山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2012年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 歴史散歩の下見に文京区へ5月23日に出かけてみました。東大キャンパスには試験での思い出があります。ここのキャンパスで私は二度試験を受けました。最初は国立二期校の受験で、東大の農学部で受験して案の定落ちてしまいました。
次は会社に入って二年目に確か通産省の観光通訳ガイドを受験した時です。この試験では歴史の問題で歌舞伎のかつらの問題が出て、一度歌舞伎を見たことがありましたが全く記入出来なかったのを良く覚えています。でもそのチャレンジに自分では満足しています。
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今回初めて正門である赤門から構内に入り緑の濃い三四郎池を見て工学部の建物に向かいました。そこで今度来た時に松本楼のフランス料理を食べようという算段です。
 工学部の建物の中で、学生達がロボットを組み立てています。6・7人が相談したり、ノートパソコンと睨めっこをしています。「ロボコンゲームですか」と聞くと「そうです」との答えです。
皆が熱心に取り組んでいるところを遠くから写真を撮ったところ、「写真撮影は困ります、削除してください」と言われました。
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考えてみるとその通りで、外に情報がもれて困るのはもっともなのでその通りにしました。理学部の新しい校舎を通って弥生門より出て弥生美術館に立ち寄りました。竹下夢二の絵画はあまり興味がないので直に鴎外荘へと向かいました。
それは上野動物園の不忍池の脇の水族館の近くにありました。そこには水月ホテルがあり、入った中庭に鷗外荘はありました。人が沢山いるのは日帰り温泉もあり、それを目的の人達が見えている様子です。
平屋の森鴎外の旧宅がそのままに残されており、広い部屋には昔のままのガラス戸がはめられており、昔のでこぼこのガラスが入っていました。よくぞこの家屋を保存してきたものと感心しました。ここで彼は舞姫を創作しています。ここではロボットと明治の邸宅とのギャップの面白さを感じました。
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by minoru_mogi | 2012-05-27 21:00 | 随想 | Trackback | Comments(1)
 昨秋以来3回目の箱根への1泊旅行に出掛けました。このグループ旅行は我々八王子クラブのメンバーと、大阪の姉妹クラブの9人の18人の旅でした。
先ず1日目は大阪よりの参加した人達を丁度12:00頃に小田原駅で新幹線の口で出迎え、お互い全員との熱い握手です。それより皆で湯元経由箱根登山電車にて強羅へ行きました。大阪の方がスイッチバックは始めての経験と言っていました。続いて強羅よりケーブルカーで早雲山へ行き、そこからロープウエイで大涌谷の温泉の吹き出し口を見て回りました。このコースは一番に一般的なコースです。大阪の方はこの様に電車やケーブルで回ったことは無く、バスや自動車で回ったので良い経験が出来たと喜んでおりました。昨秋と変わっていたのは中国人、韓国人、マレーシアから等の旅行者が戻ってきているということです。
 2日目に行った所こそ思いがけない素晴らしいところでした。大平台の宿を出てバスで駒ケ岳の下を廻って箱根町へと着きました。箱根の関所を見て更に奥へと進むとそこに県立恩賜公園という、入場無料の公園があります。入り口の門が立派なので有料と思えますが誰もおりません。
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小高い丘へとアセビの形良く刈り込まれた並木の中を暫く登ります。すると丘の上に出てそこからは芦ノ湖と富士山が真正面の見え、丘の真ん中には立派な洋館が建っています。
この地は明治17年に宮内庁により造営が始まり、19年より箱根離宮として皇族の避暑地と外国からの賓客のために利用されていたところ、大正12年の関東大震災と昭和5年の北伊豆地震にて倒壊してしまい、再建計画は中止になりました。
昭和21年に宮内庁から神奈川県に下賜され「恩賜箱根公園」として、昭和34年に整備されました。その後平成4年に再整備され箱根離宮を模して「湖畔展望館」が建てられました。
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その敷地は広大なもので、庭園の樹木はアセビを中心に丸く傘状に良く刈り込まれています。展望台からは芦ノ湖の先に未だ雪の筋が鮮明な富士山が望め絶景です。遠くには駒ケ岳の山頂も見えています。
箱根にこれ程景観の優れた地は他には無いと思われます。さすがは明治の皇室の権威です。
