山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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平泉訪問 No405

 長年訪ねてみたいと考えていたところ、友人も是非に行きたいとのことで行ってきました。
本来は、一昨年の9月にボランティアの一員として南三陸町へ行っており、その後を見たいと考えましたが、仙台から出ている奥羽バスの被災地を巡るバスが土日曜しかなく、また仙台発の早朝便ですが帰りが6時半と思わぬ長時間であり、残念ですが今回は割愛しました。
昨今の東北各地の宿は、復興支援の人も多いと見えて、1ヵ月半前でもインターネットで調べるとビジネスホテルは2ヶ月先までは埋まっており、中尊寺に近い平泉や一関はみな満杯でした。仕方なく宿は仙台としましたが、ここも宿払底という状況で、かなり高額なビジネスホテルでやっと部屋を確保出来ました。
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友人と2人で昼過ぎに仙台に着き、直に市営の観光バスマープルで仙台城址に行き、その高台から海岸部を眺めると海沿いに津波の痕が目に入り、飛行場の格納庫まで見渡せました。
翌朝、早くから出発して平泉には9時に着き、駅前で電動自転車を借りて毛越寺に行きました。その中をゆったりと散策して、昔の人の曲水の宴の水流に昔を偲び、周りのかえでの始まったばかりの紅葉を愛でてきました。この庭の広大さは今まで見た京都や奈良の庭園をはるかに凌ぐ広さには圧倒されました。
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 主目的の中尊寺へは門前より登って行きますが、観光バスが30台くらいバス駐車場に並んでいます。殆どの方がバスで来た観光客の様子でした。金色堂はさすがに美しく、美術品の殿堂のように感じました。この後も今も発掘中の町中の史跡を見て周り駅へと帰りつきました。
その乗った東北本線の車両はたった二輌で、乗車した客は20名くらいであり、しかも1時間に1本しかない一関行きには、都会人の我々には理解しがたいものでした。これが現実の姿なのだと東北の実情を知った思いでした。
土産物は石巻や気仙沼・大船渡などの被災地の産物が、平泉の土産物屋に沢山売られており、あえてこれらを重い思いをして買って家に戻りました。 
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by minoru_mogi | 2012-10-29 17:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)

