山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 9月26・27日に宮城県三陸町の名足(なたり)小学校へとボランティアで楽器を届けに行ってきました。武蔵野多摩ワイズメンズクラブの石丸由里さんが、音楽仲間に働きかけて各種の楽器を集めて、東北の小学校に寄贈することになりました。私もこのグループに加えてもらい6人で出かけました。仙台のYMCAの方が、寄贈先に最適な小学校を見つけてくれていました。
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その名足小学校は津波で1階まで水が来て、1階の教室にあった楽器が全部流されてしまったそうです。同校は今、同じ町の伊里前小学校に同居しています。50年の伝統がある鼓笛隊が出来なくなってしまっていたのです。生徒たちはこれで10月の学校行事には間に合うと喜んでいました。
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 当日はトラックから楽器が我々の手によって降ろされ、梱包が解かれました。体育館で全校生徒84名の1~6年生と共に楽器の贈呈式が行われました。そして石丸さんのリトミックの指導がなされました。
学校の校庭には仮設住宅が15棟ほど建てられており、校庭の3分の1ほどを占めています。
町の海岸沿いの家々は全部流されており、土台だけが見えます。しかし子供達の明るい声と笑顔には我々も励まされました。東京に帰りついたのは深夜に近い時間でしたが、気持ちには充実感がありました。
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by minoru_mogi | 2011-09-30 21:50 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 この9月13日に国立の石丸由里さんの音楽教室に、ワイズメンのグループ8人が集まり、宮城南三陸町の名足小学校に寄贈する予定の楽器を磨く作業を行いました。これを実施する武蔵野多摩ワイズメンズクラブの5人に八王子ワイズメンズクラブより私が一人加えてもらい、9月26日より南三陸町に楽器の寄贈に同行することになりました。これらの楽器は皆石丸さんが、周りの音楽関係者にお願いして集めた品々です。
その石丸さんの教室に行くと、集めたエレクトーンやオルガン、ビブラフォン、ドラムが何台も置かれてあり、それを音が正確に出るか確認してから、汚れている部分を特殊なスポンジで磨いてゆきます。1時半より5時まで皆で頑張り、楽器をきれいに磨き上げました。
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26日には新幹線で仙台に行き、翌日レンタカーで海沿いの被害を受けた名足小学校に行き、楽器を引き渡すと共に、石丸さんの音楽教室を行う予定になっています。
 私は前々より、東北の災害のボランティアに何らかの応援に出かけたいと考えていましたが、若い人の様な片付けの作業等はとても出来ません。そこで銀座クラブが盛岡に出掛けて、やきそばの無料料理配布を行っているので、そのグループに加えてもらうようにお願いしたところ、夜の12時前後に銀座を個人の車で出発して、明け方に着き、仮眠をして、食後に仮の屋台を開き、食材が無くなるまで行い、それが済んで今度はその足で東京に帰るという強行軍にスケジュールでした。若いメンバーの多い銀座クラブだから出来ることで、とてもついて行ける自信が無く、この話は中止しました。
しかし我が八王子クラブではその一日の食材費3万円を会合の折に募金して銀座クラブに送り、やきそば配りを託しました。それと同時に八王子ワイズメンズクラブの人達と中央大学の学Y学生10数人の応援を得て、八王子駅前で街頭募金を行い、その全額を仙台YMCAに送り支援を続けています。
今回の訪問で、東北の被災者の方々がいかに大変かが良く判ると思えますし、併せて子供達のその後の様子も見てくることが出来るので、大いに期待をして出かけたいと考えています。
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by minoru_mogi | 2011-09-25 15:14 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 今迄、仕事に関する事はあまり書かないで来たが、少しそれに関する事も書いておこうと思う。新宿の百貨店で紳士服部に配属になり、最初の支店である町田店へ新規出店時に課長として赴任した。
町田では以前より出店している全国的有名店D社と当社より後に出店してきたT社との競合となった。開店より5年を経て、私は部長代理となり紳士服部を任されていた。それまでには紳士服部の全係りを経験していたので、顧客の紳士服を購入する時期を予測するソフトを考えようと思った。
 その頃のコンピューターは冷房の良く利いた大きな部屋に、大型のニヤック(NEAC)が置かれ、専従のオペレーターがその情報を入力していた。コンピューターの性能が上がり、その頃からオフィスコンピューターという机ほどの大きさのものが出てきた。そこで、会社の休みの折に電機各社のショールームに7・8人でそれらの性能の確認に幾日も出掛けて調査した。そしてこの機械を導入して顧客管理を進めようと考えた。
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 私は紳士服の購入に関してそれを買い換える時期は必ず予測できるとの仮説を考えた。
先ず、 ① 営業であるか事務職であるか  ② 対人営業か技術営業か ③ 服装が営業に重要と考えるか否か ④ 通勤に自転車を使うか否か ⑤ 最近体型が変わったか否か等を含めて、毎年買っているか、一年おきか、ズボンを2本作るか等の分析をすれば買う時期は事前に特定できると推定したのである。
そこで、8000名の注文服イージーオーダーの開店から5年間の顧客名簿から、継続して注文のある200名を抽出して更に詳しく分析してみた。色、柄、価格帯、普通品かバーゲンか、担当技術者名、販売担当者、冬・合・夏服の違い、等もグラフや数字で分析していった。
その結果多い人は5年間で8着くらい、一般的には3着くらいの受注があることが判明した。
