山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2008年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 今年のコスモスは例年になく綺麗である。その第一の理由は台風の直撃が一度も無く、幹が例年のように折れたり曲がったりしていないことである。
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家から1.5kmくらいのところに川幅10m、水流幅7mくらいの澄んだ流れの湯殿川があり、その川に沿って毎年コスモスが咲く。そこでは川に沿い1.5キロの間、川の片岸にコスモスが咲き誇っている。しかし、今年のそれは実に見事であり、その川沿いの道の途中には田んぼがあり、その土手にはマンジュシャゲの朱色が同時に咲いており、散歩には最適な小道である。ジョギングの人、自転車でゆっくり走る人、(私は自転車です)、ご夫妻でメタボ対策の散歩とのんびりとした空気が漂う。
昨今の高齢者が増えた事により、地域をきれいにしようという活動があちこちで増えており
、このコスモス通りもそれらの方々の努力によるものである。川に沿って設けられたフェンスのネットにこれらのコスモスは紐で留められており、まっすぐに伸びているので更に美しく映えている。
高齢化がもたらした心のゆとりのある環境作りは今までになかった豊かさを提供してくれるものであり、それらの方々の日常の努力によることを大いに感謝すべきものと受け留めたい。
後に読売新聞の案内で分かったことですが、八王子由井3小の子供たちが1997年から植えており、それ以来毎年町内会の方やボランティアの人達が種播き・手入れ・除草を行っていることが判明しました。感謝です。
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by minoru_mogi | 2008-09-27 22:50 | 随想 | Trackback | Comments(1)
 以前、仕事ではお台場のビッグサイトの展示会場には何度か出かけたことはあったが、ここ数年話題になっている新しい施設や変貌した街の姿を見たことがないので、船の科学館を見に行く機会に訪ねてみようと足を向けた。浜松町よりバスでループ橋を渡り台場地区へ入り、ゆりかもめに沿って進むとフジテレビの変わったビルや、総合商社のビル、新しく進出したホテル等が増えており、大江戸温泉もその先である。
目的の船の科学館は広大な駐車場やプールもある広々とした施設であるが、夏休みも過ぎた平日では、車もほとんど無く人影もまばらである。その建物に入る前に岸壁に係留されている宗谷と青函連絡船であった羊蹄丸を見る。宗谷は南極観測船として使用された船にしては
あまり大きくなく、隣の羊蹄丸に比して小さく見える。一方、羊蹄丸はクリーム色の船体が美しく、旅心を誘う姿である。
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科学館は海洋や船の歴史、交通史を中心に充実しており、見学に1時間半を費やしたがゆっくりと見るには時間が足りなかった。この館の一番の見所はその展望台にあった。そこからは東京港が360度見渡せ、お台場の施設が眼下に見てとれる。そこにはまだ幾つもの広い空き地があることが見えた。今回ここに来るまで気付いていなかった施設に日本科学未来館が近くにあり、次回は是非とも訪れたいと思った。
帰路はバスで有明コロシウムから越中島を経て、江戸からの下町である門前仲町へと出て地下鉄に乗って戻った。
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by minoru_mogi | 2008-09-21 15:03 | 随想 | Trackback | Comments(0)
この夏は暑い日が多かったが、例年の様な台風の襲来は皆無で9月中旬まできている。
50歳代の或る年の9月にお休みが取れたので、久し振りに那須の山歩きに出かけ、三斗小屋ら旭岳を歩いた時の事である。
朝家を出た時は、丁度小型の台風が房総半島沖の南をかすめて通り、まだ雨と風がかなり残っていたが、天気予報では天候は急速に回復して晴天を予想していた。9時頃に黒磯駅を降りた時はまだ小雨が残っており、茶臼岳の登山口まで行くと雨は止んだものの濃い霧がかかり山は全く見えず北風が強く吹いている。
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茶臼岳北面 画像左手鞍部が峠
1人でゆっくりと登ってゆくと、前方に4人の人影が見える。追い着くと60歳くらいの男性とその奥さんと思える50代の方、更に20~30代の女性2人の家族連れが歩いており、その男性のザックは昭和30年代のキャンバス地にパラフィン防水の古いキスリングであり、足元はキャラバンシューズである。久しく山歩きもしてなかった感じで少し気になった。
茶臼岳の稜線から三斗小屋温泉へ向かう尾根に近づくと、台風の余波の強風が吹きまくり、体を低くしながら溶岩の岩角を掴みながら、風が一呼吸する間に前に数歩進むのがやっとである。
峠の手前に来ると、40代の男性1人と先ほどの家族の4人連れ、そして後から追い着いてきた20代後半の男性と私の7人が前に進めずに溜まってしまつた。
雨は止んでいるがガスがかかり、前に進もうとしてもこの烈風では右手の谷側に吹き飛ばされそうで、岩陰で風を避けてじっとしているのがやっとである。しばらくはそのままで様子を見ていたが、風は治まりそうにはない。しかしこの先の地形は以前何度か歩いており良く分かっている。
そこで、私が他の人たちに提案をした。「ここの峠さえ越えれば、この風が心配になる場所はありません。みんなでスクラムを組んで体を低くして越えましょう」と。
お互いにラクビー選手のように横一列に腕をしっかりと組合い、烈風が「ビュービュー」と唸る中を頭を下げ体を低くして、瞬間の風の息の合間を見て一歩ずつ進む。そしてやっと峠を越える事ができた。三斗小屋への道を下り始めると青空も出てきて、皆またバラバラになった。若者が私と一緒に行きましょうと声を掛けてくれ、宿も決めてないというので一諸の三斗小屋温泉の煙草屋に同宿することした。
翌日も一緒に出発して大倉尾根より朝日岳(1896m)へと登り、山頂付近で昼食をとった。
すると、草むらの中にビールやジュースの缶が落ちている。そこで、大きなビニール袋にそれらを拾いながら下山を始めると、若者も私と同じように拾って手に提げてくれる。歩いてゆくうちにその袋は両手となり、空き缶がガチャガチャと音をたてて歩く事になった。
すると、登ってくる登山者の人達が、「ご苦労様です」と声をかけてくれる。多分私達二人は山の監視人と思われているのではないかと思った。でも、これには大変気分を良くして連れの若者と足取り軽く登山口の空き缶集積所へこれらを持ち帰り、小さな満足感を覚えたものだ。この時期になると時折思い起こすことである。
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by minoru_mogi | 2008-09-14 16:36 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

