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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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H・シュリーマンが八王子を眺めた丘 No 122

 トロイの遺跡を1871年に発掘したドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンは、その発掘以前に藍の貿易商として大成功を収めた商業活動を1863年に停止した。そして、彼が子供の時からの夢であったトロイ国の遺跡を見つけるべく行動を起こすが、その最初は1865年に世界一周の旅へと出た。その旅の途中で日本も訪れその時の日記が下記の書名で出版されている。
即ち「シュリーマン旅行記・清国・日本」(講談社学術文庫1325)である。
 この中に外国人居留地の横浜から馬で出発して原町田村に泊まり八王子へ旅をした記述がある。この八王子へ入る手前に通ったと考えられる道が、今は「絹の道」として一部残っており、その入り口の近くに「絹の道資料館」が往時の絹の仲買商で豪商であった八木下要右衛門邸跡に建てられてある。この敷地内には異人館と言われた遺構も残されている。
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 この道の一番高い所がこの写真の位置であり、眼下の家並みは丘が整地されて今は住宅地となっているが、日記の中の文章はここよりの眺めの印象を書いたものと思われる。 「横浜滞在中あちらこちら遠出をしたが、特に興味深かったのは、絹の生産地である大きな手工芸の町へイギリス人6人と連れ立って行った旅である。」
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  右 絹の道資料館
6月19日(月)雨天
「田園は到るところ爽やかな風景が広がっていた。『高い丘の頂からの眺めはいっそう素晴らしいものだった。十マイルほど彼方に高い山々をいただいた広大な渓谷が望まれる』やがて八王子の茶屋に着いた。人口は2万くらい。我々は町の散策を始めた」とある。
帰国後の1866年にはパリでソルボンヌ大学にて44歳で考古学を学び、68年には博士号を取得し、同年にギリシャ・トルコを旅している。トロイ遺跡の発掘と発見は1871年のことである。
 往時の日本は和親条約(1854)を欧米各国と結んでより10数年で徳川家茂の時代であり、1867年には徳川慶喜の時大政奉還がなされた頃である。その前後には米国領事館の通訳ヒュースケンが1859年に港区で殺され、1862年の生麦事件では英国人4人が薩摩藩の侍に襲われ、1名は死亡、3名は傷を負って逃げた事件も起きている。 外国人にとっては大変危険な時代であった。また、横浜から出掛けられる範囲は条約により横浜から十里以内とされ、その北の40キロが八王子であった。
このことからしてもシュリーマンがいかに好奇心と探究心に富んでいる人であったかが窺い知れる。歴史に好奇心のある方にはこの書の一読をお薦めしたいものである。
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by minoru_mogi | 2007-02-02 11:10 | 随想 | Trackback | Comments(0)