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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 5月に石垣島や八重山群島の他の島々を訪れてみて、頭の中に描いていた景色が実際とは大きく異なっていました。まず第一は沖縄の家々のことです。今までの頭の中では今までの沖縄の家は、平屋で赤い瓦の屋根で漆喰の白い色が目立ち、その屋根の上には必ずシーサーが置かれていました。

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しかし、実際に島々に行ってみると、ほとんどの家々はコンクリートで作られており二階建てが多く有ります。台風の被害が多いのでコンクリートは当然です。

島の昔からの集落がある一部の地区では皆でこの伝統的な家を守っている様子ですが、今はそこに住んでいるとは限りません。多くの伝統的な家々は観光用移設されて保存されており、家を囲むサンゴの石垣の人の背ほどの風除けもコンクリートの家にはありません。沖縄本島に行ったことも有りますが同じようでした。

石垣島の北部の「やいま村」には伝統的民家が移転されて多く保存されているのを見てきました。

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もうひとつ予想が外れたのが水牛車でした。現在も牛が仕事についているのかと思いきや、今は全く観光用目的であり、由布島や竹富島でのものは総て観光目的でした。考えてみると当たり前です。

島を巡っていると稲が黄色に色付いているのを見かけました。そろそろ稲刈りの季節ですとの説明です。昔、中学の教科書で二毛作であることを読みました。1月に苗を植えたものだそうです。

しかし、三毛作も可能なのだそうで、これには驚きでした。今後、緑の島と青い海を有する沖縄が観光で大いに伸びることを確信してきました。
# by minoru_mogi | 2019-06-08 14:58 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 先日、510より34日で日本西南端の石垣島、西表島、竹富島へと行ってきました。

思ったより遠く、ジエット機で3時間もかかり、もう少しで台湾という、羽田より1900kmのところです。沖縄地方は5月半ばからは梅雨いりの季節であり、その丁度直前の暑さと湿度の高い季節でした。

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 咲いている花に多くの蝶が群れています。今まで見たことが無い種類なので名前を聞くとオオゴマダラでした。家に帰ってからパソコンんで調べたところ、沖縄ではこの蝶は一年中飛んでおり、日本の蝶では最大級であると記されていました。食草はと調べるとホウライカガミという小低木であり、本州では見たことの無いものでした。

大型の蝶でこれら南西諸島に秋になると本州から渡ってくるアサギマダラを思い出して、秋田より石垣島まで行った記録もある蝶の事を再度調べてみました。すると、一日に200kmも飛んでいった記録も残していることを知りました。

また、このアサギマダラの死んだものがこの南の島に残ることも無く、もっと南へ行くものがあるのではないか、しかし、今はまだ判っていないようです。

自然の中には分らないことがまだ多く残っているのは大変幸なこととも思われます。


# by minoru_mogi | 2019-05-15 14:31 | 動物・昆虫・その他 | Trackback | Comments(0)

 昨今の通信通話料金の問題で、私が体験した問題をお話したいと思います。

 私は定年前の3年間を女性ファッションビジネスの会社の社長として、会社の舵取りをする立場に係わりました。この会社は都内のターミナル駅の中に2040坪の若い女性のファッション店として、対象を18歳~28歳くらいのビジネスガールを主要な客層としていました。都内の駅ビルに35店舗を有し、35億円くらいまでの売り上げを達成していましたが、利益はほとんど出ず赤字決算の中で社長に命令指名されたのです。

会社の社長からは「何とか赤字の経営を立て直して貰いたい」との言葉に「やって見せます」と返答をしたものです。1995年(平成5年)のことでした。

 この頃の通信事情はポケベルが中心で、必要な時にこのポケベルに信号を送り、それを見て受信者は公衆電話や固定電話から電話をかけるものでした。そして会社の部課長には皆ポケベルを配布していました。

暫くすると今度は通信は個人のケイタイやPHSが中心になって行きました。すると若い人達は皆競ってケイタイ(ガラケー)を所持するようになってきました。しかし、この傾向は大きな問題をはらんでおり、ケイタイの所有者は月7千円~1万円に近い通話料を毎月支払わざるを得なくなってきました。

私はいちはやくこの変化に気付き、個人のケイタイへの支出が金銭的に大きくなり、特に若い人達がファッションへの支出を減らす傾向が出てきたのです。

私の会社のメインターゲットである18~28くらいの若い女性も、同じようにファッションへの支出を減らしていると気付きました。そこで、今までの若い女性向けのファッションの店を、少し高齢の25~40才くらいの金銭に余裕のある客層へと変化させることにしました。

