山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 例年の如く今年も11月18日より22日の間、家内の実家のある上田市に隣接する青木村に、リンゴの収穫のお手伝いに行ってきました。リンゴ畑より北の方に聳えるこまゆみ岳が墓石の様な形で見えます。天気予報が快晴の1日を選んで、21日に登ることにしました。朝8:30に殿戸の集落を出発して、当郷の集落の一番奥まで100m上がって行き、登山口へ到達したのは10時でした。
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その集落の山辺の境に当たる所に、羊の顔だけが黒いサフォークという種類が放牧されており、20頭位が珍しく来た登山者を全頭がじっとこちらを見ています。後刻、地元の人に聞いたところでは、この羊の放牧により山からの鹿や猪、狸などが羊の匂いを嫌い山から出て来なくなると言うのです。
登山口には熊が出るのでラジオを鳴らすか、鈴を着けて下さいとの表示が大きく出ています。尤も、里の集落でも数年前に熊を罠の檻で生け捕りにして、山奥に放したとの話を聞きました。
山道は赤松が主体の林で、その中にクヌギや雑木があり、明るい幅の広い歩きやすい登山道です。東側より尾根を登って行くと、かなり行くと北側に回りこんで檜の森が続き、暗くて広い道が出て来ました。そこには林道があり車のわだちがついていました。
小さな鳥居があり、それをくぐると急に細い登山道になります。樹林はクヌギやホオの木が有り、1000m付近からはミズナラの白い木肌が目に付きます。山頂が近づくとつづら折のきつい道となり、道の脇にはイワウチワの葉が赤い冬色をしており、昨夜少し降った雪が載っていました。山頂直前には北面には霧氷が真っ白に見事な景色です。
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12:10に山頂到着しました。そこは登山者が20人も来れば場所は一杯です。今日は5人の登山者と思っていたところ、5人の中年の登山者が来て10名になりました。祠が3っもあり、山頂からは東に菅平の山と、少し離れて浅間山が山頂には雪が来ており、南に八ケ岳とその右には美ヶ原の山並みが見えています。眺望の良さは2000m級です。木の間から北東を覗いて見ると北アルプスの爺ケ岳鹿島槍と五竜岳の真っ白の峰が連なっていました。
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山頂に30分居てから南の村松方面に下ることにしました。クヌギの落葉が10センチも積もっており、道も分りにくいほどで、登山者が歩いた形跡は殆どありません。急なところはステップを切ってありますが、落ち葉で見えず余計の怖い思いをして、1度ならず滑って転びました。
この下りの途中に西側が見えるところに出ると、常念岳、穂高、槍ケ岳の白い峰々が望見出来ました。今回の山行きは素晴らしいもので、思い切って出かけたことに大満足でした。
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by minoru_mogi | 2012-11-23 22:44 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 昨年の春に歩いた陣馬山の秋の紅葉を期待して出かけてみました。北面の杉林の中を登る山道は汗をかかず歩ける環境でしたが、体は息切れがして足はなかなか進みません。
山頂真近の草付きまで来た所で、若い女性二人が勢いよく登ってきました。バスで来て陣馬高原下より登って来た人と思われたので、「何時のバスで来ましたか」と聞いてみると、私の時刻より1時間後のバスであり、地図の標準時刻の80分より早い60分で追いついてきたのです。私は彼女らに抜かれて120分もかけて頂上に着いたのです。これを聞いて大いにガッカリしましたと共に、若者のエネルギーは私の昔の姿であったと思いました。
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                        陣馬山山頂
山頂からの視界は良好で雪姿の富士山は美しいのですが、山頂付近の今年の紅葉は昨年ほど良くありません。風の強い山頂で早い昼食を摂り、20分で寒くなり出発です。あまり人の行かない静かな尾根を行こうと栃谷尾根に入りました。ところがこの道は檜や杉の森で暗く、周りの視界が無いつまらない山道でした。
やっと栃谷の集落の近くまで降りて来ると、静かな山村風景が広がります。南に面した山肌にはお茶の畑と柚子の木が植えられており、黄色の実がたわわです。そう言えば藤野駅(今は相模原市の一部)には「柚子の里・藤野」という看板が有ったのを思い出しました。
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                         柚子の畑
谷筋へ出て3軒ある鉱泉の宿の一つである陣渓園に立ち寄り、沸かし湯ですが温泉に入って来ました。行く前に調べたブログでは檜の風呂とありましたが、それは別の宿のことで少しがっかりです。しかし、今回の山歩きはなかなか気持ちの良い山歩きで、また幸いに陣馬登山口でバスに乗れ、藤野駅より早い時間に自宅に帰りました。
