山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2009年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧

  前日の降雪があつた翌日の日曜日は、寒い日ながら快晴無風、視界良好で山の樹には軽い雪が乗った美しい山姿を見せてくれていた。御嶽駅から滝本のケーブル駅行きのバスには、新宿よりの直行奥多摩ハイキング号で来た6・70人が2台のバスで山へと向かった。終点から山上まで杉林の中を歩いて登る人達も僅かにはいたが、大多数はケーブルで山上駅を目指す。
その山上駅前の展望台からは素晴らしい視界が広がり、日光連山が実に良く眺められる。私が奥多摩から見た一番クリアな姿であった。富士山型の男体山、その左には太郎山、右には女峰山、左に少し離れて日光白根山が白く輝いている。
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10時頃よりケーブルの山上駅でスパッツを付けてゆっくりと歩き出し、日の出山へ向かうと昨日降った雪が杉の枝からパラパラと落ちてくる中を進み11時過ぎには山頂へ到達した。
そこよりは関東平野が南に開け、右方遠方には三浦半島の低い丘陵が判る。北側には鷹ノ巣山の右には広い肩幅の川乗山があり、左遠方に飛龍山の稜線を垣間見る。
12時に近づくにつれて山頂の人数が増えだして4・50人にもなってきたので、南面を上養沢へと下り始めた。沢筋を歩いて舗装された林道へと出て暫く行くと、この川筋の最奥の20戸ほどの上養沢集落に出た。そこには兜作りの大きな屋敷が山の傾斜地などに数軒見受けられる。
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バスの出発まで20分近くあり、泥で汚れたスパッツなどを外し、日当たりの良い石垣の上で日光浴をしながら、近くにいた工事現場の整理員と話すと、「この辺は1日2時間しか陽が射さない」と言う。左右を見ると山に囲まれており、南にも高い峰がある。       雪の華の道
私達は丁度その暖かな日差しの中に出てきたのであった。やはり山の奥の生活は大変なものであると実感出来た。しかし、そこからバスで下る川沿いの道はマス釣り場が続き、夏の季節に涼しい木蔭を提供しているであろう事を認識した。十里木で桧原街道に出て武蔵五日市へはまだ日の高い2時半過ぎに着いて明るい時間に家へと戻った。
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by minoru_mogi | 2009-01-26 16:04 | 歩いた山 | Trackback | Comments(1)
 最近の高尾山(599m)の人出は報道に依るとミシュランに書かれた効果で、昨年11月23日には最高の7万人に達したと書かれていました。大多数の人は薬王院までで、山頂までこの人達の多くが行ったとは思えませんが山頂の臨時トイレの待ち時間が数十分であったと書かれていました。山と言うよりは観光地と言った方が良いのでしょう。
 私は静かな山歩きが好きなので、この5・6年は高尾山には山歩きに出かけたことはありません。しかし、高尾山の南に連なる南高尾の400mくらいの低山には冬場によく出掛けます。
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今年も正月の食べ過ぎで体重がやや増えた様子なので、その調整も兼ねて7日の七草粥を食べてから家を出ました。
高尾駅で下車し、南口から淺川小学校へ向かいます。何時もはその先の80段位の石段を上がりますが、ロープが張られて通行禁止の表示です。この道は初沢山の登り口で、初沢城址を経て登山口に取り付く道なのです。
困った私は何とかしてその登山道へ行ける道が有りそうな初沢川に沿って上流部へ住宅地の中を20分ほど歩いて行きました。霊園の手前の道路工事現場で警備員に「ここより山側に登れる道がありますか」と尋ねると、「それは分らないが登山者が先に行きましたよ」と教えてくれました。次にお寺の社務所の所で男の人に聞くと、「これより先は山道にはフェンスが有り出られません」との答えが返ってきました。
止む無く、すこし戻り民家の中に上に行く道がありそれを進むと上のほうから降りてきた人に出会い聞いてみると、上の台地に行けることが分り、さくら階段という130段くらいの石段を一気に登ります。そこでやっと以前より知っていた道に出て山道に入ります。
その入り口には小さな表示で「城山湖・峰の薬師方面」とありました。近くにはイノシシの罠を仕掛けてある注意書きがあり、山道を外れて林には入れません。
