山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2011年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 小田急線の生田駅より10分くらいの所に明大生田校舎があります。線路脇に沿って歩き坂を登って行きますが、30メートル位の高低差を登って行くと息が切れる程です。丘の上のキャンパスに来ると、思いがけないほどの数の色々な校舎が続いています。
ちょうど昼の時間でもあったので食事をすることにしました。学食の3階建ての建物に行くと、1階は麺類、2階は定食と1品料理、3階はレベルの高い食堂でふかひれ丼30食限定とありました。そこには行かずに2階で学生達と一緒に350円の定食を食べました。色々な大学の食堂で食べたことがありますが、1番安い感じです。
    
d0059661_22242331.jpg

                  登戸研究所資料館 
今回ここを訪れた目的は、このキャンパスの一番奥の外れにある「登戸研究所資料館」を見学することです。この研究所は陸軍登戸研究所として1939年(昭14年)に設立され、陸軍所管の研究機関として、川崎市生田の約11万坪という広大な敷地の中で、陸軍中野学校、関東軍情報部、特務機関などと連携して、生物化学兵器、電波兵器、風船爆弾、中国紙幣の偽造など、さまざまの謀略戦兵器などを秘密裏に進めた機関です。
 2011年3月ここに「明治大学平和教育登戸研究所資料館」が大学により開館しました。この建物は旧い建物が有った場所に、一部分を残して建てられています。私はここの展示の中で特に風船爆弾に興味があったので第2展示室の展示に注目しました。もちろん私は以前より風船爆弾の知識がありましたが、その内容には驚くことがたくさんありました。
d0059661_2228228.jpg
風船の直径は10メートルに及び183キロの重さがありました。冬の偏西風に乗せてこれをアメリカ大陸に飛ばして落下させ山火事などを起す目的でした。これを作ったのは女子高校生が動員されてその風船を紙で作ったのです。
展示を見終わってキャンパスに戻ると、男女学生達が和やかに話しながらゆったりと学生生活を楽しんでいる光景に出会いました。平和の現在の姿を当たり前として受け入れている人達が戦時中の大変な時代を経験した我々に較べてうらやましく感じました。
[PR]
by minoru_mogi | 2011-01-28 22:28 | 随想 | Trackback | Comments(0)

多々良沼の白鳥 No320

 昔住んでいた群馬館林の郊外にあまり大きくない沼があります。住宅が少ない松林と畑の中にあり汚れた水が流れ込むことがない環境なので、水は透明度が高く水深も深いところで1.5mくらいはあります。一度小船に乗り岸から出てみたことがありますが、そこには菱が茂っており、菱の実を採った記憶がよみがえりました。その時分には白鳥がその沼に来ると言うことは全く聞いたことはありませんでした。
最近テレビでその多々良沼に来ている白鳥の姿が放映されることがあります。そこで昔の高校同期仲間で館林に住んでいない友人と見に行くことにしました。
 朝7時半に家を出て中央線で西国分寺へ出て、大宮から友人の待っている高崎に向かいました。武蔵野線では武蔵野号という西国分寺より大宮へ直通の電車に乗り大宮で高崎線に乗り換えます。
ところが、その湘南ラインが何と20分後れで、高崎には11時にやっと着きました。
そこからは駅で待っていてくれた友人の車で館林に向かいました。予定通りに多々良駅に行き、そこで館林在住の同級生二人と会い4人で沼の白鳥を見に行きました。
d0059661_1392872.jpg