それと同時に不採算の店を閉鎖して、残った店での黒字化を図り、3年後にはほとんど赤字解消までに年商の改善に成功しました。

この様に可処分消費支出が、何が伸び何が減少しているかは経営に携わる者にとっては大切な要素であり、良く注視していなければなりません。

 今日のスマホは大変便利になっていますが、その利用には多額の通信費の支出が必要であり、これが結果としてファッションビジネスを停滞させていることは間違いありません。

それ故にファッションは安いカジュアル衣料ばかりが中心になり、若い人達ばかりでなく、中年も皆ユニクロのg.u.,ザラ、ハニーズ、しまむらなどばかりであり、男性のファッションでは黒の無地のスーツばかりとなり、全くつまらないファッションになってしまいました。


# by minoru_mogi | 2019-04-20 11:12 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 私は普段の着用着として、山用品のシャツ数枚を好んで身につけています。それは素材が乾き易いこと、ノーアイロンで家での洗濯に大変便利であるということです。

しかし一番の理由はそれらのシャツのボタンは10年以上使用していても、ひとつも緩まず糸切れも全く無いことなのです。これらのシャツは三鷹にある山用具の小さな店で以前入手したもので、スイスアルプスで歩いた時の登山靴も同じ店で購入したものでした。

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 昨年秋より新しいシャツを購入しようと色々な店を見て歩きましたが、好みのものは見つかりませんでした。そこで、以前山用のシャツを購入した三鷹の登山用品店を思い出して、その店に行けば好みのものが入手できるかと思い、出かけてみました。

しかしこの店には約7年くらい行ったことがありません。グーグルマップで探しましたが全く出てきません。ですからこの店が続いて営業しているか判明しないのですが、兎も角出かけてみました。

三鷹駅を北口に出て直ぐ左の通りを少し行くと、その店はマンションの一階の商店の並びの一画に存在していました。それも全く昔のままの飾りの無いただずまいで間口二間の小さな山の用具店です。

その店を見つけてちょっと嬉しくなりました。その店の看板には「むさしの山荘」とありました。

 見つけていた好みの山シャツを2枚購入して大変充実した気分で、接客してくれた40歳代の方と山の話をして、以前来た折りに接客してくれたおやじさんは今は年をとったが元気であると聞き、軽い足取りで帰路につきました。


# by minoru_mogi | 2019-04-05 20:09 | 随想 | Trackback | Comments(0)

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 スカイツリーの直ぐ近くにある「たばこと塩の博物館」に行ってきました。

以前よりその話を聞いており、一度は訪ねてみたい所であったのですが、丁度「江戸の園芸熱、浮世絵に見る庶民の草花愛」という特別展を行っていると言うのがきっかけでした。江戸時代末期に日本に来た西洋人達は、口を揃えて日本人は草花を育てるのが大好きであると言い、世界一好きな国民だと書いています。

それと共に、昨年秋に能登半島を訪ねた折に、海岸での製塩業の「揚浜式」を見たことが、昔、昭和30年代の後半に岡山県の塩田で見た「枝条式」の方法が、いつ頃から瀬戸内海沿岸で始まったのかを知りたかったのです。

 都営地下鉄を本所吾妻橋で降りて、スマホのグウーグルの地図を見ながら10数分歩くと、倉庫群の一角にこの目立たない博物館はありました。日曜日でしたが見学者はあまり多くなく、静かなものです。
先ずは特別展を見ると、色刷りの浮世絵の中に色々の花の絵が見られます。版画なのでその色彩はあまり良いとは言えません。皆鉢植えのものばかりで、梅、椿、菊、撫子、万年青、福寿草、桜草、朝顔、蘭、等々です。これらの花は偏っており、皆鉢植えに向く花ばかりです。しかし、朝顔などは変種の多さは多彩で、現在の花以上の変種が見られます。

江戸時代は長屋が多かったようですが、庶民は6畳間の家の外には沢山の鉢植えを楽しんでいたようです。また、武士や花柳界ではその広がりは大きかった様で、浮世絵には沢山並んでいました。

塩の博物の展示の中では枝条式の製塩方は模型がありましたが、あまり大きくなくて説明文書も好奇心を満たしてくれるものではありませんでした。展示物の多くは外国の岩塩の実物や、岩塩鉱山の写真などが多く、日本の古来の製塩方にはあまり力が入ってはいないので少しガッカリしました。

私の今まで読んだ本では瀬戸内海の沿岸では、入浜式の発達で製塩が拡がり、その乾燥のために山の木が切り倒され、瀬戸内海の沿岸では鷲羽山に見られるように岩が露出してしまい、明治に入って北九州の石炭が使用されるようになるまでは、瀬戸内海沿岸は禿山ばかりであったとの記述を読みました。今はその回復期で有るのかも知れません。緑の沿岸が見られるようになっています。うれしいことです。


