山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 昭和28年に群馬県の館林中学校を卒業しました。当時の町はまだ合併が進んでおらず、中学校は1校のみですが9クラスもあり、1クラスは55人位の構成でした。おそらくは500名位の同窓生です。良く覚えていることに、その頃の教科書に載っていた世界の人口は24億人とあり、日本の人口は9800万人であったとかなり正確に記憶しています。今や70億人の世界の人口は、この58年間に大きく膨らんだものです。
朝8時頃に家を出て、中央線・武蔵野線・湘南東北線・東武線と乗りついで館林駅に着きました。駅前通りは電柱が地中化されており、大変美しい町並となっていましたが、商業地の中心が移ってしまい、人通りは少なく淋しい感じです。駅からは敢えて40分ほど会場まで歩いて行きましたが、やはり自動車中心の町の構成になっていました。
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 さて、会場に着くと男子41名、女子32名が集まっていました。今でも交流のある4名以外は殆ど卒業以来初めて顔を合わせる人達です。数人の人は仇名を覚えており「マーちゃん」とか「玉ちゃん」とか直ぐに分かりましたが、正式な名前は思い出せませんでした。しかし女の人になると全く昔の名前と顔が思い出せません。でも相手の人は覚えているのです。今迄3度ほど同窓会が有ったそうですが、遠くに住んでおり案内の無かった私は途中の皆さんの顔が分からないので記憶が繋がらないのです。
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その中に小学校の6年生でケンカをした仲間の名前を見つけました。ケンカは1回だけでしたが、完全に大きな相手に負けたことがありました。話してみると彼は全く覚えていません。中学校のことより小学高学年のことは良く覚えており、運動会で足の速かった友人の名前等が出てきました。しかし、私のクラスでは14名も出席しており、幹事の男女2名がクラスに居たことが幸いしているようでした。
でも、やはり58年間の空白は皆さんの判別が付かず、今浦島の思いをした同窓会でした。幹事の皆さんには本当にご苦労様とお礼を伝えたいと思いました。
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by minoru_mogi | 2011-11-25 10:49 | 随想 | Trackback | Comments(0)

高岩山(920m) No360

 今年の秋はまだ山の紅葉を目にしていません。11月の初旬に箱根に行きましたが、その折もさほどの紅葉は来てなく、一度は何処かで美しい紅葉を見たいものと思っていました。
山の地図を見ていると、奥多摩の大岳山へ行く途中から少し横に入ったところに登ってない高岩山があります。そこで11月の紅葉シーズンの盛りと思える時期に出掛けてきました。
御嶽駅よりバスとケーブルで山上駅まで行き、あまり高低差の無い道を1時間ばかり行き、ロックガーデンより上がってきた道と合する所の休憩所で一休みです。そこよりは沢に沿って登り、かなりの高さまで行き御嶽山奥の院の高さと同じくらいまで上がりました。
1020mの芥場峠まで行きそこから上高岩山へと尾根を行きます。頂上で丁度昼となり昼食としましたが、曇っている上に杉林の中なので汗ばんだ体が急に寒くなりました。20分ほどで食事を済まして高岩山へと岩の多い尾根を行くと、そこには立派な展望台が有りました。
先客が2人おり少し話をしました。 そこからの眺めは東南西方面が実に良く見えます。この展望は大岳山の頂上でのものに近いものでした。
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山の紅葉はかなり美しいのですが、残念なことに曇り空の下で、山肌に陽が当たっていないので鮮やかさがありません。ゆっくりと休んでロックガーデンに下ることにしました。
地図を見るとこの道は破線となっていて「困難な道」と表現されているので、少し藪が多いと思っていたら大違いでした。その道は急降下の細い尾根で鎖場が18箇所も続いており、6mくらいのアルミのはしごまでありました。この鎖を持つのに自衛隊使用の手袋が大活躍で、以前友人に貰ったものが大いに役立ちました。岩の道の上に落ち葉が積もっており、道が見えないのでストックで確かめながら降りるので大変気を遣いました。
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ロックガーデンに入ると紅葉は最繁期で綺麗な黄色の葉が透明感のあるものでしたが、赤の楓はあまり無く少し淋しい感じがしました。