大学巡り No404

 今年の春から意図して各大学を回っています。
先ず、5月に国立の一橋大学にホームカミングデーの折に行き、キャンパスを巡り、学生食堂でOB達と一緒に食事をしてきました。さすがに広いキャンパスで、国立大学らしい大きな樹木に囲まれた落ち着いたただずまいでした。
 次は、6月には東大の本郷へ歴史散歩の途中に立ち寄り、三四郎池をまわり工学部の中にある松本楼の支店で食事をしてみました。ここでハンバーグステーキを食べましたが、大変美味でサラダも充実のものでした。本当は安田講堂の地下にある学食で、学生達と共に食事をしたかったのですが、学生で混んでおり、一般人は邪魔になりそうなので遠慮しました。ここのラーメンは270円と、色々の学校の中で一番安い値段でした。定食の味噌カツライスのセットが480円で、是非とも食べてみたかった献立です。
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 9月には港区の泉岳寺に行った折に、足を伸ばして白金台の明治学院大学立ちよりました。
このキャンパスは明治時代の牧師館であるアメリカ風のペイントの美しい建物があり、その前庭の広大の芝生には美しい花壇が素敵な雰囲気です。ウイリアム・ヴォーリスの設計による教会もあり、後に増築されましたが現在も使用されています。ヴォーリス自身その教会で結婚式を挙げたそうです。
この校門から入ったイメージは素晴らしく、特に女子学生受けすると思えましたので、大学のホームページで調べて見たところ、女子学生の比率は6割近いものでした。 
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10月には吉祥寺の成蹊大学をオープンキャンパスの日に訪ねてみました。この日は沢山の高校生や、親子連れも多く一緒にキャンパスを隅々まで見て回りました。
欅並木から続く本館のレンガ作りの建物が落ち着いた雰囲気を作り出し、左手の100周年記念図書館の白い基調のゆったりとした室内を見て来ました。各学部の建物が後方の運動場まで続いています。奥まったスポーツ施設は大変充実しており、芝生のアメリカンフットボール場、サッカー場、野球場、アーチェリー場、乗馬場、室内体育館と、一つの大学の中にこれ程充実した施設の大学は始めて見てその歴史を感じさせられました。
昼食はその学食で食べましたが、食堂が手狭で椅子の席に余裕が無いのが少し残念ですが、食事の質はさすがと思わせるものでした。
 11月には中央大学の学園祭に行く予定ですが、学生達との交歓会もあり楽しみにしています。大学巡りは大変面白いもので、時間のある方にはお勧めしたいものです。 
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by minoru_mogi | 2012-10-21 17:07 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 以前に触れたことがありますが、私は大学時代に米軍の立川基地を中心にアメリカ人の中でアルバイトをして英会話の能力の向上に努めました。しかし、大変残念なことに百貨店に就職したことで、英語を使用する頻度は少なくなってしましました。
その頃、ドイツの労働団体の日本支部の3人の方と組合活動を通して知り合い、グループ企業の案内等の時にドイツ語を使用する機会に恵まれました。学生時代にウイーン少年合唱団出身の音楽家で、大学でハープを教えていたオーストリアの方と親しくなり、その折もドイツ語を話し親しんでいました。
 就職してから英会話の勉強に、私は自分なりの方法を考えてそれを実施しました。それは一流のホテルのバーへ行き、カウンターでカクテルを飲みながら外国人と話す機会を作るということなのです。
ヒルトンやオークラの中には幾つかのバーがあり、カウンターバーは必ず有りました。
そこでは仕事で日本に来たビジネスマンが、独りで飲んでいるケースが多く見られ、私は彼らの1つ離れた席に座り、頃合を見て話しかけます。先ず、どこの国からか聞いて、次に来日の目的を尋ねます。殆どの場合はビジネスで来ている人で、割合と気楽に会話を楽しむことが出来ました。暫く話を楽しんでから、「Have a good time in Japan」と言い席を立ちました。彼らはアメリカ人と西ドイツの方が多かったのを覚えています。
 昭和49年第一次石油ショックの真只中の1月に私は組合のヨーロッパ視察に出掛け、20日間に亘り20名くらいの団体で渉外役として参加しました。
先ず、西ドイツのジュッセルドルフのホルテン百貨店を訪ねました。そして社員用の施設を見せて貰いましたが、店員食堂が4人テーブルでゆったりとしていたのが印象的でした。次にパリのギャラリーラファイエット百貨店で人事部長より社員厚生の話を聞かせて貰いました。この時は日本人の通訳が時間に見えなかったので、私は通訳の役をすることになり、人事部長のフランス語を、若いフランスの女性が英語に訳し、私がその英語を日本語で話すという、面白いことになりました。
ロンドンでは石油ショックで停電の時間があり、街中は暗くテレビで「SOS」というキャンペーンが流れており、それは「Switch Off Something」の略であることが判りました。
そこではシンプソンズという百貨店で総務部長より話しを聞きましたが、当店は高額所得者をターゲットにしているとの話で、年収のポンドを言うので計算機で計算すると、約500万円」となり、桁が違ったかと何度計算してもその金額でした。
その金額は私の年収と同じくらいであり、後刻若い女性に月収を聞いて以外に少ない額に驚きました。その頃の日本の成長率は素晴らしく、年々給料が上がり続けていた頃で、今日の停滞振りとは様変わりの明るい時代でした。
その後も英語を使用することは少なく、どんどん錆びついてきてしまったというのが今の状況です。
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by minoru_mogi | 2012-10-14 17:04 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 久しぶりに六本木に出かけたので六本木ヒルズの展望台に行ってみました。先ず地下鉄の六本木駅を降りて地上まで行くのにエスカレーターを使用せずに階段を登ってみました。私は常々山歩きの足が衰えない様にと、駅では階段を登ることにしています。下から80数段登った所の踊り場で、息切れが酷いので止めてエスカレーターに乗ることにしました。階段は続いており半分くらい登っただけでした。
家に帰ってからインターネットで段数を調べてみましたが、地下42mとありますが階段のステップが何段有るかの記述はありません。意外なことにその深さは海抜では-12mと出ていました。それより六本木ヒルズに行き52階の展望室より全周を見て回りましたが、そこは海抜270mであり、地上よりは238mと分りました。
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 9月の天気ではまだ夏雲が多く、スカイツリーは良く見えますが遠くの景色はかすんでいます。
東京湾は南東部の眼下に広がり渋谷は西に高い建物で判別できます。新宿は高層ビル群の塊で、その周りには神宮外苑や明治神宮、新宿御苑、北の方向にビルとビルの間に皇居が見渡せます。
ゆっくりと眺望を楽しんでから次は泉屋博古館へと向かいました。
この博古館は住友の博物館で、京都に本館があり東京のそれは分館なのです。六本木より神谷町の方向に20分位歩いてゆくと、建設中の大きな住友のビルがありました。その周りにはいくつもの住友不動産のビルが固まってあります。その横から公園の様な緑地にエスカレーターを何基も上ってゆくと、その外れの近くに泉屋博古館はありました。
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入口のエントランスが長く続き、扉を開けるとゆったりとした展示場がありました。先ず目に入るのは住友が大きくなる事業の別子銅山の説明です。当時の精錬所の絵や説明があります。住友はほぼ300年に亘り銅山開発を進め、江戸時代には長崎から年に銅地金を5000トンも輸出しており、日本の貿易の大きな部分を占めていたのです。
展示室は二部屋に分かれており、右手には印象派のルノワールの大きな絵画が2点展示されており、その他にも明治初期の日本人の画家の作品が多数出品されています。左側の部屋もゆったりとした展示で青木繁やそのほかの日本の作家の大作が並んでいました。
その環境は絵画展に最適な静かでゆったりとしたもので、また、少し行きにくい場所でも有るので、本当に好きな方々のみが足を運んでいるという感じで、とても素晴らしいものでした。充実感に満ちて帰り道を都バスに乗って帰りました。
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by minoru_mogi | 2012-10-03 18:45 | 随想 | Trackback | Comments(0)