人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

奈良平城京の朱雀門と大極殿 No641

 この111416日にかけて、奈良旅行に1人で行ってきました。私は奈良の地は大変よく知っており、殆どの寺社仏閣はすでに歩いており見てあります。しかし、近年になって発掘された平城京の遺構を見ていないことと、初めて今迄経験のないユースホステルに泊まってみたいというのが目的でした。

 JRの奈良駅よりは、小雨のぱらつく中を朱雀門へと1時間近く歩き、やっと草原の中にこつ然と聳える朱色に輝く朱雀門に到達しました。

奈良平城京の朱雀門と大極殿 No641_d0059661_10301542.jpg
                       朱雀門
雨の中とあってか観光客は私一人です。この門より内側は宮殿部分であり、その最大の建物である大極殿ははるか北のほうに1kmくらい先に見えています。その間は何もない草地の空き地でした。その敷地はほんとに広大であり、南北1km、東西2kmというところです。そして今はススキの生えた原であり、そのススキは綺麗に刈り込まれていました。宮廷部分がこれほど広いとは思いの外でした。

奈良平城京の朱雀門と大極殿 No641_d0059661_10003947.jpg
              大極殿

 大宝律令が701年(和銅1年)に制定され、710年に今までの藤原宮(694700)から、たったの16年で都の地がこちらへ移ってしまったのです。そして北へ20キロメートル程のところに平城京が開かれたのです。そして平城京は74年続きました。

その朱雀門の前には路面幅70mの朱雀大路が南に3.8km続き、そこには羅城門がありました。その道幅は普通の大通りでも24メートルありました。この国際的規模の都には、礎石柱に瓦葺や、唐風建物や桧皮葺きの和風住宅があり、1520万人の人々が暮していたようです。

 翌日は朝から大極殿を見て回りました。この王宮の建物は実に立派な二層の建物であり、高い基段の上に築かれ朱色に塗られており、王座がすえられています。屋根の上には左右に大きな鴟尾(しび)が飾られており、中央には金色に輝く金属の飾り物が載せられてありました。そこには小学生の子供達が見学に来ていました。

 藤原宮が何で16年で移ったかは謎で有るのですが、その建物の瓦などは平城京朱雀門にも再利用されたそうです。

この平城京は国の文化庁の元に復元工事が進んでおり、今日も各所で発掘が続けられていました。


by minoru_mogi | 2016-11-20 10:33 | 随想 | Trackback | Comments(0)