# by minoru_mogi | 2019-03-11 15:22 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 私の本棚を見ていたら2冊の本に目がいった。一冊は毎日新聞社出版の週間「エコノミスト」の2011年10月4日号である。その号の特集記事タイトルは「スマホが世界を支配する」とある。

この一冊を特別に注目して今日まで書棚に残してのであった。

もう一冊は「若き天才の野望 フェイスブック」だ。これも2011年2月1日の第1版を購入した。

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 この二冊は今日の社会IT化の初期的な出来事を予測して書かれたものであり、私自身も早くから注視していたのである。これらを読み直してみると、いかにその予測が正しかったかが、今となって良く判ってくる。

 私自身は世界のIT化に後れをとらない様にパソコンを始めたのは1997年(平成9年)の10月にIBMの機種を31万7千円で購入している。歴史的にはマイクロソフト社のウインドウズ95が1995年秋に発売され、一般の人々にパソコンが使用されるようになって来たのである。

私は会社を定年になると直ぐにIBMの丸の内商工会議所内に有ったパソコン教室に行き、初期的な勉強をして、また、個人的には八王子高専卒業の若いエンジニアを目指す人から、家に来て私のパソコンの指導をして貰い、かなり詳しい実践力を身につけてきたのである。

そして2005年には自分のブログを開設して今日まで続けている。その間にウィンドウズ社のサーフェスタブレットとスマホを入手した。 そして現在はデスクトップパソコンは秋葉原に出かけてツクモ電機にて私の使用目的に合わせて個人使用機を組み立てて貰っている。

 これら書籍の予測によると、デジカメ・ICレコーダー・音楽プレーヤー・ゲーム機・カーナビ・テレビ・パソコン・出版広告などの減少、代替が進むと予測されているがやはり現実にその様な傾向に有ることは明白である。また、ザッカーバーグ氏のフェイスブックも、大学在学中の友人達をまとめるソフトが、一般の人達をまとめるようになり、世界中を繋げる大会社となったのである。

今日はIT社会と言っても過言では無い時代であり、いかにそれに付いて行けるかが心配である。


# by minoru_mogi | 2019-02-11 15:32 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 昨年の2月には山野草の節分草が節分を過ぎた2月15日に福寿草と同時に我が家の庭で咲きだしました。福寿草は梅の木の下に植えてあり、冬は日当たりの良い場所です。一方、節分草は楓の根元に植えてあり、春でもあまり日の当らない場所です。

3年前に自治会の山野草研究会の会長さんより、実生の種を播いた芽が出たばかりの鉢を1鉢もらい、今年の春で種を播いて4年目で初めて花をつけました。

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咲き出した節分草

2月3日の節分に花を間に合わせようと、温室状の所へ入れておいたところ正に節分に花を咲かせることに成功しました。

昨日は山野草を愛する隣の家の奥さんがこの花を見に我が家に来ました。そして同時に咲き出した雪割草の紫やピンク、白などの可愛い花に見入っていました。

 この節分草は秩父地方の石灰岩の有る土を好み、群落を見たければ秩父の奥地へ見の行かなければならず、私も今まで行った事がありません。しかし、五日市の奥地で庭に大群落を育てている方がおり、その方の庭で雪割草と交換で数年前に分けて頂ききました。この節分草は花の背丈が10cmくらいで白い花ですが、その特徴はブルーの雄しべが大変美しい花なのです。

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鉢のものはまだ咲き出したばかりで花芽も十分には伸びて来ておらず、本来の美しい姿にまではなっていません。しかし、節分の日に咲いたのは初めてのことです。

庭の紅梅ももう少しで咲くところに来ており、福寿草、ボケ、椿のつぼみもピンクの色を付け出し、3月初旬になると雪割草の鉢が一斉に各種の色で一杯に70鉢も咲き出します。いまは正にその咲きだしのはしりがみえだした季節です。

毎朝楽しみに庭に出て今日はどの花が咲き出したか眺めるのが実に待ちどうしい時期です。


# by minoru_mogi | 2019-02-03 17:21 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(0)

大宮八幡宮初詣 No710



 今年の正月は子供達や孫が誰も来ないので、3日の日に家内と共に初詣に行くことにしました。例年、都内の大きな神社を見て回っていますが、昨年は拝島大師に行き、ダルマ市も見てきましたが、今年は割合近くにある西永福駅よりの大宮八幡宮へ足を向けてみました。

駅よりは歩いて10分くらいであり、参詣者のために案内ののぼりが立ててあり、南参道へと続いていました。そこには大きな鳥居があり、参道が100mくらい続きます。

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境内に入ると手水舎(ちょうずや)の所に多くの人が並んでいます。また、おみくじや破魔矢の販売所も大変な混雑です。本殿前に並んで賽銭箱の前まで来ると、10数人の人達が横一列にお賽銭を投げ込み手を合わせてお願い事をしています。それを終えてから右側にある学問の成就を願う大宮天満宮で孫の入学のお願いをして来ました。

