山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

野火止用水と平林寺 No224

 以前より一度歩いてみたいと考えていた、玉川用水の小平から分枝して25km下流に延びている野火止用水路を、2月にしては暖かな22日の休日に歩いてみました。
武蔵野台地開拓のために1655年(承応4年)、川越城主松平伊豆守信綱が掘削した用水が今も流れを留めている姿と、彼の墓所の臨済宗妙心寺派の古刹、平林寺を訪ねるルートを逆にたどりました。
 武蔵野線の新座駅に10時を少し過ぎた時間に着き、整然と開けた駅前より、車の多い川越街道を南下して、クヌギの木々の間の堀を流れる野火止用水に沿って、先ずは平林寺に向かいました。市役所のビルの前を暫く進むと、右側には平林寺の寺域が広がり、左側の前方に「睡足庵」という有名な財界人であった松永安左エ門氏の3千坪の旧草庵のある庭園が新座市に寄贈されて公開されていました。ここまでは約1時間の道のりです。
d0059661_2130134.jpg
 
                     茅葺の立派な山門
そこよりは直ぐに松平家菩提寺の平林寺の総門があり、境内に入ると茅葺の山門、その先には同様の造りの仏殿、銅版葺きの本堂が一直線に並んでいます。この寺は禅寺であり、山門近くの説明文には禅僧の1日の行動時間が書かれており、午前3時の起床から夜10時の消灯までのスケジュールがびっしりと詰まっているのが判りました。
 寺域は6万坪と実に広大であり、国立昭和記念公園の約3分の1(56ヘクタール、昭和公園180ヘクタール)と境内はクヌギや赤松の多い武蔵野の森がそのままに残った風景です。
散策路の周りには日本スイセンが沢山植えられており、丁度花の盛りでした。
d0059661_1111924.jpg
代々の藩主の墓所は実に立派なものであり、それらが沢山並んでおり伊豆守のそれはどれであるか分りませんでした。お寺の中にも用水の分流平林寺堀の水が流れて水の豊な池があり、近くの梅林は白梅が盛りで境内では食事休憩を含め1時間近い時間を過ごしました。
 総門を出て寺に沿って進み、用水を遡りますと、今度は関東ロームの赤土を掘った水路ではなく、原野に土盛りをして用水路を造った高い流れの部分に出ます。その途中には道を横切るためにサイフォンで道の下を抜けてまた高い位置の流れに戻る箇所(明治時代の改修と後で聞きました)にも出会いました。
前々から気になっていたのですが、玉川上水の掘削の折の測量では、夜にローソクの灯を並べて測量したと書かれてありましたが、その頃の測量技術はこの水路を延ばしてゆくのにどの様な水準測量があったのか更に知りたくなりました。
 野火止用水本流から平林寺堀が分かれる野火止史跡公園を過ぎて、大きな街道に沿って御成橋を過ぎると、水路が暗渠になった部分が出てきます。この辺りでは水の中に中型の鯉も見ることが出来ました。
その後は開渠部分と暗渠が交互に出て続きます。2時を少し過ぎた頃に清瀬駅近くに着き、歩き出してより4時間、歩数計を見ると19300歩、12.7kmとなり、ここでもう十分と水路を遡ることを止めて、駅の南口から武蔵小金井駅行きのバスに乗り帰路につきました。
今後機会を見て清瀬より小平の玉川上水の分岐まで続けて歩いてみたいと考えています。
[PR]
トラックバックURL : https://onkuru.exblog.jp/tb/9394158
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by minoru_mogi | 2009-02-26 21:33 | 随想 | Trackback | Comments(0)