山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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伊豆下田 寝姿山 No217

 師走の下旬、或る下調べが目的で伊豆半島に泊まりで出かけてきました。来年春の旅行会の調査が目的でしたが、気分は忘年会旅行ということで、静かな温泉の13部屋の宿には我々4人のみです。
 下田市の観光スポットを見て回る予定でしたが、先ずは市街と港が一望に見える、駅より直ぐにロープウエイがある標高200mの寝姿山へ上がってみました。その山頂からは伊豆7島の色々な形の島並みが良く見え、眼下には下田港が自然の良港であることが良く判るきんちゃく形に広がる湾内には、観光船の外輪船が巡航しており、湾内から防波堤を越えて外海まで回ってくるのがよく見えました。
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 今の季節の下田では、爪木崎の水仙祭りが始まっており、時間の制約がなければ訪ねてひと足早い春を味わいたいと考えていました。
ところが、この寝姿山のなだらかな山頂部は日当たりの良い南面した緩やかな斜面で、そこにはスイセン・ナノハナ・パンジー・ビオラ・キンセンカ・ストック・アロエ等々が、山道の脇に良く手入れされて咲きそろっています。
特に目立っている花は、濃紫色のノボタンの一種で冬咲きのリトルエンジェルが沢山植えられており、今を盛りに咲いていました。この木は(これは草ではなく木です)1m~1.5mくらいですが、私のこのブログNo 168 に記されているようなものは見かけられませんでした。
この山上の花々は、もう春を思わすには十分な程に美しい光景を楽しませてくれました。
ロープウエイを下り下田港まで足を伸ばしてみましたが、やはり冬の海は淋しく、夏にこそ再来したいと思わせるものでした。来年は5月の黒船祭にグループで訪れる予定ですが、海の楽しみはその時のために残しておくことにしました。
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by minoru_mogi | 2008-12-29 17:25 | 随想 | Trackback | Comments(1)

明治大学博物館 No216

  先日、駿河台の明治大学博物館で開催された特別展 「氷河時代の山をひらき、海をわたる―― 日本列島人類文化のパイオニア期」 という展示を是非見たいものと、その最終日にやっと出向きました。今の新しく立派になった校舎に入るのは初めてです。
 群馬県に住んでいた中学時代、昭和24年(1949)に群馬の赤城山の麓で「岩宿遺跡」が発見されました。この発見者は当時は無名の考古学の研究家の相沢忠洋氏で、自転車で納豆売りをして研究していたのです。(この納豆売りは発掘の時間を得るために朝夕の販売となる仕事をしたと記してあります) そして、それまでは日本には存在しないとされた旧石器時代の存在を示す石器を発掘したのです。
その話を本人が明治大学の大学院の学生に伝えたところ、これをもとに明治大学の発掘調査がなされ、同年9月20日の毎日新聞の全国版に明治大学の教授の名で、大きく報道されたのでした。しかし、第一発見者の彼の名前はそこには書かれていなかったのです。
この発見の話には中学生の私にも大変興味を惹かれました。後に氏は吉川栄治賞を受賞し、その後宇都宮大学の講師になりました。このことは以前このブログに載せた牧野富太郎氏の話と二重写しです
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昭和44年(1969)に講談社より「岩宿の発見」という本が出版され(第一刷 390円)、これを読み大いに感動を覚えたものです。
 今回の展示会では、この旧石器を黒曜石の原石の出土地と移動分布から、その時代を読み取ろうとするもので、大きな展示会とはいえませんが充実したものでした。
特にその背景の3万年前後の氷河期は、日本列島は海水面が今よりも2メートルも低く、平地の気候も今の中高山帯の草原に針葉樹が低い密度で茂る今日のシベリアの様な様相であったとの説明でした。
日本でのこの黒曜石の原産地は限られ、長野県の長和町の山中や北海道、神津島などであり、近年栃木県の高原山の高地からも採取地があったことが判明しています。
私自身は縄文時代に興味があり、定年後直ぐに青森市の三内丸山遺跡を見に行き、その構築物に驚き、また、糸魚川のヒスイが運ばれていた交易の広がりを知りました。
これかも機会があれば佐賀の吉野ヶ里遺跡や島根の岩倉遺跡を訪ねたいと常々考えています。
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by minoru_mogi | 2008-12-17 15:31 | 随想 | Trackback | Comments(0)