バス停の滝本に来た時に雨が来て少し濡れましたが、まずまずの山行きでした。
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by minoru_mogi | 2011-11-16 11:54 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 庭の芝生の中に見慣れないシダ植物が生えてきた。図鑑で調べるとフユノハナワラビである。この植物は割合に珍しいもので、昔ゴルフ場の芝の中に一度だけ見たことがあった。ワラビの名が付けられているが、ワラビの仲間ではなくシダの仲間である。
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夏の間には地上部が全く無くなってしまい、秋に葉が地上に出てくる。そして胞子を付けた葉が現れると、何か魚卵のような姿が見られる。これからどの様に変化して行くかに興味があり、観察してゆく積もりである。
 ところで今年の秋は大文字草の鉢植えが大変美しくできた。この白い花は富士山の五合目のお中道を歩いたときに持ち帰ったものである。その1500mの付近の木陰にはこの花が群生していた。本来の自然のものは白であるが、園芸店ではピンクのものがあり、我が家でも綺麗に咲いている。
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このダイモンジ草の図鑑の写真を見てみると、「人文字草」という近い植物があると書かれており、早速調べてみると写真が出てきた。この写真はやっと見つけ出したものである。この花は五弁の内上の三弁が極端に小さく、スペードの形であるという。是非一度見たいものでである。
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by minoru_mogi | 2011-11-11 17:43 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(0)
 高田馬場駅近くに大学予備校としては名のある学校が有った。その予備校が昭和40年に大学を設立した。私のいた百貨店に銀行から来た常務がおり、その子息がその大学の事務長であった関係で、その学校の制服を受注することになった。商学部の単科大学であり、学生数は300名位と記憶している。校舎は西武線のかなりの郊外にあった。
制服は全員を採寸して背広と同じ仕立てをして、デザインを決めてもらい紺の上着とライトグレイのズボンとなり、往時としてはしゃれたものであった、学校制服はまだ一般化されていなかった時代である。学生さんの洋服なので価格は割安で見積もりを提出しOKがでた。
しかし、そこで10%のキックバック(コミッション)を要求された。10%は大きく普通は5%くらいである。
 その大学から今度は学長が着用するガウンの注文がきた。しかし、シルクで作る本物のガウンを作れる技術者は少なく、またその知識を有する技術者はあまりいないので、神田の有名なガウンの職人にお願いした。
ガウンの本当の名称は「アカデミックドレス」と言い、四角のつばの無い帽子にタッセルの付いた物との一対である。今でもこれを着用する大学は少なく、東大・東工大・大阪大・千葉大・昭和女子大・聖学院大くらいである。その価格は背広の3倍位であった。
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ガウンの裏地の色は学部により決まっているので、学長は何博士ですかと聞いた。ところが事務長ははっきりしない。やっと決まったとのことで紫色となつた。その色は法学博士の色である。
これらの色は「哲学」・「経済学」・「医学」・「工学」・「法学」・「科学人文学」それぞれに・ダークブルー・ブラウン・グリーン・オレンジ・ムラサキ・イエロー等と決まっている。
 納品を済まして直ぐ3月に大学の初めての入学式があった。先方からの要請で入学式の日に、学長にガウンを正しく装着するお手伝いを頼まれて出掛けた。
入学式が始まり学長が壇上に現れた。その時進行の司会者が言った。「学長がアメリカの○○○○大学から授与されたガウンを着用して登場です」。「エッ」と私は声を発しそうになった。
まさか大学でこの様な事が罷り通っているとは想像出来なかった。予備校のオーナーで学長になった方は一橋大学出は確かであったが、博士号は無かったのである。
仕事の上での面白いエピソードである。
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by minoru_mogi | 2011-11-02 15:49 | 随想 | Trackback | Comments(0)