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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2007年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 この12月6日に文京区の大通りに面した街を歩いていると、或る小さなビルの前の空き地にピンクの美しい花が満開の木が目に入った。この頃に咲く花は珍しいが、その木は2メートルを超えており、幹の太さも10センチ以上ある。今まで見たことがないのでデジカメに収め接写で花も撮っておいた。
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 後日、原色植物図鑑の花木編を調べてみたが、全くそれに近い似ているものを見つけることができなかった。その画像を何度も見ているうちに、確か沖縄地方にある花の葉に似ていることに気付いた。それを思い出そうとするがなかなかその名前が浮かんでこない。
しかし、私が知っているその花の色は濃紫色であり、その高さも1メートル以内であり、樹木の様な形状ではとてもない。
 その近い種類と思える花の名前がやっと判った。「野ボタン」である。そこで、ノボタンについてインターネットで調べてみると、原産地は沖縄から南はフイリッピンにかけて分布するとある。花色は薄紫や白もあることが判明した。


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さらにそれを調べてゆくと、ピンク色のものもあることが画像の中に出てきた。これらの中にこの画像に極めて近いと思えるものに「コートダジュール・ピンク」と「リトルエンジェル」がある。しかしこのどちらかで有るかは特定出来なかった。しかし両種ともに10~12月が花期とあった。そして、普段見かける「野ボタン」は「紫紺ノボタン」であり、ブラジル原産であると知った。
 今回、この様な南方系植物が東京で立派に冬を越して、この様な大木に育つのは、温暖化の証の一つであるとういことでもあろう。
by minoru_mogi | 2007-12-28 14:59 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)

師走の日本庭園 No167

 師走としては温かな上旬の日に都内の日本庭園の3箇所を回り下調べをしてきた。その目的は春に計画している「3大名・庭園めぐり」の企画をすることであった。
これらの各庭園は以前訪れてはいるが、それから時間が経ちすぎており今の姿を知らない事と、それらを歩いて巡る時の時間配分を考慮する資料を得ることが主目的でもあった。
先ずは駒込駅で下車して直ぐ近くの「六義園」を訪れた。以前10数年前に行った時は確か入り口は南側にあり、駅から4・5分歩いた記憶がある。しかし、今回は駅の直ぐ近く園の北東部に染井門という入り口があり、今回はそちらから入れる。
TVで庭園の紅葉がライトアップされている画像が流されていたこともあり、今年最後の紅葉を見ようと多くの人々が訪れており、特に1眼レフを携えたリタイア層が多く目に付いた。
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                        六義園
この庭園は柳沢吉保が隠居した邸宅の都営公園である。数種類もの鴨が遊ぶ池の向こうには美しい松の築山が広がり、良くぞ今日までこの姿を保存できたものと感心した。
そこよりは南側にある正門から出て、今度は地下鉄の千石駅を南に進み白山へと向かった。
白山下から少し上り坂で東洋大の脇を通り越して「小石川植物園」まで50分程歩く。
昼の時間なので入り口前の店で入園券とサンドイッチに飲み物を買い、園内で食べる事にして時間の無駄を防ぐ。ここは少し丘陵地となっているので、お店の主人が教えてくれたように先ず低いところを奥へと進み日本庭園に向かった。ここは六義園と違い入園者はパラパラである。この園は東大農学部の付属施設となっているためか、あまり良く知られていない様子である。
しかしこ日本庭園はなかなかに立派なもので、その後ろの深い森を背景に都内とは思えない静けさで、野鳥の声が沢山聞こえてきた。私は以前来た時は都電で白山から歩いてきた記憶があるが、多分50数年前の予備校生時代であったと思える。
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                  小石川植物園 日本庭園
この敷地は徳川綱吉の下屋敷であり、後に幕府の薬用植物園となり養生所が置かれ、「赤ひげ」の話しで有名な場所なのである。丘の上に上がると大樹が沢山あり、以前フィラデルフィアの「自由の鐘記念公園」で見た様な、根元の直径が1メートル以上のアメリカプラタナスの大木が何本も天空に聳えており、1時間近くの広い園内の散策と樹木の観察を楽しんだ。
 今度は門を出て更に40分ほど歩き飯田橋近くの「小石川後楽園」へと足をむけた。今回のこのコースを歩いてみると、東京都は南に大きく傾斜している事がよく理解できる。以前この後楽園に来た折に、JRの水道橋駅で降り、野球場へ抜けて入り口を探したがなかなか見つからずに一度諦めたことがある。飯田橋から直ぐとは全く考えつかなかった。
この水戸光圀も見ていた庭園はそれほど広くはないが良く手入れをされているのではあるが後楽園ドームが樹木の上に見えるのは少し残念である。しかし、今回は時間が無いので入り口まで行き入園はせずに飯田橋の駅に直行して帰路に着いた。
 今回の庭園は館林で育った私には大きな縁があり、綱吉は館林城主であり、柳沢吉保はやはり城下に住み、市内の大名小路(今は大手町)にはその屋敷跡の石碑が刻まれていたのである。
by minoru_mogi | 2007-12-24 14:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)