そこで、この分析を基にシステム開発部長と図り、NECのシステムエンジニアと顧客管理プログラムの開発を始めた。私はコンピューターの概念の勉強は常に研究していた。また部下に事務機器の経験者がいたことも幸いした。
 半年後そのソフトが完成し、同時に8000名のデータベースの入力が済み、初めてそれによるDMを2000通発送して受注会を開催した。すると、その結果60着300万円と通常の5倍の受注率を示し大成功に終わった。それと同時にDM作成の残業が大幅に削減された事も大きかった。次には紺系の背広のみを作る客に、紺の色で無地、ストライプ、チェック等の10柄を特別価格で提供して又大きな注文を得た。一連の成功は事前に相談していた専務が大いに評価してくれて、部長会で紳士服部が大いに褒められた。またその後そのソフトの基本は本店を含めた注文衣料に導入された。
 このNECのソフト開発費は500万円であった。しかし、暫くしてNECより次のような申し出がなされた。「もしこのソフトの著作権を譲ってくれるならば、開発費を0としましょう」という。
私は即刻「OK」と答えた。「次にはもっと優れたものを開発して見せます」と。
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by minoru_mogi | 2011-09-17 15:27 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 正しくは「空海と密教美術展」であり、平成館での展示会です。この展覧会の準備には7年間を要したと関係者がラジオで話しておりました。空海は真言宗を起した僧で、我が家も代々その長谷寺派の寺に関係してもおり、やっと少し涼しくなった9月8日上野に出かけました。
昼近くなので上野広小路のライオンでゆっくりと昼食とコーヒーを楽しみゆっくりと上野公園を西郷さんの銅像を見ながら登ってゆきます。
すると平日にも拘らず人の流れが博物館の方向へ流れて行きます。1時過ぎに博物館に着くと平成館の外の入り口に長い人波が400人位並んでいます。このような混雑振りは想定してはいませんでした。快晴の炎天下30分待ちの看板があり、日傘が用意されておりそれを差して待つこと20分以上でやっと建物に入れました。しかし入り口から人波が続き展示台の前には殆ど立てない状況です。
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 空海自筆の書や本が続き、曼荼羅などが掛けられており、後半の部屋には仏像が沢山展示して有ります。展示物は往時の国立の寺である東寺の仏像や神将が多く、続いて醍醐寺のもの仁和寺が多くありました。その他奈良の吉野の金剛峯時や神護寺の仏像の立派な立像が続きます。また法具も沢山出品されており、その由来がわかりました。
平安1200年の昔の息吹を感じることが出来、その出品物は国宝又は重要文化財の比率が98.9%に及ぶというのも、7年もの準備期間が必要であったということが理解できました。
 この展覧会を見るのに招待チケットを入手しようと新宿のチケットハウスを3軒回っても全部売り切れであり、上野広小路でやっと入手しましたが、入場料1500円であるところが何と1480円であり、普通10%から20%安いのが普通であるのがいかに人気の展覧会であるかを実感した訳です。
9月19日の敬老の日は入場料無料と書かれていましたが、人々が押し寄せて待ち時間が1時間も2時間にもなる事でしょう。他人事ながら心配になりました。
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by minoru_mogi | 2011-09-11 16:47 | 随想 | Trackback | Comments(1)
 大学時代に私は色々な委員会に参加していた。それらは文化会の総務、英語会の部長、ゼミの幹事、学校祭の委員、卒業アルバムの編集委員である。
卒業アルバムの注文は4年次の春より始まった。その編集には文化会メンバーの同期3人でやることになり、卒業予定者は460人の内380人の方から申し込みがあつた。秋より編集が始まり、専属のカメラマンが春から学内行事の写真を撮り、ボート大会や野球の対外戦、学園祭などを撮りためていった。また、個人の写真とクラブの集合写真、ゼミのものと順次に集めていった。
 編集は新宿の出版社に出向いて毎回行われた。ページの割付、どれを拡大写真とするか、カラー版はどれか決めることである。卒業式当日アルバムは生協が引渡しを担当することにして、一冊50円の手数料で、引渡しカウンターを卒業式が行われる体育館前に準備した。
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卒業式が終わり次々に卒業生がアルバムの引き取りに来る。3000円での代金引換である。当時のその額は今であると3万円近い額であると思えるものであった。大半の引渡しが済んだが、まだ机の上には沢山のアルバムが残っている。結局380部を用意したが引き取りは280部で当日は100部も残ってしまったのであった。
全く困ったことになってしまった。そこで我々3人は卒業したが、その後の始末を考えなければならなくなった。そして卒業した学生の親に向て7月にダイレクトメールを発送することにした。しかし、100通のメールの反応は全く無いに等しいものであった。
出版社に対して大きな責任があり、かなりの額の弁済が必要になると考えられた。我々の初任給は16000円であり、弁済の金額を半額としても15万である。
 困った我々は9月に出版社を訪ね、担当課長と専務を前に経緯を話し、結論をどうするか相談にのってもらった。
専務が言った「卒業してまで販売しようと努力してくれた事に対して、皆さんに責任を取ってくれとは言えません。アルバムの今後の処分については私どもで行います。」との言葉であった。
「助かった」というのが本当の実感であつた。
その課長が社長のご子息であったことも幸いした。私が新宿の百貨店に勤めてから、その当時の課長が社長となり、私のお得意様となりお中元・お歳暮には多額の注文を私にしてくれた。今も私に音楽会の招待券を送り続けてくれている。本当に嬉い事である。
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by minoru_mogi | 2011-09-03 19:21 | 随想 | Trackback | Comments(0)