この園内を皆で散策して、富士をバックに写真撮影をしています。これ程の所が入場無料には驚きでした。今回の旅の一番のハイライトであり、ここを巡ることを企画した人に大いに感謝です。殆どの人が知らない、箱根で最も箱根らしい公園を訪問できたことは本当に幸いなことでした。
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by minoru_mogi | 2012-05-21 21:38 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 5月中旬の土曜日に国立で会合があり、その折に一橋キャンパスを見てみようと行ってみました。その日は丁度ホームカミングデイが行われていて、我々の年配のOBがかなり沢山五月晴れのキャンパスに見えていました。
立派な校門を入ると右手に兼松講堂があり、内部では大学のチアガールが10人ほど大声を発して演技をしていますが、見ているOBは30人くらいと淋しい限りです。構内の敷地は広大でさすが国立大と言うところで、赤松や色々な大樹が聳えており、建物がその中に点在しています。
敷地の中央部分には図書館があり、稀覯書が特別展示展示されており、カールマルクスの資本論の初版が展示されていました。更に林の中には銅像やレリーフがあり、伝統を感じます。点在する校舎は各種の研究センターの表示が記されています。南側の一番奥には広いグランドがあり、400mのコースが有るものと思われます。
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構内の中程に大学生協があり、その前にカフェテリアが開いていました。その中に入ると丁度昼食時間なのでOBの方々が大半で食事をしていました。昼食の種類はと見るとカレーや蕎麦等のほかに幾つかの定食があり、また一皿料理が並んでいます。食券の販売機が有るかと見渡しましたが見当たりません。テーブルは6人掛け位のものが沢山あり、4人掛けは少しでした。一部にはカウンター式の席もあり、学生さんはその席で食事を摂っていました。私は会合で弁当が出るのでそれまでの腹繋ぎにざるそばを頼みましたが、310円と市価の6割位の価格でした。
芝生の中の池では子供たちが網を持って何かを採っている様子です。芝生の周りには椅子とテーブルが置かれてあり、大きなカラフルなパラソルの賑やかな色が目に付きます。
あまりにキャンパスが広すぎて、来ているOB達が散ってしまい、賑やかさが感じられないのは残念でした。
ところで、国立駅前の桜通りを次の会場へと急ぎましたが、その大きな桜の下の道には自転車専用道路が整備されており、国立の市民がうらやましく思われました。
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by minoru_mogi | 2012-05-13 22:42 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 大学において私は英語部の部長を務めると共に、文化関係クラブ25部を統括する文化会の役員をしていた。3年次にその会長の役を引き受ける直前までいったが、母が病気になり、急遽下宿生活を止めて、大学には館林の家から2時間かけて通うことになり、残念であったが会長職は引き受けることは出来なかった。
卒業して間もなく、文化会のOB達をまとめて葵文化会を設立した。その目的はOB懇親と共に学生の活動支援を主目的として、OBから寄付を募りそれを資金として活動を始めた。
 先ず考えたことは、学生時代に色々な産業を知り就職の折の指針となる産業見学会を催すことにした。最初の計画はビール業界として、その頃サントリーが府中に作った最新鋭のビール工場、武蔵野工場の見学会である。国分寺のキャンパスからバス2台をチャーターして、多摩川沿いの工場にOB5名と学生60人位が行った。見学後ビールの試飲会があり、おつまみも出て学生達は大変喜んでくれた。
翌年の第2回は自動車産業ということで、日産自動車の追浜工場へ出かけた。バス1台を仕立てOB4人と学生が40名ほど参加した。その頃の追浜工場は米国への輸出車を作る主力工場で、サッチャー首相も見学にきていた。見学者のルートは工場内の上に回廊があり、そこから下を眺めるものであった。
第3回は新日本製鉄の出来たばかりの君津製鉄所を目指した。そこで、その手配のために紹介者として相応しいOBがいないかと考えた。するとその時の経団連の会長である十条製紙会長で経団連の会長である金子佐一郎氏が、当校のOBであり後に慶応を出ていたので是非この方にOB会の会長を引き受けて貰う事を推進することにした。
経団連の秘書課にお願いすると、会長は会ってくれるという返事であった。指定された日時の時間前に経団連ビルに出向くと、秘書課の方から説明があった。会長は11時に会議室から出てトイレに行きます、その行かれる間にお話下さいとの事であった。我々は3人であり、一年先輩の森木氏が会長にお話しすることにした。その頃の私達は25・6歳であった。