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by minoru_mogi | 2012-11-16 22:28 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

さきたま古墳群 No407

 以前より行きたい所であった行田市の古墳群へ思い切って行ってみました。
この地はJRの行田駅よりもかなり離れており、バスも好ましいものが無いので二の足を踏んでいたのです。たまたま八王子より武蔵野号という電車が直接武蔵野線を経て大宮行きがあり、それに乗って大宮で高崎線に乗り換えて11:29に行田駅に着きました。
駅前には商店も少なくバスの目的地への便は1時ころまで無いので、そちらの途中まで行くバスで水城公園まで行き、残りの2.5キロを歩くことにしました。途中でお昼となったので食堂へ立ち寄り13:20頃に目的地へと到着です。
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そこには10万坪は有ろうかと思える芝生を主とした広大な土地が広がり、その奥に古墳群がまとまってありました。主なる古墳は9基ありますが、先ずは丸墓山古墳に登りました。これはここではたった一つの円墳です。しかし高さが19mもあり、その上からは関東平野が見渡せます。
先日見た実話に基く「のぼうの城」の映画では石田三成が忍城攻めの時に、陣を敷いた所だそうで、その直下には忍城水攻めの折の石田堤の遺跡が今も残っているのです。
次に稲荷山古墳、将軍塚古墳に登って見てその将軍塚の資料館をみてきました。それらの前方後円墳は実に立派で、大変良く整備保存されています。ただ、残念なことに一番大きいな120mもある双子山前方後円墳は周りを見ただけでバスの時間に乗り遅れないように後ろ髪を引かれる思いでその地を後にしました。バスは2時間に1本しか無いのです。見ることが出来なかった残りの5つの古墳は後日また訪ねてじっくりと見ることを考えて諦めました。
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 バスにて市内の中心部へと向かい、水城公園を抜けて忍城へと行き、その3層の櫓を見ただけでバスの時間が気になり、バス停で時刻表を見ると10分後の吹上行きを逃すと次に来るのは1時間後の熊谷行きしかなく、急遽その15:37分のバスに乗り吹上駅に戻り、新宿経由で18:30に家に戻りました。
今回訪れた古墳は奈良県などの点在する古墳と比べて、一箇所にまとめてあり、埼玉県が実に立派に整備しており、この映画で知名度が上がる機会を生かして、忍城と共にもっとPRをした方が良いのではないかと思いました。
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by minoru_mogi | 2012-11-11 11:24 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 私の所属するボランティアグループでは、中央大学の社会問題に取り組む大変立派なグループとの交流があります。11月4日に大学祭の中でのこのグループの展示とフェアートレードカフェの部屋に、応援と励ますために中高年7名で立ち寄りました。
そのカフェではフェアトレードの対象の品も売られており、タイやケニア、シリアの刺繍手芸品や紅茶、オリーブ油の石鹸など、また、国内の身障者の施設で作られたクッキーなども売られており、紅茶を飲んで来ました。
そのティールームの直ぐ隣の部屋に、何と「男の操、おかまショー」と称する部屋が有ったのです。その受付は可愛らしい女子学生が、チェック柄の素敵なコスチュームで応対をしており、この部屋へ入る順番を整理していました。そこには女子高校生が入る順番を待って十人ほどが階段で待っていました。このグループは有志の団体で「おかまクラブ」ではない様子でした。しかし、何はともあれ、我々昭和世代には全く理解できないものでした。またよく学祭本部がこれを認可したものです。
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それと同じように手話サークルの発表の部屋もあり、また東北地方へのボランティアの救援活動の発表をしているグループの部屋もあり、大変学生らしい活動に好感を持ちました。中には、戦時中に満州の開拓団で母親を中国人に殺されたという、80に近い老婦人が学生さん2人を前にして、戦争とは何かを語り部として話し、真剣に聞き入っている男子学生の姿には感心しました。
実はその部屋では戦時中に女子学生として風船爆弾を作るために紙を張り合わせていたという経験を有する方の話が有ったのですが、私がその部屋を訪れた時には終わっていて話を聞くことが出来ませんでした。しかし、その話をBVDで流しておりそれを見て来ました。
1944年の11月から9300個の風船爆弾が飛ばされ、アメリカには約1000個が到達して、6人の命が奪われたことに、彼女はその殺人の一端を担ったことを苦しんでいました。
この風船爆弾については私の以前のブログ321号に「明治大学生田キャンパスと風船爆弾」として書かれています。是非とも見て貰いたいものです。
しかし、おかまショーとこれらのクラブのギャップは一体何なんでしょうか?
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by minoru_mogi | 2012-11-06 12:15 | 随想 | Trackback | Comments(0)