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 この八幡宮には二つの大きな参道があり、帰りは東の参道を行くことにしました。こちらの道は幅が広いので、沢山の露天が並んでおり食べ物店が多く、お参りの雰囲気が溢れていました。帰りの道が不案内で永福駅へと出てきました。

この駅には大きなバスのポートがり、3050台くらいのバスがとめてあり、中には松本交通のアルピコのバスもあり、高速バスの待機場のようです。駅前で昼食をして15時頃に家に戻りました。


# by minoru_mogi | 2019-01-12 16:10 | 随想 | Trackback | Comments(0)

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 先日、上野の国立科学博物館の特別展で「日本を変える千の技術博」を見てきました。私が期待していたのは、それらの技術開発の歴史を中心に知りたかったのですが、それらの解説はほとんど無く、誰が発明したかやなんと言う会社が作り上げたかに重点が置かれていました。

そこには我々が今使用している照明・磁石・クウォーツ・車・電気・鉄道・レーダー・電話・テレビ・計算機・ロボットなど多岐に亘り、日本の発明品がその開発された物その物が展示されています。

中でも、その展示品の中で計算機に目が止まりました。わたしが入社した頃の昭和37年(1962)は機械式の手回しタイガー計算機(国産)を棚卸しの計算に使用していました。昭和39年(1964)シヤープがダイオードとトランジスタ30個を使い電子式卓上計算機を53万円で発売しました。その頃の車と同じくらいの価格であったそうです。

昭和42年(1976)頃、私の友人が商社である日商(現在の双日)におり、電気課で輸出の担当でした。その友人より輸出用の電子卓上計算機で輸出の余ったものが有るので売って貰えないかとの話が来ました。その頃は日本の多くの電気会社が、この機械を手がけており、市場価格は1517万円くらいで売られていました。

機械はまだ大きく幅50cm、奥行35cm、高さ20cm、程あり、数字は電光管で表示され14桁位のものでした。その日本計算器製の機種を7万円で売って貰いたいと言ってきました。

その頃、百貨店では日々の計算をソロバンでしていたのです。そこで、自社の経理部に行って話をしたところ、直ぐに1台購入したいとの返事があり、次に自社の労組に話すと1台買うことになり、大変人気が有るので取引をしている紳士服の会社に紹介すると3社が1台ずつ買ってくれたのです。

計5台を1~2ヶ月で売ってしまうと、商社からお礼にゴルフの招待してくれるということになり、部下である友人を誘いその成田のゴルフへ会社の休日に出かけました。

今の成田空港の敷地の中のゴルフ場で、初夏のゴルフを日商からの若い大学時代ゴルフ部であったとの人と楽しみました。ゴルフ下手な二人と上手な人では全くペースが合いませんでした。

その頃の私は商人としていつかは独立しようとの思いが有った頃の経験です。


# by minoru_mogi | 2018-12-31 17:15 | 随想 | Trackback | Comments(0)

世田谷のボロ市 No708

 12月の15日(土)に、今年最初のボロ市があることを新聞で知り、是非一度みたいものと思っていたので、家内と共に楽しみにして出掛けました。

市の立つ世田谷の駅は、下北沢より東急世田谷線の電車で数駅であり、会場に近い上町駅で降りると、そのボロ市に向かう人達で一杯です。

駅前の信号を渡ると、狭い通りに入り、歩道もない横丁にはパイプとキャンバスの布で組み立てた店が続きます。あまりの人出にいささか驚きをもって混雑の人混みの中を進みます。

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ボロ市の本道りである代官屋敷通りには、びっしりと両側に仮設店舗が並んでいます。店の内容はと見ると、本来の古着や古い家庭用品の他に、あみもの、ジーパン、ジャンパーのお古、お皿や陶磁器など、また、草花や植木などもあります。

比較的空いていた植木を覗いてみました。ミニ盆栽やミニシクラメン、水仙やクリスマスの観葉植物の鉢など、数十軒が纏まって出店していました。

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冬至が近いので、柚子の実の色々な種類がビニール袋に5個位ずつ入れて売られており、柚子の中では最大の獅子柚子の12センチ位もあるものも並べて有りました。食料品は少なく、乾し椎茸などが並んでいます。兎も角、人出の多さで店を覗き込むのすら困難でした。