浜離宮恩賜公園 No202

 今年の残暑では山への興味は全く湧かないので、水辺の方へ足を向けることにして、浜離宮へと出掛けてみた。8月末に都内の特別名勝大名庭園の詳しい歴史の話を聞いて、その中で私が今までに唯一訪ねていないこの園をかねがね行きたいと思っていた。
しかし、私自身では以前この庭園を訪れていたとばかり思っていたのである。それは、浜松町駅を下車して東側に位置する「旧芝離宮恩賜庭園」をかなり以前にアメリカ人女性を案内して訪れたことがあり、正確な庭園名を確認していなく勘違いしていたのである。
地下鉄の大江戸線「汐留シオサイト」で降りると、そこの広大な地下駅のコンコースでどちらへ出たら良いかなかなか分からずやっと地上へと出ると、そこには電通の個性的な形の高いビルが聳え立つコンラッドホテルの前に出た。園はそこから7・8分で着いた。
石垣のある大手門から園内に入ると実に広い。その汐入の池越しの背景には高いビル群が並んでいる。
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園内には300年を越える松の木や、吉宗ゆかりのトウカエデの大樹が池の周りに繁り、涼しい木蔭を作っている。池の中の御茶屋には御台様も休んだという建物が復元されていた。

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→ 園内の大きなサンゴ樹 実がびっしりと付きサンゴの色をなしている
園内を大半巡り船着場へと来ると、そこへ丁度浅草より水上バスが来た。ここで急遽予定を変更して、これ幸いとこの船に乗船し、日の出桟橋を回ってから浅草へと隅田川を遡ることにした。日差しの強い日ではあったが、川風が心地よく40分ばかりで浅草の桟橋に着き、残暑の日ではあつたが有意義な1日を楽しむ事が出来た。
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by minoru_mogi | 2008-09-06 14:44 | 随想 | Trackback | Comments(1)

牧野記念庭園 No201

 植物学の泰斗、牧野富太郎博士は高知県の小学校も十分には行けずに、後年東京大学で理学博士号を受け、第1回文化功労賞を授与された人である。
日本の植物分類学においては、初めて分類と図鑑を完成させたものであり、牧野日本植物図鑑はその集大成である。
 その旧宅が練馬区により昭和33年より保存されており、現在大泉学園駅近くに区立庭園として一般に開放されている。植物に興味を持つ私としては遅すぎた感はあるが、先日の日曜日に独りで出掛けてきた。
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良く管理された庭園は種々の樹木と武蔵野の野草の下草が植えられていたが、今の季節には咲いている花は殆ど見られなかった。670坪の庭園は周りが自動車教習場に接しており、広々とした林のようである。
各種の展示物の中で自宅の研究部屋の旧宅が、高い建物に覆われて保存されており、その全くと言って清貧そのものの家屋には大変感動するものがあった。
 帰宅後、書棚の図鑑を改めて見てみると、それは北隆館の「牧野新日本植物図鑑」の名で
昭和44年出版の22版であり、価格は5500円とある。それ以前より欲しかった図鑑であつたが、これは年末の賞与の一部で購入したものであり、平月の給与から支払うには大きすぎる額であったと記憶している。その中の植物の白黒原画は全て博士の詳細なスケッチ画で満ちている。今でも原色の図鑑で色々と調べるが、最後には必ずこの図鑑を見ることを忘れない大切な書である。
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by minoru_mogi | 2008-09-01 15:49 | 随想 | Trackback | Comments(0)