山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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佐賀 吉野ヶ里遺跡 No613

 長年訪ねて見たかった第一番の吉野ヶ里へとうとう行ってきました。
今回の旅行では長崎を見てから佐賀へと向かい、駅前のホテルに宿泊して、4月7日(木)に早くに電車に乗り吉野ヶ里駅に向かいました。
ところが、当日は雨が強く加えて暖かな南風で大荒れです。佐賀駅から各駅停車で15分くらいで吉野ヶ里駅に着きました。そこより遺跡に向かう北口に降り立ったのは私と家内だけです。あまり雨が強いので折りたたみ傘では濡れてしまい、大きなビニール傘を用意しました。駅よりは歩いて15分くらいとありますが、もちろんこの場合はタクシーを使用せざるを得ません。タクシーは駅に2台だけ停車しておりました。駅の北口の周りは麦畑が多く、青々ともう50センチにも育っており、穂が出ている畑もありました。
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 遺跡の入口には立派な建物があり、多くの観光客が来ても十分なように、そのバスの駐車場は100台は優に停められる広さでした。昨年は来場者が74万人であり、今まで最高の入園者数であったと丁度テレビで報じていました。当日はこの雨と風では来場者は非常に少なく、これでは1日でも100人台ではなかろうかと思われました。
 この弥生時代の遺跡は国営吉野ヶ里歴史公園となっておりました。先ずは受付を済ませてガイダンスルームで案内の映像を見てから出発です。この公園はあまりに広いので園内バスが20分おきに巡回しており、直ぐにその巡回バスに乗りました。
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                  平和そうに見えた吉野ヶ里の村
バスを降りて最初に向かったのは北墳丘墓です。この丘の上からは佐賀平野から北の背振山地が近くに見え、見晴らしの良い場所でした。
そこには想像していたよりはるかに大きい甕棺が多数出土しており、それらは代々の王の墓と考えられてます。その出土した場所を建物で覆い更にその建物の上には土に覆われています。その墳丘墓を見て、私はそれが古墳時代に円墳や前方後円墳にと変化してゆく方向を示唆しているように感じました。
次に北内郭とある所に行くと、この里の祭り事が行われた場所で、巨大な祭殿や他の9棟の建物が、環濠に囲まれてありました。南内郭では物見やぐらが4棟もあり、王の家や煮炊きの棟など20棟もあります。一般の村の人達は環濠の外にも竪穴住宅に住んでおり、人口は700名いたと推定されています。
2時間ほども園内を歩いて回りましたが、倉と市のブロックは回りきれませんでした。これらを全部見るのには3時間以上掛かるそうです。しかし、この村の住民達はやはり他の部落の人達との争いがあったことは確実で、平和な時代が続いていなかったと考えられます。ロマンがある里ですが、現実は違っているようです。
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by minoru_mogi | 2016-04-14 11:42 | 随想 | Trackback | Comments(0)