矢平山(861m) No166

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                        丹沢北部の山稜
 久し振りに以前一諸に山に出掛けたグループより山の誘いがあり、今までに歩いていない山なので友人と二人で出掛けて行った。丁度、晩秋の山を何処に見に行こうかと案を考えていたところであり、二つ返事で参加を決めた。前夜は関係するグループの早めのクリスマス会があり、そのパーティーの司会進行役でもあったが、ビールもワインも口にせず翌日の山歩きに備えた。
 12月9日(日)は快晴で風も無い。中央線で相模湖を過ぎると桂川沿いは深い朝霧である。しかし、下車した上野原はもう晴れ上がっていた。駅でいつもの友人たちに挨拶した中に、以前茅が岳で大変お世話になった女性も参加しており、その時の話しが出た。
実は、当日そのメンバーたちに私が今編集しているブログの165話の中から茅が岳と坪山の話しをプリントして持参したものを皆さんに配った。
バスは秋山川沿いに上流へと40分近く乗り、やっと登山口の下尾崎に着いた。そこより登りだすことになったが、私たち二人はグループの予定時間案とは別に約2割余分の時間である計画で行くので、同時に出発したが直ぐに皆は見えなくなっていつた。
このグループの山歩きに参加しなくなった理由は、単に私が最年長で皆さんのペースについて行けなくなったからである。
 山は今クヌギが落葉前のセピア色に近い茶色に映えて美しい。この周りの山々は闊葉樹が多く明るい山である。登りだして暫くすると三つ峠が見えてきて、尾根に近づくと富士山の頭が出てきた。尾根で一休みすると木の間越しに矢平山が良い恰好で見えている。広い尾根の深い落ち葉の中を進んでゆくと南アルプスの雪山が少しばかり見える。
山頂へはそこから急な登りとなり、岩角を掴みながら登るがなかなかにきつい。やっと頂上近くの平らな所まできたが山頂の三角点はそこからかなりは離れていた。また山頂は林の中で景色が良く見えずスケッチは向かない。その三角点を囲んで皆が昼食をとっていた。多くの人がコッフェルでコーヒーなどを淹れており、いい匂いである。私達は20分以上遅れて着いたようであるが我々もコッフェルで温かなスープを作りゆったりとした。
ところが、皆が当初の予定時間より早めに出発することになった。食後のコーヒーは諦めて降りならば皆に遅れることもなかろうと一緒に出発した。20分ほど歩いた所に林道工事で山腹を削った見晴らしの良いところへ出た。そこで皆には先に行ってもらい、丹沢の山並みのスケッチを始めた。15分くらいを掛けて稜線を描き、確りと観察して山の色の特徴を頭に入れた。四方津駅への尾根はゆったりと長く、歩いている内に皆に追い着いた。駅では予定より一電車早く乗ることが出来て4時過ぎには帰宅した。久し振りに昔の山仲間と歩いて楽しい一日となった。
by minoru_mogi | 2007-12-13 15:49 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

靴底の剥げた登山靴 No165

 この秋三頭山に登った後、靴についた泥を洗い落とそうとたわしで底の部分を洗っていると、ふと靴底のゴムと革の部分に隙間があるのが判り、手で少し押し開いてみるとパカリとばかり底が離れている。今迄全く気付いていなかったが、それは徐々に進行していたとみえ靴の脇のゴムが切れていたことは前々から気付いていたのであった。しかし、これが底が離れたことにより引き起こされたとは推測出来なかった。
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 このイタリア製の革登山靴は定年後2年目に購入し、以来7年間に亘り使用しており、スイスアルプスでも4日間歩き、マッターホルンの美しいゴルナグラート(3090m)からツェルマット(1600m)までも半日掛かりで歩いた思いで深いものである。
上部はしっかりしているがやはり買い替えねばならないかと考えたが、以前山の友人がやはり靴底が剥がれて直してもらったという話しを思い出した。
駄目で元々との思いで購入した三鷹の登山用具専門店へ持参し相談してみると「これはきれいに直ります」という嬉しい言葉が返ってきた。3週間程の時間と修理代が1万円で出来るということで、この愛着のあるクッション性の良い靴の修理を依頼して帰ってきた。
ほぼ1ヶ月を前にしてファックスで靴の修理上がりの連絡がきた。早速受け取りに出掛けてみると、その靴は全く新しい靴底になり、周りのゴムも新品であり見違えるほどになっていた。あまりの出来の良さに気分を良くしてその出来栄えを褒めて受け取った。
 家に帰りそれをしげしげと見ながら新しい靴裏のビブラムのゴムを圧してみると以前のものより柔らかそうである。「この柔らかさだと後5年くらいしか保たないな」と言うと、傍らに居た家内が「5年も保でば十分でしょう」という。私も苦笑してしまった。
しかし、先日蓼科の山のペンションに行った折に「私は75歳までこの北八ケ岳を歩くつもりでおり、これからもお世話になります」と言ってきたばかりである。
今年4月にハイキングを実施した折に80歳で白馬岳を雪渓から登ったという女性にお会いした。負けてはいられないという思いもある。
by minoru_mogi | 2007-12-04 19:40 | 随想 | Trackback | Comments(1)