山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2014年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 ここ年々、ITの情報機器の進歩により、色々な情報が幅広くしかも速やかに入手できる環境が急速に進んでいます。しかし、我々高齢者にとって、これらを十二分に使いこなすのはとても難しくなってきました。特にスマホなどの小型軽量化は嬉しいことですが、文字が細かくて見にくくなり、拡大すると文字数が少ししか画面に入らなりというジレンマがあります。
 私は仕事をしている時から、情報の持つ重大性を特に重視してきました。それは過去の分析ではなく、これからの変化してゆく方向性の情報や、兆候に気づくことこそが大切なのです。その様な訳で、私は今も若い人達に情報の遅れを取らない様に、情報機器としてスマホ・タブレット・デスクトップパソコンも優れた機能のものを買い揃えています。
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 パソコンは今年3月に3年前のものを買い替えました。秋葉原のパソコン専門店に行き、カスタムオーダーで頼んだもので、ハードディスクは1.5テラ、メモリーは8メガ、に画像用にグラフィックを備えており、45秒で立ち上がります。画像の処理は大変早く出来ます。
 また、タブレットは同じく昨年4月に購入したもので、マイクロソフトのサーフェスの10インチであり、OSソフトはウインドウズRT(アイパッドは使用していません)(ウインドウズ8の簡易版)を使用しており、タッチ式画面です。
 スマートフォンは5インチ画面のものを使用しており、ソフトはアンドロイドです。
使用に際しては音声通話は無料のラインを使用していますが、時折通話が途切れることがあるのが残念です。通信回線はワイファイでLTEの仕様です。
 先日、これでグーグルの地図を見ようとしていたところ、何と偶然に音声入力が出来ることに気付きました。そこで、市内のEモバイルの店に行き、再度このスマホの仕様方法を聞くと、インターネットでも音声入力が出来ることを教わりました。また、スカイプにも対応していることが分かり直ぐにインストールしました。
 しかし、困ったことは、これらが色々と基本ソフトが異なるために操作が覚えられないので、毎回つまずくことが多いのが難点です。また、タブレットは反応が遅いここと、スマホのワイファイが何処でも繋がる訳でもないので、昨年奈良県の明日香村で使用したところ、電波が繋がらなかったのには残念な思いをしました。
 私のインターネット環境はやはりデスクトップに頼ることが多いのが実感です。
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by minoru_mogi | 2014-07-31 21:20 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 この本が日本で出版されたのは1979年のことであり、70万冊を超えるベストセラーの書となったがアメリカでは14万冊の出版であった。しかし、この著者は経済学者ではなく、ハーバード大学出身の社会学者であり、「家族関係と精神衛生の国際比較」がその研究対象であり、後に同大学の教授となった。
そして1958年にこの研究目的で来日して、同じ学者の夫人と1歳の息子と渋谷に2年間に亘り滞在していた。その頃の1ドルは360円であり、奨学金で生計を立てていたが、かなりの生活水準を保てたと記している。彼は1930年生まれであり、日本語と中国語を勉強して、中国語で講義するという能力の持ち主でもあった。その後二度日本に滞在した。
 彼がこの本を出版して20年後の2000年3月に元朝日新聞の論説主幹、松山幸雄との会話では、以外な事が語られている。
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1970年代になると、日本の対米輸出が急激に伸び、ウォークマン・自動車・造船が爆発的にアメリカの市場に入ってきて、日本の経済発展が顕著になった。その背景について彼は分析をして、それを本にして発表したのである。彼はこの本をアメリカがもう少し頑張らないといけないと思い、アメリカ人に警告を発する意味で書いたものであると言っている。そして、時の駐日大使のライシャワー氏に見せると、大使はこの本は日本では出版しない方が良いと助言したという。
 日本人はこの本が翻訳され出版されると、大いに喜びやがて自信過剰になっていった。ライシャワー氏は多分それを察して出版しない方が良いと言ったのではないだろうか。