その時はきた。会長が部屋から出て来ると直に目的の話をした。すると「私の名前を使うことでその目的に役立ちますか」と聞かれた。この目的には大変役立ちますというと、「それでは私の名を使用して結構です」と言いトイレに入って行った。
3人は意気揚々と経団連のビルを出た。後になり経団連がどれ程重要な組織かを知ったが、学生にも同然の私達に会ってくれたことは、大変な人格者であったと後々に理解した。
しかし、この君津製鉄所の見学会はバスの費用が高いこと、遠いので時間が掛かること、OBからの寄付金では足らないことなどで実行に到らなかったことは、今でも残念に思っている。
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by minoru_mogi | 2012-05-05 23:25 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 4月30日の高曇の天候のなか、大月駅に9:20に下車して山に向かいました。20分くらいで甲府バイパスと国道の合流地点にある、厄王権現の石碑から沢沿いに山へと入って行きます。
山吹とカキドオシの花が咲き乱れています。10:10に赤い鳥居が目立つ権現4合目の石杭を見て、ここからが山道となり雑木林に中を行くと、ピンク色のイカリソウがそこかしこに有り、山頂まで続いていました。これ程イカリソウが有る山は見たことがありませんでした。杭の表示は5合目、6合目と続きますが、一休みしたいのですが岩が全く有りません。7合目でやっと腰掛ける石があり休憩です。9合目に又鳥居を過ぎました。10合目で大きな岩を穿った厄王権現のコンクリートの祠に着きました。しかしここが山頂ではありません。山頂には更に岩に沿ってロープの張られた道を横に登り11:30に着きました。
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         厄王権現の祠

大きな岩の山頂は見晴らしが良く、富士山、九鬼山、高川山、滝子山、と360度見えており、岩殿山が下に小さく見えています。山頂では3人の年配者グループが私より早く山頂に着いており、猿橋よりの登りで来たと言います。
食事は30分で済ませて猿橋駅に向けて下山です。山頂から10分間くらいは急降下が続きその後楽な山道になりました、神楽山の少し手前で猿橋への道標がありました。そのまま行くと神楽山頂上です。その山頂にはテレビの集合アンテナが立っていました。そのまま進むとケーブルに沿って道は下っていますが、登山靴のあとは見えなくなりました。静かな山の好きな私くらいしかこの様な道は歩かないのであろうと行くと杉林の切ったところに出ました。その辺から人の歩いた跡が見えなくなり急な山の斜面を滑りながら歩くようになりました。杉林の中は下草が無いので歩きやすく、兎に角山道を探して下へ下へと進みます。道に迷ったことはもう明白です。
山中にビニール袋が落ちていて、また木に赤い布がついています。これは道が明白でないので道の目印としてか、または林の所有者の境界かどちらかを示しています。
暫くして林を通してブルーシートが見えました。やっと道に出たとホッとしたのもつかの間で、そこは崖で6メートル近いコンクリートが切り立つており、しかも落石除けに2メートルくらいのフェンスが立っています。そこでフェンス伝いに行くとフェンスが切れたところに出ました。そこから降りようかと思いましたが、木の枝にぶり下がり降りても2メートル位は残り、60センチくらいの幅の側溝の中に落ちてしまい怪我でもしそうなので諦めました。さらにアケビの蔓や笹竹を分けて横に進むとまたフェンスの切れた所に出て、そこには嬉しいことに階段が有りました。かれこれ45分くらいは迷った山中で時間を無駄にしてしましました。
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          さすがは武田甲斐の故郷 立派な幡と鯉のぼり
やっと山から脱出が出来てホッとして、舗装道路の上に出て川沿いを人家のある方向へと出ました。考えてみると神楽山の上で地図を見なかったのが原因です。でも地図では神楽山から猿橋に下りる線があり、神楽山の手前ではないのです。でも、それは縮尺でそうなっていたのです。
幸いにも1日に4本のバスが丁度すぐあり、猿橋駅入り口まで10分位で出ることが出来ました。今日ばかりはグッタリと疲れが出た山歩きとなりました。
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by minoru_mogi | 2012-05-01 13:17 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)