山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 昨年来、私は大学の図書館にてソビエトと日本の戦前から戦中の両国関係についての本を中心に読んでいます。先ずシベリア出兵のことです。我々が高校時代に習った日本史では、シベリア出兵は大きな事件としては書かれておりません。単にアメリカやイギリス・フランスと共に出兵した事だけが書かれています。次にノモンハン事件についても、以前に読んで見ました。事件というタイトルですが、実際はソビエトとの戦争であり、日本軍は大きな損害を被ったものであり、その内容を軍部が事実を隠してきたものと言えるようです。
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 今回、新潮社の「満州の情報基地、ハルビン学院」芳地隆之著を読んで、意外な事実を知ることが出来ました。
満州国ハルビンにおいて1920年(大正9年)にロシア語を専門に学習する学校として「日露協会学校」ができて、ロシアとの通商を担う人材を育てるべく、朝鮮人・中国人・モンゴル人にも門戸は開かれていました。その学校は1933年(昭和8年)に「ハルビン学院」と名称が変わりました。初期の日露協会学校では白系ロシア人の家庭に長期滞在する制度もあり、そこの教師は白系ロシア人でした。
しかし、双方の通商も1937年(昭和12年)になると激減して、ハルビン学院の卒業生が通商の場で活躍する機会がもはや失われてしまいました。そしてその頃より学院の目的が変わってきました。ハルビン学院は1939年(昭和14年)に満州国国立大学になり、そしてソ連情報を収集するエキスパートを育てる教育機関とみなされるようになりました。
 杉原千畝は1920年(大正9年)にハルビン日露協会学校の第1回生として、外務官僚より特別枠で学籍を置き、1923年(大正12年)に卒業すると、ハルビン総領事会に勤務し、1929年(昭和4年)から日露協会学校でロシア語の非常勤講師として授業をおこなっています。
その頃彼はロシア人のクラウディアという女性と結婚して1924年から1935年に亘り結婚生活を送っています。そしてその女性はユダヤ系のロシア人でした。当時のユダヤ人は世界で1100万人であり、600万人がロシアの国籍を持っていたそうです。
彼はその後離婚して10歳若い日本人を再婚しました。
彼がユダヤ人6000名近くを(正確な人数は不明)救ったことは、有名な事実ですが、この折にユダヤ系ロシア人女性と結婚していた事実は大きな意味があったものとも推察できます。
この本は読み終えたならば満州生まれの大学の友人に送り、是非読んでもらいたいと思っています。
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by minoru_mogi | 2010-11-30 10:29 | 随想 | Trackback | Comments(1)
 11月下旬の土曜日の午後、国分寺の私の卒業した大学のキャンパスに行き、講演会を聞いてきました。校門を入ると両側の桜並木が色づき落葉を始めていました。武蔵野を代表する欅の大木が本館の前に何本も色づき空へ伸びています。
私が2年の時に竣工した4階建ての本館の脇には、往時樹高4mくらいで根元がせいぜい20センチ位であった銀杏の木が、4階建ての校舎をこえて15メートル位となり、その根元は60センチは優にあります。考えて見るとその時より50年の経っているのです。その銀杏が真黄色に色づきキャンパスを明るくしています。
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 講演会は江戸博物館長の竹内誠氏による「外国人がみた徳川日本」という話でした。
江戸時代の末期に日本を訪れた外国人が、自分達の国と比較してどの様に日本人が映つたかを、その記述の中から見たものでした。その中にて話されたものをいくつか紹介します。
英国人で『幕末日本探訪記』を記したロバート・フォーチュンによると「日本人の国民性の著しい特徴は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしに始終好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の人たちと較べると、ずっと優って見える」とある。
フランス人のスエンソンの『江戸幕末滞在記』では、「日本人は多産な民族である。そこいらじゅう子供だらけで、その生き生きとした顔、ふっくらとした身体、活発で陽気なところを見れば、健康で幸せに育っているのがすぐにわかる。まだ小さくて歩けないときは母親や兄姉が背中におぶい、とても良く面倒をみる。少し大きくなると外へ出され、遊び友達に交じって朝から晩まで通りで転げまわっている。」
ドイツ人のシュリーマンの『清国日本』の中には「教育はヨーロッパの文明国以上にも行き渡っている。清国をも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きが出来る。」
「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されているといえるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することの出来る最高の完成度に達しているからである」
 最後の話にあったアメリカ人のペリーの記述『ペリー艦隊日本遠征記』こそ核心をついたものであった。「実際的および機械的な技術において、日本人は非常に器用であることがわかる。道具が粗末で、機械の知識も不完全であることを考えれば、彼らの完璧な手工技術は驚くべきものである。日本の職人の熟練の技は世界のどこの職人にも劣らず、人々の発明能力をもっと自由に伸ばせば、最も成功している工業国民にもいつまでも後れをとることはないだろう。
人々を他国民との交流から孤立させている政府の排外政策が緩和すれば、他の国民の物質的進歩の成果を学ぼうとする好奇心、それを自らの用途に適応する心構えによって、日本人はまもなく最も恵まれた国々の水準に達するだろう。ひとたび文明世界の過去および現在の知識を習得したならば、日本人は将来の機械技術上の成功を目指す競争において、強力な相手になるだろう」との記述である。
ペリーのその視野の広さには驚きを感じ得ない素敵な話であつた。
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by minoru_mogi | 2010-11-20 23:40 | 随想 | Trackback | Comments(0)