影信山(727m) No 215

 快晴で無風の12月7日(日)に初冬の近郊の山を訪ねて影信山に出かけてみた。この山には子供たちが小学生の頃よく家族で歩いたものである。
日曜日とあって高尾駅北口のバス停へ行くと、小仏行きのバス停にはすでに6・70人が並んで居るのにはビックリ。臨時バス2台を加えて3台のバスが定時に出発した。
終点の小仏に降り立った人々の7割近くが小仏峠への道へ、残りの3割が影信山への道へと入っていった。辺りはくぬぎの黄葉がまだ茶色に輝き、初冬の山の風情が残っている。
ゆっくりと独りで登る私がこの同じバスで降りたグループの最後尾となり、小学校低学年の子供二人連れの親子4人と一緒に1時間半かけて山頂へ。
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雲ひとつ無い透明に近い空の下には都心部の高層ビル群が良く見え、南方向には丹沢の大室山の上に富士山の真っ白い雪姿がくっきりと聳え立っていた。11時の山頂であったが、温かかなスープを淹れて昼食をとっていると、登山者が次々に登ってくる。その数は100名を超える位となり賑やかになってきたので、12時前に座っていたテーブルを空けて小仏峠を経て小仏のバス停に下りていった。
中高年の20人位のグループに早い足取りで追い着くと、1人の女性が「急行通過」と声を上げて皆に伝えて、止まって道を空けてくれた。「準急が通過します」と私は声に出して小走りに一団の中を通り抜けた。
その勢いでどんどんと下ってゆくと、バス停には予定時間よりはるかに早く到着して、停車していたバスに乗り込むと5分もしないうちに発車して、高尾駅には1時近くに着き、今度は直ぐに中央特快に乗れて思いがけずに早い時間の2時には帰宅してしまった。
しかし、今日は腿の筋肉に少し痛みが出てしまい、下りの準急で急ぎすぎたと反省もしている。
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by minoru_mogi | 2008-12-08 21:37 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

佐渡のトキ No 214

 私は小学校6年の学芸会で、動物園の園長になりたいと発表した記憶がある。
その様に動物への興味はその後も続き,1973年(昭和48年)3月に平凡社から創刊された野生動物学の月刊誌「アニマ」を定期購読していた。この本のレベルは高く、監修は今西錦司氏と中西梧堂氏が当っており、往時550円の値段はかなり高い月刊誌であった。(1993年4月廃刊) その頃もう一つ別の本を年間購読でとっていた。それはアメリカの地学誌「ナショナル・ジオグラフック・マガジン」であり、まだ日本語版は無く丸善の輸入購読代は16000円くらいであったとの覚えがある。
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 その「アニマ」の創刊3周年記念号がトキの特集であり、1953年(昭28)にトキは能登に8羽、佐渡に22羽の生息確認の数字があり、能登では1971年(昭46)に絶滅の記述がある。
1975年(昭50)には佐渡に8羽と1羽の飼育となっている。その頃のトキは年々減ってゆき、またその生態も殆ど判っていなかった。
 今年9月25日、佐渡にて放鳥されたトキ10羽のその後は、時折新聞に載っているが、その中の1羽が新潟県の関川村に移り定着し始めている。
しかし、そこは冬場には2~3メートルもの豪雪地帯であり、採餌が難しくなり飢えが心配されている。12月2日の日経3面に大きな記載がある。その放鳥においては本土へ飛んで渡る事は全く想定になかったという。
 トキの飛翔力は思わぬ大きいことが分り、またその採餌では1日にドジョウで100匹も食べ、あまりの多さに池のドジョウが一気に減ってしまったとの報告もある。佐渡ではビオトープや水田に冬場も水を張り小動物を増やす試みがなされているが、新潟県ではその対策はとられていない。
私が小学生の頃は、冬の田んぼには水溜りが残り、そこへ人が近づくとドジョウが急いで濁った泥水を残し土の中に潜って消えた。
インターネットで頻繁にその後のトキの情報を見ているが、何とかして自然に回帰させたいものである。江戸時代には江戸近郊にもおり「トキ汁」の記述が残っている。
来年も10数羽の放鳥が予定されているが他の動物に襲われるものもおり、今も1羽が行方不明であるとの報告である。成功を祈りたいものである。
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by minoru_mogi | 2008-12-02 22:57 | 動物・昆虫・その他 | Trackback | Comments(0)