通りの中程の代官屋敷は大変立派なわらぶきの大建物であり、隣には世田谷資料館があるこの市の歴史を裏付けする中心的なものです。このボロ市は北条氏支配の時代に

楽市として開設されたもので、大変歴史的なものなのです。1時間近く掛かり、電車の世田谷駅まで来ました。

その実感としては何か神社のお祭りを見るようであり、市という名称を超える人出でした。昔からの伝統が確りと残っていることは大変喜ばしいと言えました。


# by minoru_mogi | 2018-12-22 11:39 | 随想 | Trackback | Comments(0)

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 10月に公園の中の樹にグレープフルーツの実が成り、酸っぱい味の実であったとの報告を書きました。12月初旬に公園に行くと、実が熟してきたのか黄色になっており、大きさは変わっていません。

しかし、以前は手の届くところに10個くらいかたまって成っていた実が、全部無くなっています。誰かがグレープフルーツの実であると気付いて採っていったのかもしれません。
 おこで、その上の方の実を手を伸ばして2個持って帰りました。試しに輪切りにして食べてみると、酸味が強いものの、ジュウシーであり、甘さがもう少し強ければ店で売られているものと同じようです。

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まだ木の上には手の届かない高さの所に30個くらいは成っています。もう少し甘くならないか、あと半月くらいを待って試しに採って味わってみようと考えています。今年は他の家の夏みかんも沢山実が付いて、立派な物が沢山見られます。同じように実のなっているグレープフルーツの樹は大変立派に見え、来年もまた実をつけるのであろうかと楽しみです。


# by minoru_mogi | 2018-12-06 16:05 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)

 昨年の10月の半ばには五能線を青森市から秋田市まで、日本海沿いの線路を独りでゆっくりと見てきました。同じように地図を見て能登半島の奥能登が好奇心を誘い、一度見てみたいと近畿ツーリストのツアー旅行に参加して10月に周ってみました。今回は家内と2人で行くこととして、有名な和倉温泉も楽しんで来ました。

和倉の地名は本来は「湧く浦」であり、海中に温泉が湧き出ているのが元であつたとの説明がありました。

 能登半島は開発が遅れていて、高速道路は輪島まで到達しておらず、能登空港の手前がまだ工事中でした。観光バスで白米千枚田を見ましたが、稲が刈り取られた後なのでやはり少し印象が弱かったのは残念です。しかし、昔より本当にこれほどまでお米を作ることが重要だったことが良く判ります。

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                    岩だらけの海岸線

次に珠洲(すず)の揚浜式塩田を訪れました。ここでは全く昔からの塩田で塩を作っています。私は瀬戸内海沿岸での製塩法を50年ほど前に見ております。それは枝条式と言って、5mほどに高さより細い竹の枝の下向きのものに、海水を流して風で海水を濃縮する方法で、大正時代から導入された方法であったそうです。

 能登半島の最先端の禄剛崎(ろくこうざき)燈台まで急な坂を登って日本海を見て来ました。佐渡島が見えるそうですが私には識別できませんでした。

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                    奥能登のランプの宿

能登の海は日本海沿いは奥能登では岩場ばかりで、砂浜はほとんどありません。五能線の沿線と同じでした。でもその岩場で魚介類が沢山採れるようです。

一方、富山湾側はやはり静かであり、砂浜が広がっていました。最後の日は氷見の漁港に行きましたが、鰤の漁場があり多くの海産物が土産屋に並んでいました。

残念なことには富山市内から立山や白山が雲が多い天候で、それらの峰々が見られないことが大変残念でした。


# by minoru_mogi | 2018-11-11 19:44 | Trackback | Comments(0)

 私は以前会社の出張でアメリカのフロリダ州に1月に行ったことがあります。その折にマイアミのバスターミナルから200kmくらい北のパームビーチ市まで、シカゴ行きのグレイハウンドの長距離バスに乗りました。

マイアミを出て暫く行くと直ぐにグレープフルーツの果樹園ばかり両側に続く真っ直ぐな高速道を行きます。樹は5mくらいで広く拡がり、まっすぐに並んでいます。

 30年前くらいの頃、庭の一角にグレープフルーツの種を播いたところ、芽が出て伸び30センチくらいまでになりました。我が庭では樹がもし大きくなるといけないので、広い他の地に植え替えることを考え、家から5分くらいの小さな公園の片隅に植えてみました。

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すると、年々大きくなり1.5m程になると枝にとげが出てきてました。そこで公園なので子供達に危ないといけないので根元から切ってしまいました。しかし、数年経ってまたそこから芽を出して樹は大きくなってきました。

その頃にはその公園で遊ぶ子供達はほとんどおらず、そのまま伸びるに任せておきました。グレープフルーツの樹ではありますが、日本のこの八王子の地では寒すぎて実が付くことは無いであろうと思いましたが、一応毎年その樹がどうなっているかは見ていました。

 数日前、その公園を散歩の折に通ったところ、何とグレープフルーツの青い実が30個くらいも見えます。今まで毎年見ていましたが実の付いたことはありませんでした。それを見て大変嬉しくなりました。植えてから30年は経っているでしょうか。