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ここからはクヌギの林の中を左に拓殖大学の広大な校地を下に見ながら、小さなアップダウンの繰り返しです。高圧線の鉄塔に出て昼には少し早いのですが何時もの如くここで昼ごはんとしました。昼食と日光浴で40分程費やして体が冷えてきたので出発しました。
この道のピークにちかい視界のあまり良くないこぶを越すと、今度は四辻を経て高尾山口駅へと向かいますが、木の間には薬王院が見え隠れしています。
歩いてきた山道は全く静かでクヌギの落ち葉で覆われカサコソと自分の歩く音だけで、他には空からヘリコプターの音がしてくるだけで、私は殆ど歩く人の無いこの山道が大好きです。
全体で3時間ほど歩き高尾山口駅に出て来たのは1時を少し過ぎた頃でしたが、高尾山のケーブルに近い土産屋には多くの人達が土産物を買っていました。
知る人の少ないこの山道は冬の低山歩きの魅力を堪能できる大好きな山道なのです。
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by minoru_mogi | 2009-01-12 12:43 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 先日、新聞の片隅に「日本への留学生数、過去最多」の記事が載っていた。
1983年に中曽根内閣が打ち出した「留学生10万人計画」は2003年に達成するまで20年を要したとある。2008年の5月の集計では12万3824人と過去最高となり、07年比5311人
(4.5%)多く、大学間の交流協定に伴い短期留学生が増えた事が大きく影響しているという。
国別では中国72,766・韓国18,862・台湾5,082・ベトナム2,873・マレーシア2,271などであり、受け入れ大学では立命館アジア太平洋大学(別府市)の2,644・早稲田2,608・東大
2,388・大阪大1,459・国士舘1,356人と続く。短期留学生は9,756人と昨年比16.6%増えたと記されている。国では2020年をめどに30万人の目指すともある。
 私がいた小規模の大学では、100数十人の留学生がおり、色々な機会にモンゴル・中国・台湾・ベトナム・マレーシア・オーストラリア・イタリア・からの学生達と話した事がある。
毎年10月に催される大学の流通業界のOB達のパーティに在学生の就職支援の一環として、OBと流通業に関心を持つ学生との交流会も併せて行われている。昨年のその折にマレーシアからの学生に2年ぶりに出会った。彼は大学1年次と今回の3年次に参加していた。
私は最初会った時の彼との会話で彼がペナンの出身である事を覚えていた。
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彼のゼミの親しくしている教授に相談して、彼を私の自宅に招き食事を一緒にしたいと言うと、是非そうしてあげて下さいという。私も幹事をしているそのパーティに二度も参加したことに興味を覚えたからである。
そして一諸に食事をすることを約束し後日連絡する事にした。我家では10年ほど前にもフイリッピンの大学卒業の若い女性を、日本での大会に参加するので来日した折に約1ヶ月ホームステイを受け入れたことがあった。
12月に入り英文のメールにて招待日と待ち合わせ場所を発信したところ、彼から戻った返事は上手な英文であった。その当日犬の散歩を兼ねて近くの駅に出迎えに行った。彼は招待のメールが英語だったのに驚きましたという。
家に着き家内と挨拶し夕食を挟み3時間くらいお互いの話を楽しむ事が出来た。去年の夏まで私の娘はシンガポールに在住して、いつもゴルフなどでマレーシアに出かけており、その話で少しはマレーシアの知識を得ていたが、話してみると普段英語も話し、自分は中国系なので漢字が判るので日本の生活は困らないという。そして今は新宿でアルバイトを5時半から11時までしているとも話した。
彼の出身地はペナンであるが島の方ではなくペナン州の半島側であるという。そこで、グーグルアースで衛星写真を拡大して見ると、バターワース市は工場群が広がり周辺部に住宅が見え、ペナン島は高層ホテルとコンドミニアムが沢山ある国際リゾート地であった。
4ヶ国語を操るこの真面目な学生さんにはこれからの国際社会で活躍する大きな可能性を予見した。
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by minoru_mogi | 2009-01-05 17:35 | 随想 | Trackback | Comments(0)