日本ではその後の1980年代に、バブル時代を経て、その後バブルがはじけて大銀行の破綻や主要証券会社が潰れて、その後20年も元の成長路線にもどることはなかった。
この内容はアズサ・ボーゲルの関係書を読んで知ったものである。
彼は「ジャパン アズ ナンバーワン」とのタイトルにしたが、「ジャパン イズ ナンバーワン」としていないのは、その意味が現れているのであるとも言っている。
事実には思いがけねい事があることを知った。
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by minoru_mogi | 2014-07-24 20:22 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 我が家の裏のお宅の南西の角地に、ヤマモモの6mくらいの樹があります。数年前にこの樹に赤い実が少し成るのを見つけました。ところが、今年はこの実が樹の上から下までびっしりと成ったのです。手を伸ばせば楽に取れる枝もあります。樹の下には熟した実が沢山落ちているので、そのお宅の奥さんに話をして、スケッチをする目的で枝を切らせてもらうことにしました。
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実は高いところにはびっしりと成っており、実の大きさも直径1.5cmほどの充実したものです。実を取って口に含んでみると、甘いものの酸味が強く果実酒にでもしたら、きれいな紅色になると思えます。その小枝を2本ほど鋏みで切って、家に持ち帰ろうとしたところ、実がポトリと2つも落ちてしまいました。
実に綺麗な実なのでスケッチをしようと考えましたが、色々とその実を描く手法を考えても、実の質感を出す方法が考えつきません。そこで今回は写真を撮って我慢しました。
 ヤマモモの樹は本来は関東地方には無く、房総半島南部や伊豆半島が北限です。南限はフィリッピンと図鑑にはありました。大きなものは高さ15mで幹の直径で1mにもなるとあります。九州や四国には大木が自生しているのです。
1980年代のバブルの頃から、都内では大きなビルや街区の再開発が行われ、それに伴い九州や四国からヤマモモの大木が運ばれて、それらビルの周りに植えられました。その頃、同時に都市の温暖化やヒートアイランド現象が進み、都内の街路樹として植えられることも多くなりました。このヤマモモの樹が暖かな地方から運ばれたことにより、その根に付着していた土の中にクマゼミの幼虫が居たことにより、それが地上に発生してクマゼミが都内を中心に急速に増えて、騒々しく暑苦しいせみの声を広げて行ったのです。それまでは関東地方にはクマゼミは居なかったのです。このクマゼミ北進の考察が論じられており、まだ定説にはなっていないのですが、私はこの説を信じています。
今年はニイニイ蝉の声はもう聞きましたが、クマゼミの鳴き声が梅雨明けと共に騒々しくなりそうです。
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by minoru_mogi | 2014-07-17 11:22 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)
 この4月に利用の始まった新大学図書館は私にとって実に使いやすい満足度の高いものです。図書館の地下階から1・2・3階まではオープン書架となっていて、蔵書の7割位は手に取って見ることが出来ます。
本好きにとっては棚の本を手に取って、ページをめくり何が書かれているか、それは自分の探している本であるか、時としては期待していない新しいことが書かれているか等、実にワクワクするものです。また、それ以上に素敵なことに、この図書館内には軽い飲食が許可されたラウンジが2階にあり、その広さもゆっくりと50人程入れる外が見られる部屋があり、更に3階に南の方面が良く見える部屋は同じ目的の10人程で使える部屋となっているのです。その部屋からは府中方面が良く見えて学内の緑の林の上に多摩丘陵までが目に入ります。
 先日、友人3人でその図書館を訪ね、私の良く知った図書館担当者にお願いして、急なお願いにも拘らずこの施設の全機能を詳しく案内してもらいました。
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私が先ず知りたかったのは4階のフロアの様子が今までオープンされていないので、何が有るのかを尋ねたところ、この階には教授たちの研究室が20数室有るということで、環境としては最適な場所です。学内には今までは教員用の研究室棟が第1、第2、第3、までありましたが、更にこれは実質的に第4研究室です。
