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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2012年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 前より訪ねたいと思っていた記念館にやっと行って来ました。京王線のつつじヶ丘駅より歩いて15分とありましたが、南口を出て静かな住宅地の中を行きますが、昔の農道が基になっており、狭く曲がりくねっており、欅の大樹がある広大な農家が途中に沢山ありました。目的地になかなか着かず、道路工事中の警備員に聞くと、正確な地図を持っており、大分方向が違っていたことが分りました。かかつた時間は20分を超えていました。
 平屋の記念館はこじんまりとしたただずまいで、いかにも実篤にぴったりの感じのものでした。入館者は私と同年輩の男性2人と、中学生の女の子が3人いるだけです。
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                    実篤の旧宅
展示場には実篤の生い立ちと経歴が良く分かるように展示されています。彼は学習院の小学生の時に志賀直哉と友人になり、後刻一緒に「白樺」を発刊しています。しかしその一番の特色は理想社会の実践として、大正7年(1918)に「新しき村」を宮崎県に創設したことでしょう。
そこでの活動はずっと続き、昭和14年(1939)からは埼玉県毛呂山町に移り今も続いているとの事です。
今の記念館は昭和30年(1955)に水のある所に住みたいとの彼の希望で調布のこの地に移り住み、そこで20年間生活をした所です。文筆活動と共に絵を描きますが、図工は大の苦手であったと書かれていました。その主題は花や野菜が描かれていますが、山を描くのが好きでこの展示会場にいくつも展示されていました。
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館を出るとそこに隣接して実篤公園があり、国分寺崖線のような丘陵からの湧水が敷地の中にあり、いくつもの池と菖蒲園がありました。彼が住んだ住居はその林の中にあり、静寂そのものでした。池の水は澄んでおり蛍が生息してもおかしくない環境でした。彼の没後、この地は調布市に寄贈されて現在の公園になっているのです。静かな環境はかけがえのない宝物です。
残念なことに旧邸の内部の公開日は土・日・祝日だけで見ることが出来ませんでしたが、秋にでもまた出かけてみようと思いました。
by minoru_mogi | 2012-07-27 20:51 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 西東京市と小平市の境に位置する多摩六都科学館に、暑い日でしたが好奇心が優先して見学に行ってきました。この名称の由来が直には理解できなかったので、帰ってより直に調べてみました。すると、これは東村山・田無・保谷・清瀬・東久留米の多摩地区の六市が共同で開館した施設であることが判りました。
小金井駅から清瀬行きのバスに乗り新青梅街道のバス停で降りて歩きましたが、炎天下をゆっくり歩くと20分近く掛かりました。この施設は新青梅街道に面しておらず、ほんの少し南に入った所に有りましたが、表示があまり有りませでした。
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 今回の目的はこの7月7日に改修されたプラネタリウムが日本最高の星の数を映す27メートルのドームの様子を見たかったからです。入場は展示室見学料金500円とプラネタリウムと展示室の見学料で1000円です。他に大型映像が別様金で見ることが出来ます。展示場では宇宙・生命・生活・地球・地域の科学が学べるなかなか立派な施設でした。
私の目的はプラネタリウムにあったので、1時10分からの45分に亘る星の世界の投影に期待しました。先ずは夏の星座の全天の星空が映し出されます。そこにはっきりと見える銀河が見え、その銀河系の中に入って行きます。そして宇宙に広がる星雲の話題にとなりました。次いで銀河系より何千年光年という色々な星雲が美しくまた怪しく映し出されました。星雲の画像はそれぞれに美しく、またその色と姿は宇宙の広さを感じさせてくれるものでした。それと共にハワイのマウネケア山山頂にあるスバル望遠鏡が紹介され、その活躍が話され、またチリの山上にある国際電波望遠鏡の話もありました。これを見る席は270席あるそうですが、平日なので半分ほどの埋まり具合でした。
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 終わってより外に出ると隣接して高い鉄塔が垂直に伸びています。何か判らず帰ってより調べますと、これはスカイタワー西東京と言う名称の会社の電波鉄塔であることが分りました。その高さは120メートルで標高では195メートルもあるそうです。
私は昔から渋谷のプラネタリウムに良く行きましたが、やはり大ドームの物は素晴らしいものでした。皆さんも一度訪ねることをお勧めします。
by minoru_mogi | 2012-07-23 11:15 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 私が小学生の頃には、町の中にはプールは何処にもありませんでした。そこで、泳ぎは必ず近くの川に出掛けることになりました。
小学校5年の時、親戚の家が足利市にあり、夏休みに泊りで遊びに行きました。その家には2歳年上の従兄がいて一緒に渡良瀬川へと泳ぎに行きました。私は平泳ぎが出来る様になっていましたが、その泳ぎは遅く長くは泳げなかったのです。
