山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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整備された八王子城跡 No604

 2月の風が無い暖かな日に家内と共に八王子城跡を見に行きました。大分以前にも2・3度行ったことがありましたが、余り整備されておらず城址もあまり明白ではありませんでした。今度行ってみると、先ず入口近くにガイダンス館があり、そこで方丈氏照のことが良く分かります。
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                    ガイダンス館
八王子城主氏照は北条氏康の小田原城に応援の軍と共に行っており、その城主の居ないところを秀吉軍の前田利家と上杉勝家の連合軍に攻められて、一日で落城してしまいました。
そして、小田原城は秀吉軍に明け渡され、氏照は兄の氏政らと共に秀吉から切腹を命じられました。
 城内を上がってゆくと大きな曳橋が御主殿に続きますが、丁度3月までは修理中で閉鎖されていました。御主殿は往時の間取りが分る礎石が配されており、日本庭園もあり、塀に囲まれていた様子です。この部分が一番広い空き地であり、その前に続く平地が居住区であったといわれています。
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                       御主殿の門
また、お城はまだ未完成の状態であり、それまでの居城であった八王子の滝山城を1587年に拠点を移した矢先の1590年6月30日に落城したのでした。
北条氏照及び家臣の墓が城の入口近くにありますが、氏照の100回忌に建てられたもので、氏照は小田原城下で切腹し、現在は小田原駅近くに墓が残っているようです。
有名人の墓は幾つもあるのが多く、近藤勇などは3箇所もあり、すなわち板橋、三鷹、岐阜と三箇所も有りますが、三鷹のそれは首の無い体躯だけが近藤勇の親近者が板橋の刑場から体の特徴から探して運んだものといわれています。
この城も戦国時代の悲しみの城だったのです。
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by minoru_mogi | 2016-02-12 10:51 | 随想 | Trackback | Comments(0)