山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 旧聞とはいえ大変関心の高いJAXA(宇宙航空研究開発機構)の川口淳一郎氏の話を、大学にて聞いてきました。今までの公表された話題を離れた内容が中心であり、聴衆は650名と中高年をはじめ小中学生までの幅広い人々が集まっていました。
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還後、これを主題とする映画が、なんと3本も作られていたのです。「おかえり、はやぶさ」、「はやぶさ遥かなる帰還」,「はやぶさ」の作品です。それらは皆、少しづつ視点を変えて作られており、それに携わった人間文様、科学的視点を中心としたもの、それらが混ざったもの等でした。
今回「第二次はやぶさプロジェクト」が推進されていますが、同氏は今回の試みにはタッチしてはおらず、新しいチームで実施されるとのことでした。
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 日本のロケットの歴史は戦後の糸川英雄氏のペンシェルロケットから始まり、「おおすみ」の宇宙軌道への打ち上げと進展して、今日の姿までをパワーポイントにより説明がありました。氏はハレー彗星探査機「さきがけ」、工学実験衛星「ひてん」、火星探査機「のぞみ」などのミッションに携わって、「はやぶさ」のプロジェクトマネージヤーを務めました。
氏の見解によれば「地球外宇宙生物は居るのだろうか」との答えとして、「その存在を否定するものは何も無い」ので、「100%存在する」との見解でした。
気宇壮大な話題であったが、今後も夢のある科学を推進してもらいたいものです。
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by minoru_mogi | 2013-02-19 13:58 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 1月としては暖かな土曜日に所沢へ零戦の展示会を見に出かけてきました。西武線の航空公園駅を降り立ち、15分位歩くと記念館のある公園に着きます。公園では広い芝生の上で駅伝競走が行われており、沢山の人々の応援家族の声援で賑わっていました。まず芝生の上に展示されている航空機の見物です。
私は以前にも記念館を見学しており、今回は本物の零戦だけを見て見たいと思ったのです。戦時中の思い出は食べ物が十分ではなく、B-29の夜間爆撃を逃げるために夜中に町の郊外まで逃げたことを覚えています。そして熊谷が焼夷弾で爆撃されるのを見ました。
3月11日の東京大空襲では、夜中に母親に起こされて2階の窓から南の方向を見ると、地平線が桃色です。母はこれは関東大地震と同じ光景だと言い、東京が焼けているのだと断定しました。父親はこの時は1人で横浜にいたのです。その時はあまりの寒さに直に雨戸を閉めて布団にもぐりこんだ思い出があります。
 当時私は群馬県の館林町に縁故疎開でおり、小学校の2年生でした。町の近くには陸軍の飛行場があり、高等練習機の橙色をした機体が良く低い高度で飛んでいました。親戚の旅館には特攻隊の兵隊が泊まっており、その方々と交流がありましたが、彼らはラッキーなことに出撃の前に終戦を迎えました。
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零戦とは「海軍零式艦上戦闘機52型」のことであり、思ったより小さい機体で、全長9.1m全幅11.0mの単座機です。展示されていた機体は昭和19年(1944)6月にサイパンで米軍に確保されたものです。
そしてこの機体は昭和18年に群馬県の小泉に有った中島航空機で製作されたもので、現存する唯一の実際に飛べる機体であり、昔のままの栄21号14気筒1100馬力のエンジンを積み、米国の民間で所有されているものだそうです。戦時中に10500機が作られました。これが作られた小泉とは私が住んでいた館林の隣町であったのです。展示会には中高年の人ばかりが見えていました。
この飛行機がこれからの平和の象徴となってくれることを願うばかりです。
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by minoru_mogi | 2013-02-05 17:43 | 随想 | Trackback | Comments(0)