山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

<   2009年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 先週、高尾山の薬王院で精進料理をいただく機会があり、そこからの下山の折にまだ通ったことのない蛇滝への道を下ってみました。その滝では修験者のみそぎが行われる修行者の建物もありましたが、滝の水は僅かなものでした。
小仏より下って来る道に合する車道へ出る手前で、そこに思いがけぬ高い高速道路の建設鉄塔とクレーンが目前に現れました。この工事は関越高速と中央高速道が圏央道にて繋がり、今後そこから更に相模原市を経て東名高速道へと続くトンネルへと入る橋脚工事です。その先には樹木が全部切り払われた山腹が見えており、その山腹を貫くトンネル工事が着手される直前でした。
d0059661_21284671.jpg

 この高尾山の下を貫くトンネルには自然保護団体の工事反対運動もあり、駅頭でのパンフレットの配布もありました。昨年には中央道と関越道が結ばれ、上信越方面への車が増えましたが、まだほとんどガラガラという状態です。やはり本来の東名から常磐道まで5路線が連なってこそ、その機能が十分に発揮されることになります。まだかなりの年数を要する工事ですが、その時の経済効果と都心部の排気ガス削減効果は大きなものが期待できます。
確かに工事の既に終った中央道北部の滝山城址のトンネル工事のある山では、枯れかかつた木も散見しました。多分工事の影響を受けたものとも考えられます。
自然環境の保護はもちろん大切なことですが、時代の先を考えれば炭酸ガスの排出を減らすこの計画も、双方のバランスを見ながら出来るだけ早めに進捗することを期待したいものです。
[PR]
by minoru_mogi | 2009-06-25 21:30 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 色々な山の案内書を見てもこの山は全くといつて出ておりません。地図上では権現山から高指山を経て不老下バス停に出る下りルートの中の通過点として下りの時間が記入されており、南に少し視界ありとだけ記されています。国土省の地形図でも登山ルートは判然としていないのです。そこでインターネットを調べてみると、車で出掛けたグループの3月の記事が見つかり、それを基に登山計画を作りました。
上野原駅よりのバスは8:42発の不老下行きですが、5人ほど乗った客で登山者は私の他に40歳代と見えるもう一人だけでした。終点の一つ前の甲東小学校で下車したのは私と年配の夫人だけです。バス停付近を見渡しても登山道の案内表示は全く有りません。ブログの情報で小学校の校庭に沿って行くと、そこに目立たない表示がやっと出てきました。
d0059661_104564.jpg

                     山頂より開けた南の光景
このコンクリート舗装の道は林を抜けてかなり急に登っており、20分程で10戸程の集落に入り、東光寺というお寺が有りました。さらに道をくねりながら10数分行くと、また小さな集落です。高度計を見るとバス停の標高200mから350mまで登って来ており、南には丹沢の山々が見られます。
 家が無くなる所から山道に入りますが、古い道標が倒れてあり文字は全く読めません。少し行ったところで山道の草を刈払機で刈っている年配者に出会いやっと確認出来ました。その方が言うには子供の頃は馬を連れてこの道を不老山の山頂近くまで行き、そこで薪を積んで行き来した道であつたと言いますが、今は草が繁り登山靴の痕などは全く見られません。湿度の高い檜林の急坂が続き思ったより遥かにきつい山です。山頂手前で一度なだらかになったと思った次は固定ロープを掴んで登る急傾斜があり、やっと11:30に山頂です。
 そこには山名の柱とベンチが2個設置してありました。そこからは南面が110度くらい開けており、下には中央高速の談合坂サービスエリアや大野貯水池が見え、山々は丹沢から富士山まで見える筈ですが、富士は雲の中に隠れておりました。山頂付近は檜の恩賜林ですが、南面のそれは70~80本くらいは切り倒され20センチくらいの切り株が沢山有ります。先ほど出合った方によると集落の人達が視界を得る為に無断で伐つてしまったそうです。その事が営林署で問題となり上野原の市長が始末書を出して謝罪する事になったと笑いながら話してくれました。
今でも年に3回集落の人たちで山道と山頂付近の草刈をしており、市の観光課から助成金が3万円ばかり出るのだそうです。不老山との山名が良いのでPRを始めたとも言っておりました。しかし、それには道標の整備が先ず必要なので、登山口にでもその目的を記して登山者からの募金をお願いする募金箱でも設置したらいかがと考えたものです。
[PR]
by minoru_mogi | 2009-06-17 10:09 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 東京都の指定名勝公園で訪ねたことのなかったこの公園を、都内での会合に出る前の時間を利用して立ち寄りました。大江戸線で白川清澄駅より公園は直ぐなのですが、地下鉄大江戸線のホームは地下深くにあり、階段で地上に出るまでが大変でした。(エレベーターやエスカレーターも有ると思いますが) 
入場券を買い園内に入るとすぐに池が広がり、その中に幾つかの島があります。冊子を見ると明治の代表的「回遊式林泉庭園」とあります。しかし、その謂れでは江戸の豪商紀伊国文左衛門の屋敷跡と伝えられており、後に下総の国久世大和の守の下屋敷を経て、明治11年(1878)に岩崎弥太郎がこの地を社員の慰安と貴賓の招待場として、明治13年(1880)に「深川親睦園」を開園したとありました。
d0059661_1131815.jpg