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その川はかなりの流れがあり、流れの川幅も15メートルくらいありました。その水流は川の中程で強くなります。その川を泳いで一人で渡ろうと水流のゆるい上流から泳ぎ出しました。中程まで行ったところ、水流が強くなり、向こう岸よりも逆に段々離れて行きます。慌てて急いで泳ぎますが流される方が強く、体も水流に押されて水面に平行であったものが、後ろ足が水流に押されて体が段々立ってしまいました。そこで慌てていると一度ガバッと水を飲んでしまいました。すると次々に水を飲み、体が水中に沈んで水面が光って見えています。多分その辺りは1.5メートルから1.8メートルくらいの深さであつたものと思われます。
すると、水面に泳いで来た人が見えます。急いで手を伸ばしてその人の足を掴みました。幸いであつた事にはその人が大人であったことです。もし、子供であったらば2人共に沈んでしまった事でしょう。
 川から助け上げられて、川岸で水を吐かされている時に気が付きました。そして直に近くの医院へと担ぎこまれました。その時の記憶は飛び飛びで多分途中は気を失っていたのでしょう。
私は一度死にかけたことになったのです。この事は親戚の叔父や叔母が私の家族には私に口止めして、以来ずっと話しませんでした。
 或る時、私が営業部長のときに大変苦境に立たされました。それは部下の売上金搾取を見つけて、2名を懲戒解雇として、その係長も15日間の出勤停止処分となり、私は始末書を書く破目になりました。そして、その後他の部門の部長となりました。
その部長に就任する折に、時の専務より特命を受けて、或る課長の動静に注意するように頼まれました。そして1年後にその課長の不正を摘発することになったのです。ところが、その時には私に特命を出した専務はガンで亡くなってしまっていたのです。私はここで必然的に始末書を又出さなければならない立場です。2年以内に2度の始末書では左遷は避けられません。二晩ずつと考え続けました。
すると、その時に或ることを思い出したのです。そうです、私は一度死に掛けたのです。それを思えば左遷などたいした事ではありません。ここで決断がつきました。結果は幸いなことに左遷も受けずに、その後の会社での経歴も順調に定年を迎えることが出来ました。
by minoru_mogi | 2012-07-18 13:45 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 朝のNHKラジオを聴いていると、中野区内で自然繊維着物の展示会が開かれている事を案内していました。しかし場所と展示期間が分らないので、NHKのインターネットで調べて見たところ、沼袋のシルククラブということが判明しました。
早速に出かけたところ、その会場は立派な和風の門構えの中の広い家で、呉服店が所有していて時折呉服の招待会の会場として使用されている場所でした。昼頃に訪ねて行くと和服姿の素敵な女性が門を入って行きます。玄関に入ると沢山の女性の履物が有りました。そこには部屋がいくつもあり、着物、着尺、スカーフ、和装小物などが展示されていました。それらは繊維素材別に展示してあります。
まず、目に入ったのは沖縄の芭蕉布です。光沢のある着物は薄くさらりとして、いかにも涼しそうです。伝統的に小柄が多いようですが、大柄のものほど上流の人達が着用したものだそうです。
その原料も展示されており、芭蕉の皮とそれを紡いだ糸と、その織機まで見られました。
次の洋風の間には科(しな)の織物がありました。これらは山形県の新潟との県境の山の中で、46戸の関川という所で作られているもので、もちろん伝統的工芸品に指定されているものです。
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                    科布で作ったかばん他小物
これはかなり硬いて太い織物で、昔は農夫の夏の着物でしたが、今はバッグや帽子、ポーチ、財布など加工されているものが多く、染色をせずに生成りの色で利用されています。
地下の広い部屋に行きますと、静岡県掛川の葛布(かっぷ)の展示がありました。そこには江戸時代に使用された葛布の裃(かみしも)上下、武士の直垂(ひたたれ)、火事装束、着物などが壁に展示され、その光沢のある織物は気品のある衣装に使用されていた様子です。
ここでも着物の展示会ですので100万を超える値段で売られており、それを品定めしている奥方もおりました。そこには又山藤の繊維から織った藤布(ふじふ)の着尺があり、京都府丹後からの出品で私は始めてこの布を触らせてもらいました。この布は繊維も細く夏向きの衣装と思えました。
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                   葛布の江戸時代のかみしも
他に、古い日本綿花の藍染などの着尺があり、綿(わた)とそれを紡いだ糸までが展示されており、1時からはその講演会も予定されていました。日本への綿花の伝来は799年に一度もたらされましたが、定着せず、信長の戦国時代の1482年より三河の地に広まったのが歴史です。
それまでの日本人は主に麻と絹を衣料の原料として使用しており、絹は錦と絁(あしぎぬ)とに別れそれはふとぎぬとも言われていました。私はこれを奈良の正倉院の展示会で見ました。
今回は紙子や紙布(しふ)までは出品されてはいませんでしたが、これ程日本の伝統衣料を一堂に揃えたものは今迄に見たことがありません。これを企画したことにはほんとに敬服しました。
by minoru_mogi | 2012-07-06 17:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)