山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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初めて食べた米軍基地でのハンバーガー No251

 テレビを見ていたら外国でのハンバーガーの話をしていた。その時、ふと私が最初に食べた米軍横田基地でのハンバーガーのことを思い出した。
私は昭和35年(1960)、大学1年の春休みから米軍基地の立川・横田・所沢(ジョンソン)などで週に二度ほどアルバイトで働いた経験がある。その仕事は米軍家族が国内又は本国への引越しの折に、その家財道具をコンテナーに梱包して、トラックで送り出す仕事であった。
立川にある日本通運で英語会話のテストがパスして初めてその仕事に就ける訳であるが、このオーラルテストは難しく、同じ大学でも3年生の英語研究会の数人しかパスしていなかった。
しかし、ものは試しとばかりその試験を受けてみたところ、思いがけずパスする事が出来た。
仕事の内容はトラック1・2台に作業リーダー1名、運転手、若者の作業員7・8名であり、それに加えて私の役のインベントリーマン(英語商品名数量記入リスト作成者)であり、通訳兼書類作成者であった。仕事の中ではナンバースリー扱いで、いつもトラックの運転手の隣に乗っていた。(一般の労働者はトラックの荷台に乗り、運転席にはもちろん冷房はなかった)
 ある時、空軍中尉の家庭が、横田から所沢のジョンソン基地への引越しがありその仕事に携わっていた。彼らは私が大学生であると判ると大変親切に色々と判らないことを教えてくれた。もとより、この仕事の半分の目的は英語の会話が上手になることでもあった。
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8月の暑い日であつたが、10時のブレイク(休憩)の時に、その家のご主人が自分の車に乗るように言った。何かと思い一緒に乗ると基地の中のショップに行き、そこでハンバーガーを我々の人数分とコカコーラのクラッシュアイス入りのものを、大きな保冷ジヤーに入れて軍票(軍のお金)で支払いをした。
それを休憩中の皆のところに持ち帰りご馳走してくれたのである。初めて食べたバーガーは今国内で売られているものなどより遥かに大きかったが、そのパンに挟まれていたサニーレタスと、直径が12センチ程もあった生玉葱のスライスを見て、私は沢山の数を注文したので良く焼けていない玉葱をそのまま挟んでしまったものと理解した。(その頃日本では生野菜を食べる習慣は無かったのである)
コカコーラは前に一度飲んでおり、その薬くささを知っていたので私は美味しく飲んだ。
ところが、労働者の少し年配の数人は、こんな醤油のような薬くさいものは飲めないと、飲もうとしなかった。
この仕事は一般のアルバイトの2倍位の賃金を貰えて、英語の勉強にもなったのだが半年くらいで辞めた。その訳は一般の労働者と話しているとかなり低俗な話しが多く、学生としての純粋さに悪影響があると判断したからである。
でも、あの時に食べたハンバーガーの味と、冷えたコカコーラは美味しかった。
 因に、マックのハンバーガー1号店が銀座の三越の1階路面側に開店したのは1971年、昭和46年のことであり、私が味わってから11年も後のことである。
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by minoru_mogi | 2009-09-04 22:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)