっているとあります。幕末に来日したフランス人であるスエンソンも同じことを書いています。
今の子供たちが時として親から殺されたりする時代になってしまったのは、嘆かわしいことこの上なしです。
by minoru_mogi | 2013-11-24 21:49 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 和歌山県の高野山の旅行の途中に、新宮市より熊野川を遡り奈良県の十津川村へと入って行ました。村は日本で一番広い村であり、その99%は森林です。人口は5千人との説明でした。その村とは深く刻まれた川沿いのほんの少しの土地に、畑と人家が段々になってありました。
林業の盛んな頃は村も栄えていたようですが、現在はその基盤が崩れて大変なところに、平成11年の6月の台風12号の影響による山崩れの災害に遭い、現在も川のあちこちに重機が入り、復旧作業が続いています。
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村の中を行くと国道の中程に「谷瀬」というところが有り、そこには川向こうへと渡る長大な吊り橋がありました。川の上53メートル程の所に長さ約300mの川幅に掛かつているものです。バスがその場所で止まったので、試しに渡ってみました。橋は立派なもので渡る所には下に120cm程の幅に木の板が敷いてありますので、落ちる心配は全くありません。村のお年寄りの四輪のバギーも渡るそうです。渡り始めて中程に掛かると左右、上下に大きく揺れてきて歩くのが大変です。まるで酔って歩いている様になりました。
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 しかし、その周りの景色は素晴らしく、紅葉の山と川の水はまるでトルコ石か翡翠のような川の色をしています。このような水の色は今までに磐梯山の五色沼で見て以来です。私は昔、黒部川の源流の雲ノ平への山道で吊り橋より落ちそうになった苦い経験があります。その話はこのブログの2005年7月の第24話に載せてあります。まさに水は清く山は高い故郷というところです。渡り終えて川のほとりで美味しいコーヒーを頂きました。
 目的の高野山は思っていた以上に立派な標高900mの門前町であり、弘法大師のお寺は感動して見てまいりました。一番に印象に残ったことには宿坊の寺に泊まり、和室の10畳の間に、襖と障子だけで部屋が仕切られている部屋で、石油ストーブ1台の暖房で過ごした一夜でした。洗面所のノブには温水の表示がありましたが、冷たいだけで、朝2度の寒さでは顔を洗うにも水を付けただけでした。食事の折は若い雲水さんが給仕をしてくれたものです。
高野山は只々寒かったと印象のみが残り、同じく行った周りの人たちも、ここは一度だけ体験すれば十分との言葉をつぶやいていました。
by minoru_mogi | 2013-11-17 16:07 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 仕事での出来事を書き残しておきたいと思います。その専務は私が衝突を起こしてから、約1年後にガンで亡くなりました。今思うとその事が起きた時にはすでに病に冒されていたのだと考えられます。そのような訳で心に余裕が無かったのかもしれません。残念なことです。
 私が紳士服部の部長をしていた折に、紳士服イージーオーダーの係長とその部下と共に顧客管理の方法をコンピューターで行いたいものと思い、皆で会社の休日に有力電気各社のショウルームで、オフィスコンピューターの実際のソフトや入力速度を色々調査していました。
その頃のコンピューターはNECのNEACなどの大型機種が中心で、大きな部屋の中に機械を設置して、冷房を利かして女性が専門に入力していたものです。そこに新しく机の大きさ位のオフィスコンピューターが出てきました。この機種を導入して顧客管理をしようと考えたのです。
私自身はコンピューターの概念の本をよく読んで勉強し、顧客の8年間の内容を詳細に分析してプログラムのソフトを作ることを考えた訳です。
 それらの考えをまとめて、専務と情報管理部長、顧客管理部長との3人に私からプランを説明しました。その折には立派にワープロで作成した資料を用意しました。たまたま私の部下に事務機器を担当した人がおり、素晴らしい資料が準備されました。
私がその説明を終えた時、専務が発言しました。「勝手にこんなことを進めて」と言ったのです。私は直ぐに強く反論しました。「これは案として提出したもので、決定したものではありません」「私たちはこれまで何日も休日を返上して皆でこの事を研究してきたのです。」と言いました。あまりに立派な報告書であったために、もう実施案の説明と思ったようでした。
そして、急に席を立って「止めた」と言ったのです。席を蹴って部屋を出て行ました。他の部長が言いました「茂木さん凄いことをいうなあ」と言うのです。私は正論を言っている確信がありましたので引き下がりませんでした。
 翌日、早めに自分の3階の売り場に行くと、そこに専務が立っていたのです。「あれ、今日は何ですか」と尋ねると、「昨日の話は君が正しい」と言い、「その考えで進めてくれたまえ」と言いました。私は「ありがとうございました」と答えました。
その結果はブログの中の第352話に書かれてあります。このプログラムの制作費は500万円であり、コピーライト(特許権)をNECに500万円で売り、只でソフトを手に入れたことになりました。思い出深い出来事でした。
by minoru_mogi | 2013-11-08 19:35 | 随想 | Trackback | Comments(0)

バス停の川柳 No477

 家から4・5分の所にあるバスターミナルは4系統のバスが発着する人の多いバス停です。そこに私や近所の人が花を植えた花壇があり、その傍に60センチ程の看板を立てて、そこに川柳が掲出されています。バスを待つ人たちの一寸の時間を気を紛らわすのが目的と設置した方は言っていました。
この話が出た時に私は諸手を上げて賛成しました。そして私自身も今まで作ったことのない川柳を作ってみようと考えました。掲出してからすでに2週間程が過ぎて、毎回2首の区が書かれています。すでに2回目の句が出ています。
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先日、その方に会った時に他の方も句を出してくれますかと聞くと、まだそこまでには行っていないようです。そこで投稿箱を作り一緒にそこに置こうかと考えていますとの話に、それは良いアイディアと賛成しまた。
私も下手ながら一句をひねり出してみましたがまだ掲載されていませんが、11月半ばに出してくれるそうです。
これを見て人々がニヤリとする顔を見たいものです。
投稿箱が役立つことを願っています。
by minoru_mogi | 2013-11-01 22:56 | 随想 | Trackback | Comments(0)