山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 江戸時代、50歳で仕事を引退してから自分の研究している暦学(天文学)を活かして日本地図を作成した偉人の足跡を是非見たいものと思っており、まだ少し暑い日ではありましたが、思い立って千葉県の銚子に近い香取市の佐原へと、朝少しばかり早く起きて出掛けてきました。

先ず躊躇したのは、そこまで行くには八王子からは電車では4回乗り換えて4時間近く掛かることです。家を8時頃出ると12時過ぎにやっと佐原駅に着くのです。東京駅から高速バスも出ていますが、好ましい時間には出ていません。しかし、今行かないと今後行ける機会が無くなりそうに思えるので決心して出掛けました。



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庄屋の建物のような佐原駅


 ご当地の記念館には彼の人生の商人としての歴史が大変良く紹介されています。その業績は15年間で売上高を約5倍に拡大していたのです。そして、商人の時から天文学を勉強しており、50歳で江戸へ出て天文学者のところで更に励みました。当時彼が使用していた望遠鏡が展示されていましたが、国産のの3メートルもある屈折望遠であり、木星の衛星を見ていたということは驚きでした。

 彼の日本地図作成の旅は10回にも及び、最初は7名くらいでしたが毎年参加人員が増えてゆき、多い時には15名くらいと公儀からの参加者が加わったようです。その出来上がった日本地図は現在の地図と比較しても、ほとんど同じであり、少し経度がずれているだけでした。

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記念館前の川沿いの古い家屋

展示されていた日本地図は、以前国立博物館で目にしたことがあり、珍しい物ではありませんでしたが、交通機関の無いに等しい江戸時代としては大変であったと思われます。

彼は当時としては長命であり73歳まで存命しましたが、日本全図は彼の死後数年後に完成しました。

シーボルト事件でこれら日本地図が国外へ持ち出されそうになり、幕府はこれを禁じシーボルトを国外追放したのでした。

彼の隠居後の功績は大変素晴らしものであり、その情熱には全く頭が下がります。老人であってもこの様な新しいことに対する持続する情熱は是非とも欲しいものです。


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by minoru_mogi | 2017-09-27 19:09 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 高尾わくわくビレッジのワイズガーデンには、77日にワイズ仲間の多河さんと家内と私3人で、ホームセンターでインパチェンスの苗を買って、20株ほどを間隔を空けて植えつけてきました。

夏の間は暑さが大変なので、花は咲き続けているものと思いましたが、雑草取りは出来ませんでした。
9月もお彼岸近くになりかなり涼しくなつてきたので、その後の花の状態と、昨年から球根を埋めてあるマンジュシャゲの花が、丁度咲いている頃と思い、9月の20お彼岸の入りの日にそれらを見るべく高尾へと出かけました。

高尾駅からは彼岸の入りということで、霊園へとバスの急行便が出ており、それを終点まで行くとグリーンタウンのわくわくビレッジの入口まで行きます。

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ビレッジに着いて直ぐにガーデンを見に行くと、7月に移植したインパチェンンスが3倍ほどに大きくなっており、4色の花々も大変よく咲き誇っています。

今迄何度も色々の花を植えてみましたが、夏から秋の花としてダリアやサルビアも上手く育たず、南側にある建物で日光が遮られて日照不足から失敗を重ねた場所なのです。

しかし、それが今回の花は日陰を好む花だったので、上手く適応していたのでした。また、マンジュシャゲ(彼岸花)は咲いてはいましたが盛りを過ぎており、30本ほどの花の茎が目だっていました。

テレビでは日高町の巾着田の映像が出ており、満開の花の中を天皇と皇后が歩いて楽しんでいる姿が放映されていました。

15年ほど前になりますが、私が企画してこの巾着田のマンジュシャゲをワイズの仲間20人ほどで訪れ、よほど暑い日であったからか、店でかき氷を多くの仲間と味わったことを昨日の事の様に思い出しました。


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by minoru_mogi | 2017-09-22 16:20 | Trackback | Comments(0)

 私には子供の頃の写真は殆ど有りません。戦時中だったので皆余裕がなく、とても写真など撮って貰えませんでした。残されたただ1枚といえば、父と一緒に横浜の桜木町近くの橋の上で撮られたもので、下駄履きに半ズボン戦闘帽をかぶっている5歳頃のものです。