その後も、岩崎家の代々の方々が手を加え、自社の汽船で全国の名石を集めて配置したようです。大正記念館の前には美しい芝生が広がり、池の端には手入れの行き届いた松が茂り、水際には石が沢山配されて、磯渡りという石の上を渡って回って行けるのです。
その庭園内の石の数と種類の多さは他の庭園ではまず見ることが出来ないものでした。
広大は池の中の岩には40センチ程の亀が岩に上がっていましたが、私は最初それをあまりに大きいので銅製の飾りの像と思って見ましたが、暫くすると首の向きが変わっており、生きている本物であると気付いた訳でした。池に中の岩には他にも海鵜が休んでおり、真鴨もおり、周りのビルも見える街中とは思えない一角でした。丁度菖蒲も盛りでしたが、その広がりはあまり広くなく他の園の方が優れているとの感想を持ちました。
 続いて歩いて5分くらいの深川資料館に足を向けました。外から見て小さな資料館だなーと思いましたが、入ってみると地下室を有効に利用した江戸時代の深川の町屋が再現されており、なかなか良く出来ており生活者の匂いまでが感じられるようです。
落語好きの私には、熊さん、八さんの長屋がここであったか、若旦那の出入りした船宿とはこの様なものであったか、今までの想像とはかなり違っており、本当に質素な江戸時代の人々の生活が手に取るように理解出来ました。(ここは7月1日から1年間改修で休館です)
d0059661_1132989.jpg
その後で芭蕉記念館にも行きましたが、4:30までの入館に間に合わずに次回となりました。
 いかにも下町らしい家の前の植木鉢やプランターが置かれていましたが、稲までこんなに置かれているのには驚きでした。
[PR]
by minoru_mogi | 2009-06-11 11:37 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 5月の末、例年行っている老人ホームの裏山の斜面での草刈ボランティアを、中央大学の大学生とYMCAの若者達と一緒に実施しました。私は定年後には高齢者や身体不自由者のお手伝いをしようと、定年前から決めており、そのために定年2年前から或る奉仕活動を目的としたグループのメンバーになりました。その外に盲導犬育成協会の支援活動をしています。
 作業の当日は晴天で雲も多く暑い日でしたが、朝9時に多摩シルバーセンターの広場に全員で24名の男女・老若約半々の人たちが集まりました。若い学生さんの中には鎌を使用した経験が無い人もおり、先ずは安全のための説明からです。エンジンつきの刈払機も2台用意されベテランのクラブメンバーとYMCA若いベテランが担当します。
d0059661_11461463.jpg
 直ぐに作業に掛かりましたが、かなりの傾斜のある斜面を下から刈上がって行くのですが、篠竹やススキ、山桑や葛の蔓が繁りその刈り込みはなかなかに大変です。
これらの作業の為に、会で草刈鎌を多数用意して、それらを事前に良く砥いでおかなくてはいけません。私がその担当であり、1ヶ月前くらいより歯のこぼれた鎌を先ず粗砥石で研ぎ、刃こぼれを磨り落として、次に中砥で刃を付けてそれを仕上げ砥で仕上げます。これには1丁で30分くらいは掛かる仕事であり、なかなかに大変な準備作業なのです。しかしこの鎌の切れ味が作業の進み方を左右します。
 9時より1時間半みっちりと作業をして10時半より休憩としました。この頃には皆汗まみれで、冷たいウーロン茶で生気を取り戻しました。11時より1時間更に働き12時で昼食休みとなり、会員の女性メンバーが買ってきてくれた弁当は、若者にはカロリーの高いスポーツ弁当、中高年の我々には具沢山のごはんでした。
火照った体をホームの冷房のある部屋で冷やして、やっと人心地がつき1時間も直ぐに経ち、また午後の作業に入りました。
 昨年は人員不足で作業が出来なかった斜面を若い人達が中心になり刈り拡げて行きます。硬くなった篠竹は刈ると言うよりは叩き切ると言う方が正確と言えます。学生さんの1人が私に言うには「これは草刈ではなくて藪刈りですね」とは実に的を得た表現であると感心しました。
d0059661_11421894.jpg

丁度2時となり、作業の進行状況が90%近くとなったので、私より皆さんに作業の終了を告げました。やはり疲れが溜まってくると手の握力も落ち、暑さも加わり集中力がなくなり危険が増すことを考慮しました。
冷たい水とアイス最中で元気を回復して皆さんのご苦労に感謝して解散としました。
 若者達と一緒に作業をしていると、やはり彼らに負けたくないとの気持ちになり頑張ってしまいます。ですがその結果、翌日はグッタリして何も出来ず、2日目になっても何もやりたくない思いでした。70歳以上はやはり老人なのだと実感した次第です。
[PR]
by minoru_mogi | 2009-06-04 11:50 | 随想 | Trackback | Comments(0)