山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2012年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 今迄に増上寺の大門は見たことは有りますが、境内まで入って見ることは有りませんでした。そこで、特別の予定が無い梅雨の晴れ間をみて訪れてみました。地下鉄を芝公園で降りて北に少し歩きます。そこには港区の広い公園があり、かつて寺の境内が区の公園に置き替えられた様子に見受けられます。その次に現れたのが芝東照宮です。明治初期の神仏分離で寺と分離された様子ですが、そこには3代将軍家光のお手植えと言われる樹齢300年を超える大銀杏が聳え、日光、久能山、上野、と東照宮の4大神社とされています。神殿は一番奥まった一段と高い所にあり、戦災で焼かれて再建されてはいますが立派なただずまいです。
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これより更に進むと増上寺の大きな二層の山門です。その門は実に大きく入り口の脇には2メートルもある鋳造製のちょうちん様のものが左右にあり、そこには「うおがし」と読めました。江戸時代には魚河岸の力が大きかったことが見て取れます。中に入ると右手に大きな鐘楼があります。正面の堂宇は門よりはるかに奥に、高い基壇の上に実に壮大に大きな広がりを見せています。その参道は10メートル程の幅が有り、60センチ位もある城壁に有るような大石が敷き詰められており、一般の寺社の砂利式とは大違いです。
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100メートルくらい進み、階段を30段くらい登るとお堂に達しますが、正面の扉は開かれておらず、右手の小さな入り口よりは入ると人々がお線香を手向けています。かなりの人が並んでいるので、私は時間が無いので省略させてもらいました。
お堂を出て裏手に廻ってみますと、皇女和宮の茶室が移築されてありましたが、確か月に一度しか公開されておりません。徳川家の墓所は葵の紋所がいくつも付いた青銅の門で閉鎖されており、その中心の門飾りは青銅の登り龍と下り龍の2枚の扉になっていました。
境内の隣の敷地にはプリンスホテルが有りましたが、おそらくは増上寺の敷地の中にあたるものと考えられます。思いのほかに立派な寺で、上野の寛永寺東照宮と比肩できるものと思われ、今日まで訪ねたことが無かったのが遅きに失したとの思いに駆られました。
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by minoru_mogi | 2012-06-30 11:06 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 4月30日の大月御前山から、もう1ヶ月以上山歩きに出ていません。山歩きには少し暑くなり、日蔭のある沢沿いを登り下り出来るルートを地図で調べてみました。すると、良く出掛ける影信山(727m)で沢を行けるルートがあることが判りましたが、山道に入る道標も無いと書かれありますが、地図は実線で描かれていて確かな道と思えます。
梅雨の晴れ間の6月18日に出かけてみました。小仏までバスで入り一般の人が登る景信山への表示を通り過ぎて、舗装道路の終わる地点の一般車両の入れない所へ来ると、10数台の車が駐車しています。ここで沢が右手より流れ込んでいるので、その幅の広い道を500m近く行くと、細い森を管理する山道となります。良く手入れされた杉林では下草も十分に生えた美林です。歩いてゆくと沢水が岩にあたり水音が色々に聞こえます。それが私には水のシンホニーを聴いているが如くであり、気分は爽快です。
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山道は誰にも会わず何の標示もありません。ただ、岩清水の所にはプラカップが用意されており冷たい水を味わいました。歩く道の傾斜は緩やかであり、つづら折の道を登って行くと、沢は二股になり、本流から離れます。鳥の声が色々しますが、カケスは姿が見えましたが、他の鳥は姿が見られずオオルリも居そうな環境ですが目に入らなかったのは残念でした。
バス停を9:30に出て山頂に着いたのは11:25であり、標準時間の2倍に近く掛かりました。
天候は曇りであり山頂からの眺めもはっきりしません。食事は25分で済ませて11:50には下りの道に向かいました。まずは尾根を行くと25メートルもある赤松が次々に出てきます。今の山の中でこれ程赤松の大木がある山は私も始めて見る光景でした。小下沢の道は普通の下山道の2倍近い時間が掛かりますが、沢沿いで涼しいことを期待してこの道を選びました。ところが、この道はかなり荒れていて、路肩が崩れており、岩が多くて歩きにくい山道でしたが、欅の200年くらいの大木が次々と出てきます。イタヤカエデの大木もあり山深い感じは十分です。沢沿いに出るとマタタビのペンキを塗った様な真っ白な葉が沢山自生していました。
やっと林道へ出て車も通れる道を大きな沢沿いの木の下を歩いて日蔭のバス停へと向かいます。
