山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

H. シュリーマンの訪れた豊顕寺(ぶげんじ) No247

 幕末の文久元年(1865)に日本を訪れたドイツ人シュリーマンは、1ヶ月にわたり横浜から、幕府が外国人に許可した横浜より10里(40km)までの各地を見て回ったが、6月18日の午後3時に横浜を英国人6人と共に馬で(馬方は徒歩で付いていった)八王子に向かった。その最初の休憩で立ち寄ったのがこの豊顕寺であつた。
 実は私にとってこの寺の名前は実に印象の強いものである。昭和18年、私の通う幼稚園の遠足の地であり、母と共にバスに乗り桜の咲くこの寺へと行った。私の家からは3キロくらいの所であったが、初めての遠出でもあった。園内には池があり、そこには沢山のオタマジャクシが泳いでいる。初めて目にするこの光景は私を興奮させるに十分であった。空き缶にオタマジャクシを数十匹入れて持ち帰ることにした。
d0059661_14265184.jpg
その忘れる事が出来ない光景がバスを降りる時に起こった。持っていた缶が床に転がってしまい、バスの床の上でオタマジャクシが身をよじっており、多くの乗客がそれを注視しているが、それらを拾って缶に戻している時間はないので、母にせかされるままにバスを降りると、バスは直ぐに走り去っていつた。この光景は子供の私の頭の中に染み付いて残った。
 この寺にシュリーマンは休憩で立ち寄ってその光景を日記に記している。
「高名な豊顕寺には、私はそこに漲るこのうえない秩序と清潔さに心をうたれた」と感動を記している。それには日本に来る前に中国に立ち寄った際の「ごてごてと飾り立てた中国の寺は、極めて不潔でしかも頽廃的だったから、嫌悪感しかかんじなかった」とある。
d0059661_14273788.jpg
この寺は江戸時代の享保5年(1720)に幕府より壇林(僧侶の教育機関)として認可されてから、学舎5棟、学寮25棟を有し、常に200名の僧で賑わう大寺院となったが、明治の火災や関東大震災、太平洋戦争で災禍にあい、往時の面影を語るものは今では多くはなく、江戸時代より桜の名所として著名であったその大樹の林が今でも鬱蒼としている。
 今の寺の様子はコンクリート作りのもので、寺の屋根の最上部には三つ鱗の紋所があり、かつて北条氏の庇護を思わせることを物語っている。帰路の三沢上駅には山門の前を流れる流水公園に沿って戻つた。
[PR]
トラックバックURL : https://onkuru.exblog.jp/tb/10087461
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by minoru_mogi | 2009-08-10 14:28 | 随想 | Trackback | Comments(0)