奈良平城京の朱雀門と大極殿 No641
2016年 11月 20日
この11月14~16日にかけて、奈良旅行に1人で行ってきました。私は奈良の地は大変よく知っており、殆どの寺社仏閣はすでに歩いており見てあります。しかし、近年になって発掘された平城京の遺構を見ていないことと、初めて今迄経験のないユースホステルに泊まってみたいというのが目的でした。
JR
雨の中とあってか観光客は私一人です。この門より内側は宮殿部分であり、その最大の建物である大極殿ははるか北のほうに1kmくらい先に見えています。その間は何もない草地の空き地でした。その敷地はほんとに広大であり、南北1km、東西2kmというところです。そして今はススキの生えた原であり、そのススキは綺麗に刈り込まれていました。宮廷部分がこれほど広いとは思いの外でした。
大宝律令が701年(和銅1年)に制定され、710年に今までの藤原宮(694~700)から、たったの16年で都の地がこちらへ移ってしまったのです。そして北へ20キロメートル程のところに平城京が開かれたのです。そして平城京は74年続きました。
その朱雀門の前には路面幅70mの朱雀大路が南に3.8km続き、そこには羅城門がありました。その道幅は普通の大通りでも24メートルありました。この国際的規模の都には、礎石柱に瓦葺や、唐風建物や桧皮葺きの和風住宅があり、15~20万人の人々が暮していたようです。
翌日は朝から大極殿を見て回りました。この王宮の建物は実に立派な二層の建物であり、高い基段の上に築かれ朱色に塗られており、王座がすえられています。屋根の上には左右に大きな鴟尾(しび)が飾られており、中央には金色に輝く金属の飾り物が載せられてありました。そこには小学生の子供達が見学に来ていました。
藤原宮が何で16年で移ったかは謎で有るのですが、その建物の瓦などは平城京朱雀門にも再利用されたそうです。
この平城京は国の文化庁の元に復元工事が進んでおり、今日も各所で発掘が続けられていました。