山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2013年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 南アルプスの仙丈岳への登りは、北沢峠より70m程下がった大平(おおだいら)小屋から、朝7時半頃にゆっくりと出発した。沢に沿って登ると、高山植物が道の周りに沢山待っている。これらを観察したり写真を撮ったりとしつつ登り、馬の背の山小屋の辺りには10時頃に到達した。そこには高山植物の群落が有り、信濃キンバイは黄色の原となっており、紫色のタカネグンナイフウロウも沢山出てきた。這松帯を抜けると湿地には背の低いクロユリが目立たずに咲いていた。山頂に近くなり岩くずの山腹には黄花シャクナゲ・チシマギキョウ・オヤマノエンドウ等が背の低い姿で岩に張り付いている。私は夢中で観察した。
 周りはと見ると雲の中にいる様子で山は全く見えない。山頂ももう直で到着するはずであるが、12時を過ぎており、山小屋で作ってもらったお弁当を食べる。4時間以上も登ってきてかなり疲れを感じて、さてここで引き返すか、山頂まで登るかを考えた。もうこの山には2度と来ることは無いと考えられるので、最後の力を振り絞って山頂に登ることに決めた。
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            北岳 肩の小屋より仙丈岳 後日のスケッチ
息切れする中で山頂には1時頃に着いた。広大な360度の視界が有る山頂は霧の中で、目前に見えるはずの北岳さえも見えない。しかし、北東に位置する甲斐駒ヶ岳だけが見えている。
 山頂には10人ほどの高校生が先生と共におり、あと2人の若い人と私だけである。高校生のグループが大きなスイカを割って食べ出した。私はこの人数ならば一切れ位は分けて貰えると大いに期待した。
d0059661_15325262.jpg山の人たちは食事の折にコーヒーを淹れたのでとか果物を分けてくれることが多く、スケッチ中などに何度も貰っていた。しかし、この先生はその様な心の広い方ではなかったようである。
1.5リットルの水筒の水は無くなってしまい、夏山では2リットルの水は必要である。唇をかんで待ったが何も起きなかった。私は今もあの時は一切れ分けてくれませんかと、勇気を出して言えば良かったと思っている。
 視界の無い山頂を諦めて早々に下山にかかつた。途中の沢に出たところで水をがぶ飲みした。その傍にタカネグンナイフウロウが咲いていた。疲れた体ではザックの中のカメラさえ出したくない。まして一眼レフの本体と、標準・接写・望遠の3本の交換レンズは全く重い。しかしこの花は私に力を蘇らせてくれた。スケッチブックを取り出してこの花のスケッチを始めた。
朝出発した山小屋に帰り着いたのは5時であった。この花のスケッチを見ると、あの時の苦しさと、スイカを食べ損ねたうらやましさがよみ返ってくる。確か45歳くらいの7月であった。
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by minoru_mogi | 2013-07-28 15:35 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 私が定年の60歳になった年には、百貨店のファッション子会社の社長をしており、そこで退任して監査役の話があったのですが、私はそれを断り退職することにしました。その理由は、私はその時は体に不安があり、また、昔医師から言われた「あなたは短命でしょう」との言葉を信じていたのです。しかし、6月末までの役員任期なので、身分上は百貨店の一社員に戻り、嘱託の社長という変な立場になりました。そのお蔭で、私は12ヶ月の失業保険を受け取れる資格が得られたのですから幸いでした。
ところがです、今75歳となって自分は健康であると思っています。
 定年により時間的自由を得ることには大きな魅力を感じていたので、定年を人生の第一期のまとめと考え、これからの第二期に入るという意味で、リタイアメントを「テイクオフ・離陸」と考えて、「テイクオフ パーティ」を自分で主催することにしました。会場には大学時代から知り合いの印刷会社の社長が、余技で経営している新宿にあるロシアレストランを借り切りました。そして、夜の時間帯に75名の先輩・友人・同僚・知人に連絡して、素敵な雰囲気での気のおけないパーティとしました。
料理はもちろんロシア料理のフルコースです。前菜・ボルシチ・黒パン・壷焼き・鮭・牛肉串焼き・スグリソースのアイスクリーム・クワス・ジャム入り紅茶とお酒はウオッカ・ビール・グルジアワインです。会費は5千円として本来の7千円を特別料金にして貰いました。
私の家族は娘2人が受付を手伝い、家内と私はホスト役ですが、私はファッション経歴を出してタキシードで決めてのお出迎えです。席には大学先輩や、大学同期生・会社の同僚・仕事の友達・異業種交流会の多彩な仲間・大学クラブの後輩達・山仲間が集いました。会は開始早々より自由な発言や、ピアノが上手な交流会の建設業界の会長の弾き語りから皆で歌が始まりました。
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       スケッチよりの絵葉書  北岳からの観音岳と小太郎尾根
 日の出前
この日に備えて、私は皆に渡す品として、12枚セットのカラー印刷の山の花とパノラマの山のスケッチを用意したのです。この印刷は私が親しくしていた福島県の印刷会社の社長のお嬢さんにお願いして引き受けてもらいました。この印刷会社は博物館の出版物を作っている会社で、大変レベルの高いところでした。試しの印刷が出来て来ましたが、色の校正も全く不要な完璧なものでした。その結果この葉書を渡した方から、こんな立派なものを貰って良いのですか?と尋ねられました。その方は原画の葉書を貰ったと思ったようでした。
しかし、この200部の印刷にはかなりの金額がかかりました。25万円です。それには役員の退任慰労金を充てました。