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散歩より帰り家内に直ぐ報告したところ植えた事も切ったことも憶えていました。

翌日、今度はその青い実を一つ採ってきて、半分に切ってみました。正しくグレープフルーツです。しかしまだ味は酸っぱく甘味が乗っていませんでした。

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まさかその青い実をみても、多分皆橙の実だと思うでしょう。そこで化学肥料を与えて実が甘くなるよう大事に育つように考えました。12月には黄色い色付いて甘さも出てくるでしょう。しかし、その実は売られているグレープフルーツ程は大きくなく、少し小ぶりな伊予柑位なのです。

 今年の夏は暑い夏であったので、フロリダの夏に近かったのかもしれません。猛暑のおかげでこんなに急に実を付けたのかもしれません。猛暑に少しは感謝です。


# by minoru_mogi | 2018-10-19 20:03 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)

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 今年の秋は7月に一度少し咲いたダリアが、8月の暑さで咲かなくなり、9月初めに枝を大きく切り詰めたところ上手く行き、各色の株にも花芽が沢山出てきて、大きな花を咲かせようと毎朝脇芽を摘んできました。


 あと一週間もすると立派な花が咲きそろうと大いに期待していたところ、9月30日の夜から台風24号が吹き荒れ、八王子では瞬間風速45.6mと猛烈な雨と風となりました。翌朝かなり痛んでいることとダリアの植えてあるところを見ると、見るも無残に枝は折れ、真っ直ぐに立っている花芽は全くありません。前日には支柱も立てたのですが、ほとんど効果はありませんでした。

あまりにガッカリして、その日は倒れた幹を立て直すことすらしませんでした。2日目となり、折れた枝を処分して、何とか生き返りそうな枝を全部また支柱を立てて手入れをしました。

その結果、枝は曲がったままですが花はかなり咲き出しました。その花々はなかなか素晴らしく、もし台風が来ていなかったら実に良い庭を楽しめたものだったろうと思い、残念で仕方ありません。

今後も花が終わった秋の遅くには、地中よりダリアの根塊を掘り上げ、家の中で暖かく過ごさせ、また来年チャレンジする積りです。

ちなみに、ダリアはメキシコ原産であり寒さには弱いのです。


# by minoru_mogi | 2018-10-12 17:52 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(0)

 友人より頂いたパンフレットにこの地の案内があり、はじめて見る名前なので訪問して内容を見てきました。

稲城・多摩・八王子・町田の4市にまたがる東西14キロ、南北2~4キロの面積が3,000ヘクタールという広大な面積の多摩ニュータウンが、昭和41年(1966年)より40年をかけて開発を続け、その中にこの地の290ヘクタール、770箇所の遺跡を発掘してきました。

その発掘の全容を展示する施設が昭和62年(1987年)に多摩ニュータウンの中心部に出来、入場無料で運営されています。

多摩センターの駅を降りてサンリオピューロランドの方へと行くと、そちらは直ぐ見つかりましたが、この施設の案内は全く無く、方向を間違えたかなと少し行くと、ある建物の前で施設の小さな表示があり、やっとたどり着きました。


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      竪穴住居の中の炉に火が起されていました。煙が上から出ています

 建物の中に入ると受付があり、中高年の見学者が4・5人展示品に見入っています。この展示場は中々立派であり先ず海洋から日本に移動してきた35,000年前くらいの海洋民族の歴史が見られます。次の部屋は古代人の火起しの実演のできる2種類の火起しの道具が幾つもあります。それらを自由に触れるので私もこれに挑戦しました。何度も試してやっと良く回すことが出来る様になりました。

古代の織物、古代の食物、なかでもドングリや栗を使った古代のクッキーの作り方の説明が判り良く実物が展示されています。

更に進むと縄文土器が沢山展示されています。思ったより大きな土器が多かったには驚きでした。また、手のひらに乗るような大きさの女性の人型が10数体あり、おそらくは子供の出生を祈るために使用されたのではと推察されました。

 施設の隣は広い林があり、その中にここに有ったとされる縄文時代の竪穴住居があり、他にもより大きなもの等3棟のが有りました。その1棟の中には火が燃えており、煙りで家の屋根の茅を腐らないように乾燥させているものも有りました。

また、この地には縄文の遺跡は有るものの、弥生時代の遺跡は少ないとの説明でした。

この様な立派な施設ですが、あまり知られてなく、小学生などが学校から来ることが多いのだそうです。80歳の私のような老人が見に来るのは珍しいのでしょうか。

関心のある方は是非とも訪問されることをお勧めします。


# by minoru_mogi | 2018-09-11 14:13 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 2006615日の夜はトルコ・イスタンブールのナイトレストランでステージでのベリーダンス(腹踊)を見ることになりました。