 そこで子供の頃の思い出が残っていないかと思い、横浜の戦時中の繁華街を訪ねてみました。桜木町に下車して野毛山の市営動物園へと先ずは向かいます。

野毛山公園への道を行き、野毛坂にかかると、私と同じくらいの男性2人が前を行き動物園を目指しています。しかし、その1人が急坂に耐えられず直ぐに休みとなります。とても動物園までの坂を上れそうではありませんでした。

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公園に沿って上がって行くと、睡蓮が咲く日本庭園がありました。水の上にはシオカラトンボが舞っています。更に上って行くと動物園の入口に着きました。財布を出して入園料はと見ると一般の人園が無料でした。

動物園は今は象と白熊は居らず、キリンやシマウマ、ライオン、トラなどがいますが、大型獣でも狭い獣舎で可哀想になりました。割合と広い園であり、大木が多いのですがアップダウンがありなかなか大変です。入園者は5歳以下の子供ずれやベビーカーの若い夫妻が多く、次に多いのは若いアベックの人達でした。園を出てから水道山の見晴らしポイントへ行って見ましたが、そこからはブリッジやタワー、パシフィコ、ランドマークタワーは良く見えますが、海は全く見えません。

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 そこからは今度は南に山を降りて30分くらい歩いて伊勢崎町へ出てみました。しかし、街は賑やかで人通りも沢山有りますが、あまり綺麗でなく昔のイメージは有りませんでした。

この街中を歩いていると、昔子供時代に来た松坂屋が昔のイメージどおりあり、今は百貨店では無く色々な店が入っているテナントビルとなっていました。また、通りの南側には有隣堂書店があり、この2店のみが戦時中からの生き残りのものでした。

結局、伊勢崎町の記憶は確かでしたが、野毛の町と動物園の記憶は出てきませんでした。

そして、入学前に遊んだ友達の顔をうっすらと思い起こしました。


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by minoru_mogi | 2017-09-06 16:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)

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 この映画には私は大変関心があり、826日の封切り後7日目に府中に行き見てきました。最初に感想を述べると、この映画はその歴史的な背景を良く理解していないと、十分には楽しめないと思います。

この天下分け目の1600915日の1日の戦いは、秀吉が伏見城で生涯を終えたことに依り、後を継ぐ秀吉の子供である秀頼が幼少であり、その跡目を誰が継ぐかに懸かっていました。秀吉の朝鮮出兵は1592年からであり(文禄の役、慶長の役)1598年秀吉の死により兵を引きました。

この関が原の戦いはその2年後に全国の大名が参戦して戦われた、正に天下分け目の徳川家康と石田三成の戦いであったのです。私見では、それらを理解して映画を見るには、もう一度映画館に足を運ばないと、とても十分に理解出来るものではありません。

 映画の中では家康役の役所広司が実に上手い演技で目立っています。石田三成役の岡田准一は西軍の総大将として、他の西軍の将の支持が十分ではなく、戦いの中で小早川の寝返りと、毛利藩の軍勢が戦いを静観、さらには島津藩の動静等、絶対的な支持の無さが戦を決めました。

戦いの場面はかなり長く、多分、島津藩の敵中突破が大々的に出るかと思いましたが、それには全く触れていませんでした。西軍総大将の石田三成は各将の参戦を戦いの中で必死に呼掛けますが、各将はこれに呼応せず、西軍の83,200の兵と東軍の89,000が互角には戦えず、東軍の勝利に終わったのです。

 石田三成は自国の近江に逃げ延びますが、自害はせずに最後は自首して、京都の三条河原で処刑されます。映画の中では忍びの者の挿話が出てきますが、原作の司馬遼太郎の話の中に有るのでしょうか。私としては、あまり意味の無い挿話に思えます。

見た後の感想としては、確かに大作であることは認めますが、クライマックスを感じる場面はありませんでした。さて何点を点けたら良いのでしょうか。

再度、この映画を見直して、初めて点数を付けたいと思いました。


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by minoru_mogi | 2017-09-01 21:17 | 随想 | Trackback | Comments(0)