以来15年を経て、私はこの15年の年月が実に充実したものであり、山登り、海外旅行、国内の歴史的施設を訪ね、もう人生の元を取ったというのが本当の気持ちです。
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by minoru_mogi | 2013-07-21 19:21 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 私の所属するワイズメンズクラブは、来年には発足後20周年を迎えます。発足時は15名くらいの会員でメンズクラブと言う名称とは異なり女性の会員が4割近くであり、また、その活動においては夫妻で参加が原則となっています。
会は当初より八王子市内の老人ホームのデイケアの方々の手助けをしており、近隣の深大寺公園や府中の分倍河原公園などの遠出では車椅子を押すなどのお手伝いを男性女性共々にしてきました。また、男の方の中に音楽に秀でた方がおり、ピアノのやサキソフォンを演奏して月に2度ほどホームでの音楽会をして歌謡曲や童謡なども一緒に歌う時を持ちました。私はこの方と長くお手伝いをさせて貰いました。しかし、この方が心臓病で急逝してからは、これも自然消滅です。車椅子押しも、このホームが拡大して倍くらいの方のデイケアとなり、我々では手が回らずこれも無くなりました。
しかし、女性たちが以前より手芸とペーパーフラワーを作る教室を主導しており、これは今日も引き継がれています。このグループでは我々の会の名を名乗っておりますが、実際は個人的なボランティアの方々が多数参加してくれており、会員以外の方が多く、80歳を越えた方まで参加しています。会の有る日は家内や近隣の方が運転する車で、皆さんのお宅を回りホームに行っています。
不思議なことには、この活動をされている方は誰一人としてこの近くのホームに入った人はおりません。多分、自分達がお役に立つことの緊張感が普段の生活に良いリズムを作り、健康や体調の管理にも好影響を与えているのでしょう。
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 先日、このメンバーを対象に、ワイズメンクラブとして昼の時間に近くの素敵なレストランで感謝会を催しました。私は会長としてただ一人男性で参加させて頂き、皆さんの日頃の働きに感謝を述べさせて貰いました。皆さん70歳以上の方々でしたが、大変元気で食事も大いに楽しみ、話しに花が咲き楽しい時間となりました。やはり健康を保つには社会の中に自分から出て行き、色々の方々と話す時間を持ち、体を動かすことが健康の基礎のように思えました。
 実は、昨日私は甲府市にある兄弟クラブの例会に参加してきました。このクラブでは40名を越える会員がおり、その例会は市内の一流のホテルでゆったりとした丸テーブルで会合と会食が行われました。85歳以上の会員が何人も出席しており、その数人の方とは私も以前より知っている人たちです。そこで40代の新しい会員2名が入会式を行い、楽しい会合となりました。会費も実に安く、よくこのホテルで出来るものと感心しましたが、年間での契約をしているそうです。
甲府へ出かける前は昨日38度となったのを聞き、恐る恐る行きましたが、夜の楽しい時間を持ち、帰りはスーパーあずさにて1時間で八王子に戻り、10時半に家に着きましたが、充実感だけが残りました。
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by minoru_mogi | 2013-07-10 15:55 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 以前、高尾街道を歩いていたところ、大正か昭和初期に作られたと思われる古い立派な石作りの道標に出くわし、その表示の道を歩いてみたいと考えました。そこは今皆さんが高尾山に行く折に利用する、高尾山口駅からは500m以上離れており、JRの高尾駅から1.5キロ程歩いてきて、その道に入ると幅3m位の舗装はしてある道へと入ってゆきます。
d0059661_17385249.jpgその日は梅雨の中休みで久しぶりに空が少し出ており、また湿度が低いとの予報を聞き、何だかけだるい体では有ったのですが、5月以降山歩きの機会が少ないので体がなまってきているので敢えて出かけてみました。
車のやっと入る舗装された道を少し登ってゆくと、直に道が終わり今度は人一人が歩ける土の山道が出てきました。静かな山歩きの好きな私にとっては、大変好都合な環境です。周りの樹木はクヌギやシラカシの大きな木であり、その中に根こそぎ台風で倒れたと思える木が沢山あります。
周りは高尾神社の境内と考えられ、荒れた山姿です。道はと見るとかなり沢山の人が歩いている事が判ります。11時頃でしたが人には会いません。ここから登る人はいないようです。暫く行くと山ガールの様な派手な服装をした高年の女性が1人降りて来ました。あまりきつい登りは無く、ゆっくりと山の植物を見ながら行きますが、山の花は有りませんでした。
小1時間かかり傾斜が緩やかになり、若い女性が二人降りてきました。林の中の風はさわやかで石の上に腰を下ろしてゆっくりとお握りを食べ始めました。休んでいると少し寒く感じてきたので、腰を上げてまた歩き始めました。するとそこが金比羅神社でした。
そこからは舗装された道が高尾山の山頂まで伸びていますが、山と言うより行楽地という感じの高尾山には全く魅力を感じないので、せいぜい400mより低いここから同じ道を戻るのも面白くないので、コンクリートの道を高尾山口まで戻り、1時の電車に乗り2時には家に戻り昼寝としました。しかしそれは風邪の引き初めで、それより2日間は喉が痛くて酷い目に合いました。やっと今日になり風邪も全快です。
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by minoru_mogi | 2013-07-01 17:43 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)