虎丸山(468m) No310

 紅葉がかなり美しくなっている頃と考えて11月9日に八重山(530m)に出掛けてみました。
この秋はもう5度目の山歩きで、調子が出てきてペースを保って休み無しで山頂には1時間と5分の11:00に着きました。快晴ですが北風が強くおにぎりを食べ終わったのは11:15です。
そこに15名ほどの年配のグループが登ってきました。男性は1人だけです。
3つあったテーブルの一つを独りで使用していたので、直ぐにそのグループに空けて上げました。
 食事をしながら思いついたことは、今年は寅年であり虎の名のつく山はあまりないのですが、ここから別の山道に入ればその名前の山に行けるのです。しかし地図にはコースは入っていません。寅年の私としては是非行ってみたいものと、そちらのコースに変更することに決めました。
山道に踏み込むと倒木が少しあるものの、落葉樹の森は明るく勾配も足の負担は少ないものです。
前にこの山で地元の老人から教わった、山中の柿の木に注意をして進むと、柿の葉が山道に落ちています。その辺りを見上げると細い幹の背の高い柿の木が有ります。その枝先には4センチ程の砲弾状の実が1つ2つ付いていました。この大きさならばカラスが運ぶにも適当な大きさであることが判りました。
小さなコブをいくつか越えて檜の森の登りに掛かると、坂が急になり以外に大きなほこらが目に入ってきました。468mの山頂は平坦ですが木が茂り視界はほとんどありません。
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あまり人が来るところではなさそうですが、思わぬ立派な社であり、お賽銭を入れてお社を写真に収めました。
上野原中学校へと道は続いているのですが、また登りのコブがあるので、他に早く山を降りる霊園への道があるのでそこを下り山風呂のバス停新井2丁目に降り立ました。
バスの時刻表を見ると1時間に1本のバスはありますが、40分も待たなければなりません。そこで市街地に向けて歩きだしました。
途中で素敵なケーキ店があるので入ってみました。ショウケースを見ると美味しそうなチーズケーキやチョコレートケーキが沢山あります。その中で季節限定と書かれた柚子のシヨートケーキを注文してみました。紅茶で食べたケーキは酸味が良く調和して実に美味しいものでした。
今回の山は実にゆったりとして、一人ではもったいない思いがしましたが、思いのほか早く13:30のバスに乗り14:20には八王子にもどりました。
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by minoru_mogi | 2010-11-14 22:54 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 グループでの秋のハイキング下調べの目的で、上野原の駅より能岳(542m)・八重山(530m)を10月末の曇りの日に歩いてきました。
一般登山者が余り入らない、地元山仕事の人が歩く山道を登って行きます。広葉樹の雑木林で赤松が少し混じっている林相です。南面を進むと倒木が沢山あり、その幹には茶色のキノコがびっしりと着いています。湿った林の下にも色々なキノコが出ており、いかにも毒キノコを思わせる色のものも見られます。
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赤松も沢山見られるので、もしやマツタケが出ていないかと木の根方を丹念に回ってみました。マツタケを私は沢山採った経験があり、どの様なところにあるか良く知っているのです。
尾根に上った所で75歳位の地元の人が地下足袋姿で腰を下ろして休んでいました。「キノコ採りですか」と声を掛けると「そう」との簡単な答えです。
「赤松があるのでマツタケがないか探してみているのですが」と言うと「この辺の山ではマツタケは無いよ」との返事でした。色々と話していると面白い話をしてくれました。d0059661_18114158.jpgd0059661_1812149.jpg

山の雑木の中に柿の木があり、それが早く紅葉して美しくなるが、この柿の木はカラスが柿の実を運び、その種が山中で生えて大きくなったのだそうです。本当に山頂近くにも柿があり、たつた一つ小さな実が付いておりました。その老人とは山頂近くの巻き道で別れ私は山頂へ出ました。
 山頂では曇ったままで寒く、15分でおにぎりを食べて直ぐに下山に掛かりました。
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下りの急勾配の道端にも見たことも無い丸い傘の真っ白なキノコがあり、その造形の良さが気に入り写真に撮りました。結局確信が無いのでキノコは全く採らずに帰りました。
バス停では待ち時間があまりあるので、市街地まで出て10分間隔くらいのバスが直ぐ来て、電車も接続がよく14時には八王子に帰り着きました。


















 このブログではキノコの話は沢山あり、いろいろなキノコの話が載っています。

29話「八月のマツタケ」2005年9月12日
33話「採ったキノコのスープ」2005年9月27日
39話「エミールガレひとよ茸のランプ」2005年10月27日
40話「あんず茸」2005年10月22日
是非バック記事を見てみてください。
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by minoru_mogi | 2010-11-06 18:19 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)