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すると、木の上にツリーハウスが作られている所に出会いました。余程上を見て歩いて居ないととても気付かない所に有りました。少年の頃に本家の庭の樹上にムシロで基地を作ったことを思い出しました。お婆さんは私が大きくなっても良くその事を言っていたものです。
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by minoru_mogi | 2012-06-21 00:03 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 江戸東京博物館に出かけて「発掘された日本列島2012」の展示を見て来ました。この展示会は毎年訪れています。私は旧石器時代と縄文時代に興味があります。今回の展示の中に日本の3万年前の旧石器時代の黒曜石の加工石器が展示されており、その石は伊豆半島の中部から出たもので、出土した場所は埼玉県の三芳町でした。その頃の人たちは定住しておらず、伊豆より埼玉へと移動して生活していた様子です。
また、同時に「会館20周年記念特別展、日本橋」の展示を見て来ましたが、日本橋界隈の版画や、絵巻物、図録集など色々な絵を中心に展示してあり、三越の前の越後屋や白木屋、銀座の恵比寿屋などの大店の様子が良く判りました。
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 次に博物館を出てすぐ北の旧安田庭園に立ち寄り、ゆっくりと庭園を見て回りました。この庭園は金融中心の安田財閥を築いた安田善次郎氏のものであり、元禄4年(1691)に下野足利藩主本庄氏の下屋敷として作られたが、大規模な改修が施され、隅田川の水を入れた汐入り回遊庭園の名園で、小規模な徳川時代の大名庭園なのです。
明治22年(1889)に安田財閥の所有となり、大正11年(1922)に東京市に寄贈されたものです。
安田氏は富山県の出身で、両替商に奉公した後日本橋に安田商店を設立しました。明治9年(1876)に第三国立銀行を設立し、明治13年(1880)に安田商店を安田銀行とし、後の富士銀行、現みずほ銀行に改組されました。生命保険、損害保険を興し金融の安田財閥となりました。
東京大学の安田講堂は彼の寄付に依りますが、彼が大磯の別荘で国粋主義者に刺殺された後に完成されたものです。日比谷公会堂も彼の寄贈によるものです。
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庭園は無料で公開されており、良く手入れがされたその庭では樹木の剪定がなされていました。丁度、外国人の夫妻が庭を廻っており、芝生の中にはネジバナが足の踏み場も無いほど咲いているのが、後方の高層ビルと比較して面白い景色であると感じました。
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by minoru_mogi | 2012-06-16 14:52 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 上野の池之端に日本盆栽協会の立派な施設があり、以前よりそれは知っていましたが立ち寄ったのは初めてです。動物園の水族館に隣接する場所にその敷地はあり、かなりの広さので二階立ての展示場がありましたが、展示会や即売会は開いてなく空いていました。
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しかし、広い庭の中に沢山の盆栽用の松やかえで等の花木や、盆栽用の鉢や資材が展示されています。20個ほどの実が成っているみかんの樹があり、60センチほどに仕立てられており、驚く程の出来栄えです。
また、高山植物やちがや、サギ草などの小さな鉢植え用の植物が色々揃っており、私の様な高山植物の愛好家には見応えのある物ばかりです。その資材では鉢の種類と型の多さは今まで見たどの園芸店よりも充実していました。
私はここで新島産の抗火石を使用した抗火石鉢を入手して、来年これに今所有しているピンクの岩タバコを植えつけるつもりです。
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そこを出てやや暫く行くと水月ホテルがあります。ここの中庭には森鴎外の旧宅があり、外観は無料で見ることが出来ます。しかしこの建物の部屋は有料で使用しており、部屋の使用料とお料理を頼むと利用できるのです。その使用料は2万6千円くらいであり、お料理は8千円台です。10人位で利用して1人1万円くらいでしょう。一度、高校の同窓会でも開きたいとも思いますが、少し躊躇しそうです。
たまたま部屋を使用している客が少なかったので、玄関に入れて頂き部屋の雰囲気を感じさせて貰いました。庭の池には鯉が泳ぎ静かな素晴らしい庭でした。
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by minoru_mogi | 2012-06-08 23:00 | 随想 | Trackback | Comments(0)