この折は阪神旅行社の11日間トルコ旅行に家内と共に参加しました。イズミール・パムッカレ・カッパドキア・コンヤ・アンカラ・フランボル・イスタンブールとトルコ国内の西半分を回りました。

6月のトルコは夏に向かっての乾季であり、麦が金色に輝き、その中に赤いケシの花が沢山咲いていました。また、ホリホック(立葵)が何処にも咲いており、背の高いアザミの紫も目立ちます。

毎日の食事も口に合い、ビールも美味しく、丁度季節のサクランボの生のジュースが大変美味しかったのを憶えています。旅の最後のイスタンブールでは市内の五つ星の素敵なホテルに2泊することになりました。1日目はブルーモスクやグランドバザールを巡りました。その夜は市内のショー付きのレストランでの会食です。

そのレストランは200人は入れる広い店でトルコ名物のベリーダンスのショーが見られます。78名のバンドが世界各国の音楽を奏でており、その客も殆ど各国からの外国人です。

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       イスタンブールのベリーダンサー

私の席はたまたまステージ正面より56番目の良い席に座っておりました。次々と各国の歌が演奏されて、その音楽に合わせてその国から来た人がステージに代表で上がり歌を歌って行きます。

すると、今度は『上を向いて歩こう』が流れました。そして次に『ソーラン節』が流れ始めました。その時、ステージの司会者が私を指差してステージに上がるようにと手招きをして来ました。
そこで、一般的には引っ込み思案の日本人のイメージを払拭するように、私は喜んでステージに駆け上がりました。そしてマイクを持ち「ソーラン節」を二番まで歌いました。他の同じ旅行団体の方々も、ステージを降りると拍手で迎えてくれました。

その折は私はブレザースーツでワイズのネクタイで正装していました。音楽の次は楽しみにしていたトルコの有名なベリーダンスです。中年の女性と2人と若い女性の3人が踊りを披露しました。大変なまめかしいものでした。

踊りが終わり暫くすると、先ほどの踊り子がステージを降りて客席を周り、私の気付かぬうちに後ろから私を抱え込み、前からは写真を撮られました。

急なことなので私は驚きと半分嬉しい顔をしており、家内は口をポカンと開けています。まだ67歳の時の事で体調も良く大いに楽しんだ旅でした。昨今はパソコンの中のこれらの旅の写真を見て、昔の思い出に耽ることも多くなりました。


# by minoru_mogi | 2018-09-03 12:08 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 暑すぎる毎日で外出する気にならないので、冷房の利いた居間で過ごす事が多くなり、何もしないのでは手持ち無沙汰なので、パソコンを開いて色々と見ています。そんな訳で、何時もの夏は出さない暑中見舞いの葉書を作ることにしました。

以前蓼科高原で7月に描いたコオニユリのスケッチを入れて爽やかなものを作りました。

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書中葉書に使用したコオニユリ

そして今も交流のある仲良しの高校仲間7人と仕事関係で今も年賀状を交換している6人に、葉書を印刷して見舞い状を書いてポストに入れました。

 すると暫くしてから同じ日に2通の葉書が配達されました。一人は仕事仲間の私と同年の鎌倉に住んでいる方で、奥様よりの葉書であり、ご主人が今年の4月に亡くなった旨の記入があり、まだ自分は夢の中のような気がするという報せでした。

このご主人は大変心優しい方であったので、奥様も大変淋しい思いをしていることが良く判る内容でした。

 もう一方の奥様は中学時代から隣席で仲良くしていた秀才で、もう10数年来病院で入院しており、回復の見込みは全く無いご主人の面倒を見ている方でした。その葉書は素敵な野草のスケッチ画があり、自分で描いたものと思われました。

 私の年齢も80歳を過ぎると、誰が亡くなっても不思議ではない年齢なのだと実感させられました。

そこで早速このご主人を亡くされた奥様には、丁重な手紙を書いて文の最後に合掌と書き込みました。

この合掌の文字がまぶたの底に残っており、毎晩思い出されます。


# by minoru_mogi | 2018-08-16 10:22 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 府中市の西方にこの古墳はあります。JR南武線の西府駅より歩いて10分くらいの甲州街道の交通量の多い道路より100mほど離れたところです。6月末の暑い日に出かけましたが、その日後刻関東地方は梅雨明け宣言が出されました。

国史跡に指定されている飛鳥時代7世紀中頃、今より1350年程度前に作られたもので非常に希少な形の古墳です。この墓は3段構造で各段とも土で築かれており、1,2段目が正方形で3段目が円形です。そして2,3段目が全面川原石で覆われています。1段目外周には直方体に面取りされた切石です。

