山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 加賀藩の16代目の当主、前田利為(としなり)氏の本邸として、1929(昭和4年)に欧州建築の粋を集めて建築された、当時東洋一の邸宅と言われたものが、今は東京都の所有となり、目黒区の管理のもとに公開されています。それは英国のチューダー様式を取り入れており、東大の塚本靖教と宮内庁の技官高橋真太郎による設計に依るものと説明書に解説されています。駒場駅よりは10数分ですが、正門は駅から一番遠くに位置します。現在はもちろん重要文化財と指定されております。
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今回は5人でそこを訪れました。その前に日本民芸館に立ち寄りましたが、そこを是非見たかったという方もおり、1時間以上にわたり見学してきました。丁度お昼時間となったので直近くにある東大生産技術研究所内にある、イタリアンレストランで食事を摂りました。昼の料理ですがポークの1.5センチもの厚さの大きな肉と豆のサラダが美味しく、コーヒー付きで1200円と、約1時間をかけて別の個室でゆったりとイタリア人風に楽しみました。
そこからは、研究所の正面からの大きな木に囲まれた落ち着いた門を眺めて、今度は前田邸の正面の門から入りました。敷地は7000坪とかで、広い大木のある庭を先ず巡り、正面玄関より入りました。終戦後は駐留軍に接収されてリッジウェイ中将が使用したそうです。
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サロンの部屋 現在はティールームとなっており、テーブル椅子はそのためのものです
丁度2時からは解説者が付くので、それを待ち2つのグループに別れましたが、こちらのグループは8人と少ない人数です。前に私が来た時は50人ほどで良く聞こえないくらいだったのです。
以前上野池之端の旧岩崎邸を訪れましたが、こちらの方が優れている感じがしました。玄関を入り直にサロンがあり、隣接して応接室があります。そのシャンデリアと緑のイタリアからの大理石の暖炉は往時の姿を残しており、ほの暗い照明はヨーロツパの室内を見せています。今はこのサロンでお茶を楽しむことが出来、窓の外は広い芝生の庭が広がっています。続いて小客室と大客室があり、隣に大食堂があります。ここでは一つのテーブルで30数人が一緒に食事を摂れたそうです。その写真があり見せて貰いました。隣には家族の食堂があまり広くはなくありました。
この食堂の暖炉は同じイタリーの白い大理石のものでした。2階が家族の居室で4室の子供部屋と主寝室・婦人部屋・書斎があり、そこに配されている家具は皆英国から輸入されたものだそうで、机もベツトも化粧台も黒色で落ち着いたものばかりです。
そこからは使用人の部屋を見ましたが、130人以上もの人がおり、こちらの部分は天井も普通の高さで、女中部屋は広い洋室が有りますが、廊下も普通の家の幅であり、10畳の和室と6帖の和室2室、などがあり、そこに使用されている木材も洋館内のチーク材でなく普通の木材でした。ほかに書生部屋もありました。 1時間近くの説明で細かく色々と見ることができました。
 前田邸を後にして駒場東大のキャンパスに入って、学生のティールームでケーキとお茶のティータイムを堪能して駒場駅より帰路にと着きました。素敵な1日となりました。
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by minoru_mogi | 2013-06-23 20:15 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 6月6日より9日まで、岩手県の大槌町を訪ね、私の所属するクラブの兄弟クラブである武蔵野多摩クラブの方6人と共に、新花巻よりレンタカーで大槌町へと向いました。その中に急遽金沢市よりワイズ会員の平口氏(元大学教授)参加したことが、後に大きな意味がありました。10時ころ新花巻を出て、海岸線に向かい、遠野を経て道の駅でお握りを買い、1時半にやっと音楽の会場である安渡第2仮設住宅にたどり着きました。
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             校庭の仮設住宅と廃校になった小学校
ここの仮設は45戸あり、往時の小学校の集会室で1時間にわたり,石丸さんの電子ピアノと石塚さんのヴァイオリンで、童謡を中心に歌の時間を持ち、住人の17名ほどが参加してくれました。もちろん年配者が多く、男性も90歳の方も含めて5名ほどが来てくれ、一方的に歌うのではなく曲当てクイズなどの参加型で進行をしました。そこの方が言うには昨日は静岡から焼きソバの出張があり、その前はたこ焼きが来たとの事でした。
 歌の会を終えてから被災地の全貌を見て周りました。海沿いの町は全滅で山地に有った住宅のみが残っています。約1万5千人の住民の中で797人が死亡、437人が行方不明であるとの事を、帰ってからインターネットで調べて知りました。
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               仮設住宅の中の談話室 ここで音楽ボランティア
海沿いの所を見て周りましたが、そこに木曜日の午後の休診時間を利用して植田病院の院長が来て、良く説明してくれました。実は金沢から参加した平口氏は、植田医師の初めて教えた学生であり、我々が大槌町へ来るというオープンメールに気付き、急遽参加したのだそうです。そして院長の仮設の診療所に行き、ビデオや写真を見せていただきました。実は先生自身も4階の自宅ビルで津波を受け、近隣の人たちもそのビルに逃げてきた人と共に、3階まで迫った水の中で4階に逃れ、翌日その屋上から自衛隊のヘリコプターで15名の人と共に引き上げられて救出されたそうです。翌日も2箇所の音楽ボランティアを実施しましたが、昼には嬉しい海の海鮮料理の食事をさせてもらいました。
その先生は翌日の診療の合間の昼食時間に、海沿いの高台にある海鮮食堂で、我々5人にウニ丼を御馳走してくれたのです。私は初めてのこの丼の美味しさに堪能させてもらいました。聞くと昨日がウニの解禁であったという事でほんとにラッキーなことでした。
そして、陸前高田の1本松と大船渡の市内の交差点近くに運ばれた大型漁船をも見て、地元の方のそれをモニュメントとして残すか、又は取り除くかの議論を注意深く見ていこうと思いました。
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by minoru_mogi | 2013-06-11 17:40 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 家の近くに2社のバスが来るバスターミナルがあります。商店街が元気であった頃は、この商店街でターミナルの植え込みに花が植えられていましたが、商店が殆ど閉鎖されてからは雑草が茂ったままになっていました。
そこで、これを見かねて私が1人でここに花を植えることにしました。4月に我が家の庭で育ったツユクサやベンケイソウ、グラジオラスの球根を植えつけておき、沢山庭に生えていた7センチ位のヒエンソウの苗をその場所の3分の1くらい植え付けました。そして雨の前には化学肥料を撒いて育成しました。
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5月末になりこのヒエンソウのブルーと白の花が美しい花を着け咲き出しました。少し残念なことは雨が少ないので乾燥して花丈が少し低く、枝も十分に伸びていないことです。そこで、この商店で残っている花屋さんの方に話して、水を分けてもらい散水し、また、種よりプランターで育てたコスモスを残りの花壇全体に丁寧に植えつけました。この花屋さんのご主人が私がコスモスを植えつける予定を話したところ、この花壇を綺麗に土を整えてくれていたのです。
コスモスの苗は根が着いたようですが、その後雨が降らないので苗があまり大きくは育ってきていません。今日はこれから化学肥料の散布に行きます。天気予報では雷雨の期待があるのですがさてどうでしょうか。
秋にはこのコスモスが沢山茂って花が咲く花壇になってくれることを楽しみにしているところです。
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by minoru_mogi | 2013-06-05 13:31 | 随想 | Trackback | Comments(0)