沼に着くと白鳥は40羽くらい、沼の中心部に羽を休めており、警戒心が強いのか岸には寄ってきません。一方、鴨の仲間は餌付けされているとみえ、岸辺にみな集まっており、その数は500羽から800羽は居そうな混雑振りです。
白鳥は遠くにいるので種類までは特定出来ませんがコハクチョウではないかと思われ、水の上では羽ばたきをしているものもいますが、飛び立つ気配はありませんでした。近くに住んでいる友人が言うには、普段もつと多くの白鳥がおり、その着水の姿は大変美しいと言います。
近くには車で白鳥を見に来ている人が数人見えますが、観察場所は岸よりかなり離れており、鳥達を驚かすことのない距離を保っています。
最近色々な所に白鳥の飛来地が広がっている様子ですが、大きな湖沼の周りが開発されており、そのために分散しているようです。また、餌撒きをしてその場所に定着するように図っている飛来地がほとんどといって良いようです。でも過度な人為的な給餌には問題がありそうです。
 友人の家の窓からは沼が眺められ、その葦の原の向こうには富士山が見えています。多分、富士山までは150KMはあると思えます。冬晴れの中、群馬の赤城颪の中でこその景色に、素晴らしい広重の画のように見とれました。
[PR]
by minoru_mogi | 2011-01-21 13:11 | 動物・昆虫・その他 | Trackback | Comments(0)
家から6キロくらい行った大規模宅地開発地に隣接して、武蔵野の面影をそのまま残している八王子の丘陵地が、町田市と相模原市の地域に接して残っています。
冬晴の暖かな日にその七国峠への道を歩いてみると、それは大変古い山道であり、鎌倉街道の一部であったとの標識があり、今回やっと気付きました。以前、国分寺に住んで居た時に西国分寺駅から南に10分位行った所に、雑木林の中、切通しの中を300mほど黒鐘公園まで行く鎌倉街道の一部が遺されてあったのを思い出しました。
 この七国峠という名は各所にあり、町田市の北部にも見られます。今回歩いた所は標高213mで、この丘陵の一番高い所の近くを通ります。今は樹木に遮られて見えませんが、七国「武蔵・下総・常陸・相模・上野、下野・甲斐」をそこから眺められたとみえ、「七国山関七州見晴台跡」の石碑が見られます。
峠への道は八王子みなみ野駅を降りて宇津貫行きのバスを七国一丁目で降りて、2基の水道タンクのある丘に登って行きます。すると車道はそこで終わり直ぐに笹の茂った雑木林の中へと入って行きます。その道は幅2mほどで4・5百m行くと道はかなり明瞭となり三叉路に出ます。
左に行くと細い道が続き造形大学や相原駅へと続く道となり、その途中に八王子の市街地が遠望できるビュースポットが出てきます。
d0059661_13545130.jpg 
その三叉路をまっすぐに行くとこの道が鎌倉街道であったという、見落としそうな標識が目に入りました。もう暫く行くと右に下る道が交錯する大きくて立派な石の塔があり、「出羽三山供養塔」とあり、少し上に登ると祠があり大日様とありました。明治時代の初め頃には横浜に絹を運んだ道として使用されたとの表示もあります。多分馬の背に荷を積んで運んだのでしょう。










d0059661_13564128.jpg
ここよりは道が下りになり、相模原市の市民運動公園の散策路である一部になります。この辺りは林の下草が良く刈られており、明るい林となってきます。そのまま丘を下の方に来ると運動公園があり、グランドが見えてきました。お休みの日で日曜日なのでグランドの真ん中にドンド焼きの準備がしてあり、正月飾りが集められ、竹の支柱の上には赤いだるまが差してあります。
丁度、その時に子供達が火を着けて赤い炎がメラメラと立ち上りました。しかし、日中の太陽が高い中でのドンド焼きは迫力に欠けており、やはり夕方の暗くなる折の方が面白そうです。
今回3時間に亘り古道の山道を探索してみましたが、私が知る限りではこの鎌倉古道が道も長く、回りも林の中を行く道は一番昔の雰囲気を残している道だと思いました。
市としてももう少し標識を整備して、人々が訪れやすい名所にしても良いのではと思ったものです。
[PR]
by minoru_mogi | 2011-01-14 13:59 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 正月三が日明けの4日に初めて川崎大師を訪ねてみました。昨年も鶴見の総持寺に出掛けましたが、老人になり信心深くなった訳では決してありません。
いつも正月の参詣人の多い人出で上位に出てくるこの寺院を一度見てみたいとの好奇心から行ったものです。初詣の一番は関東地区では明治神宮が何時も一位で300万人を越えます。次いで2番は成田山新勝寺です。3位がこの川崎大師で280万人位の人が訪れます。
 家から横浜で京浜急行に乗り換えて京浜川崎で更に大師線へと乗り換えです。しかし以外に早く1時間10分で着きました。この駅で電車の客が殆ど全部の降り立ちます。この予想を超える人出には先ずビックリしました。駅前より直ぐに門前町となっており、200メートル近い両側は土産店と露天で埋まっています。人並みは歩行者天国を道いっぱいに広がり、寺のほうへと流れて行きます。
境内に近づくと整理員に誘導されながら大門より入りました。そこには参詣者で埋まり、何列にも並ばされて参拝の順番待ちを10分近く待ちました。
d0059661_20141115.jpg

本堂でお賽銭を遠くから投げ入れてから人を分け分けやっと出て境内に出ました。そこにはまた露天商がたくさん出ており、人々で混雑しています。
丁度、昼の時間帯であったので、人並みから離れようと一度境内を出て隣接している大師公園へ行きました。そこにもかなりの出店があり、私はトルコ料理ケバブの店でトルコの青年と話をして、ケバブは本来羊肉であるが、日本では鶏肉を使っているとのことで、買って公園のベンチで家内と一緒に食べました。
その広い公園の一角に中国庭園の瀋秀園(しんしゅうえん)があり、その中を見て歩きました。この庭園は中国の瀋陽市より川崎市に寄贈されたもので、小さな滝もある立派な庭園です。お寺の人込みからは想像が出来ないほどの人の少なさで、10数人が散策を楽しんでいました。
 帰りは大門前の門前仲町を歩いて来ましたが、あめ家、特に喉飴と葛餅の店が多く、また甘酒もたくさん飲ませる店がありました。
この人出を見て日本人は何と信心深いのかと思いましたが、私と同じように只々好奇心で来ている人も多いのではと考えたものです。
[PR]
by minoru_mogi | 2011-01-07 20:16 | 随想 | Trackback | Comments(0)