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 この復元された古墳は高さ5m、1段目は32m上円部の直径は16mです。石室の玄室は丸みを帯びた部屋で大きな石が使われています。復元された物は実に立派ですが、この墓は神社の境内にあり、周りには幼稚園や一般の住宅に囲まれており、周りが空いていればさぞや立派に見えることでしょう。まだ大和朝廷が全国を統一しておらず、地方の豪族の墓と考えられているようです。しかし、その近く迄東山道が来ているのは、後に府中となり国分寺が全国に建立されてゆくものと思われます。

この神社の境内には古墳資料館があり、ビデオの放映や展示、隣接して玄室の実物模型があり中に入ってみました。天井が低いのでヘルメットをつけての見学でした。

 以前、群馬県の高崎市内の保渡田古墳を見てきましたが、こちらは前方後円墳で埴輪が沢山並んでおり、榛名山の噴火に依り埋没されたもので、往時の埴輪がどの様に並んでいたかが明白にわかりました。暑い日でしたが充実した1日でした。


# by minoru_mogi | 2018-07-01 15:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 家の近くの畑にこの春には実に美しい花が咲いたジャガイモ畑があります。これは幼稚園のオーナーが所有する畑で、毎年幼稚園児達が、7月頃にジャガイモ堀を楽しむ畑なのです。散歩の折に何気なくそのジャガイモ畑を見ると、何と花のあとに4~5個の、直径7ミリ位の実が成っているのに気付きました。

それも1株や2株ではなく、沢山の株に実がついているのです。ジャガイモに実が成るなんて今迄全く見たことがありません。あまり珍しいので早速デジカメを用意してその姿を撮ってきました。


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夜、パソコンで「ジャガイモ、果実」で検索したところ、実の付いている写真がありました。それに依ると、このジャガイモは普通の男爵いもやメイクイーンでなくて、澱粉を取る種類であると解説してありました。確かにこのジャガイモ畑は全株良く花が咲き、美しいものでした。一般のジャガイモは全部花が咲くなどということは無く、大体一割くらいしか花は付きません。ジャガイモは茄子科であり、この実を植えても育つことはないそうです。

 以前、北海道の釧路市の友人を大学仲間と8月末に訪ねた時に、道東ではジャガイモの収穫期であり、広い畑にジャガイモが掘り上げられており、近くの小さな川には鮭の群れが遡上する姿をみて、そこから知床の宿へと向かいました。

今、思い起こすと実に楽しい大学仲間との北海道旅行であったことを思い出しています。


# by minoru_mogi | 2018-06-15 15:10 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 ワイズメンのわくわくビレッジでの花壇の花作りの作業はもう4年目にもなります。

作った花々はかなりの失敗の連続でもありました。特に記憶に残るのは1昨年の皇帝ダリアです。夏には背丈が2.5mほどにもなり、秋には沢山の花が楽しめると大いに期待していたところが、花が全く付かなかったのです。同時に植えた一般のダリアもヒョロヒョロの状態で花はほとんど見られない状態でした。原因は日照不足です。また、長く咲く花としてサルビアの種を播いたところ、これも芽が出ても育たず失敗に終わりました。この時の館長の佐藤さんが熱心に協力してくれましたが、上手く行かなかったのです。

しかし、年々環境を理解して日陰に強い花を植えるように務めた結果今年の花は上手くいっている様子です。正月前後には日本水仙が密度は少ないが白い花を長く咲かせており、2~3月にかけてはラッパ西洋水仙が咲きました。同じく3月に良く咲く菜の花が黄色の絨毯にはならず、昨年9月の種の播き時が12週間遅かったのが原因でした。

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5月には例年より早くジャーマンアイリスが黄色から先に咲き出し、遅れてブルーが咲くという同じ物でも色毎に咲く時間が違うことが判りました。また、その中には白色の物が無いのが判ったので、後日白色種を植え付けておきました。5月半ばには千鳥草のブルーの花が咲きそろいました。



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                   ブルーの鮮やかな千鳥草


7月の暑くなる頃には昨年植え付けておいたインパチェンスの種がこぼれて、その芽が沢山て来るものと考えられますが5月末に見に行った折には、まだ全く芽が出ていません。7月中旬には今年植え付けた3本の鹿の子百合が立派な花を見せてくれるでしょう。

暑い8月には乾燥に強い松葉ボタンが咲く予定ですが、これもまだ芽が見えていません。

 9月になれば秋分日頃にマンジュシャゲの花がアスパラガスのようにニョキニョキと花茎を上げてくるでしょう。

毎年色々と花を一部変えて試して一番この場所に合った花を見つけ出すのが大切です。会の皆さんの協力を得て更に綺麗なワイズガーデンを目指して行きたいものです。


# by minoru_mogi | 2018-05-30 20:33 | 随想 | Trackback | Comments(0)