 この建物の地下室を案内してもらったところ、そこには全自動の書庫があり、蔵書を無人で自動的に出し入れしています。本を探すのは一冊ずつ探すのかと思っていましたが、実際は50冊くらい本が入っているケースを自動的に取り出して、その中から選んで手で取り出していました。しかし、それは各階で出すことが出来る様になっていました。
また、取り出した本は機械で貸し出しの手続きが出来て、人は介在しなくて良いのです。
 私は何時も家を10時頃に出て、府中でバスに乗り国分寺駅に出て、歩いてキャンパスに行きますので、11時半頃に学内に入ります。そして生協でサンドイッチと飲み物を購入して、この図書館の3階のラウンジに行き、軽い昼食をとり、それから3時くらいまで読書をしています。この時間は至福の時を過ごすことができます。
OBとして大学の寄付金の要請には必ず応えていますが、その果実を十分に楽しめている気がしており、最低でも月に2度は必ず訪れて充実の時間を楽しんでいます。
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by minoru_mogi | 2014-07-11 14:04 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 北アルプス立山を背景にした山岳映画である「春を背負って」を見てきました。初めからこの映画は奥秩父の話を立山という山の景色の優れた場所に置き換えられて作られた作品であると言う事は承知していました。私としては映画そのものより春山の立山の景色を再度見たかったのです。
 大学卒業後百貨店の仕事に就いてから数年した、確か26歳の一番気力体力の充実している時の5月の連休明けに、休日と休みを入れて4日間ほど取り、立山に独りで登山とスキーに出かけました。
上野駅を深夜零時頃の汽車に乗り富山へと向かいました。そこから富山電鉄で美女平まで上がり、バスで天狗平までゆき、深い雪の上を歩いて室堂まで苦労して、そこから少し下って雷鳥沢の雷鳥荘へ夕方4時頃に着きました。
装備は2尺8寸のキスリングとスキー一式・ピッケル・アイゼン等の重装備です。着いた晴れの翌日にはピッケルとアイゼンを装着して、夏路でなく道のない雪に覆われた這松の斜面を直登して立山山頂の雄山の祠まで登って来ました。目の前には荒々しい剣岳の山稜と、大日岳の女性的な緩やかな雪のドームのような光景に感激したものでした。翌日は雷鳥沢でスキーをしましたが、なだれの後の雪の表面は小石が多く出ていて、滑走には不向きで早々に止めて小屋へと戻りました。
その様な訳でこの映画の春山のシーンを見たかったのです。映画の山姿の撮影には満足しましたが、映画の印象はさほど残りませんんでした。
 そこで、この話の原作を読むことにしたのです。原作での背景は奥秩父の甲武信ヶ岳です。(地図ではコブシヶ岳ですが、地元の人はコブシンと言っていました) 学生時代の最後の年に友人と二人でこの山に登ろうとテント持参で出かけたのは9月の上旬でした。
しかし広瀬から東沢の鶏冠山からの登山道に入ると、8月末の台風の影響で風倒木が山道をさえぎり、とても登山になりませんので登るのを止めました。そして笛吹川の上流へと延びていたトロッコ道を遡ってみました。このトロッコ道では白い石が落ちていてその割合大きなものを拾ってきました。後で判るのですがそれは長石だったのです。帰りに見たのですが、塩山駅にはこの石が山と積まれており、貨車に積む準備がしてありました。
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       みずがき山の吾妻石楠花 登山道沿いに群落があります
 小説ではこの梓小屋の話(梓小屋は架空の山小屋?)で起きた事件を中心としていますが、大変良く書けています。そしてその十文字峠の石楠花の見事なことの話は聞き及んでいるのです。私はこの場所は見てはおりませんが、直ぐ隣のミズガキ山で素晴らしい石楠花の群落が登山道に沿って咲いており、その最高の時期である6月10日頃に、何人もの友人を連れて毎年通ったものでした。
 この話は以前NHKの夜の遅い時間に連続ドラマで放送された事があり、私は非常に興味を持って聞き入っていたものでした。
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by minoru_mogi | 2014-07-03 12:52 | 随想 | Trackback | Comments(0)