山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 日経新聞の朝刊最終ページの文化欄に、1月末の24日か25日に見砂和照氏が、彼の父親が1949年に設立して1980年の幕を閉じた「東京キューバンボーイズ」のラテンオーケストラを再編成して、再度活動を始めているという記事が載った。 実はたまたま見砂直照(ミサゴタダアキ)氏のバンドをラテンミュージックのブームの頃の1960年(昭和35年)、私の大学の学園祭の一環で、この「東京キューバンボーイズ」を神田共立講堂(今は無いが)にて音楽祭を開催した。
学園際の役員として後方よりそれを見たが、実にエネルギッシュな演奏とリズムに陶酔したものであった。確か入場料は往時で1000円と高く、今となれば10,000円というところであろう。
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 嬉しい事にその「東京キューバンボーイズ」とジャズの世界で有名な1951年設立である                        
「原信夫とシャープ&フラッツ」の競演の舞台が有ることを知り、早速に家内と席の予約をした。
当日は「府中の森芸術劇場・どりーむホール」であり、昼下がりに出かけて16:00の開演に備えた。2000の席は満席であり、観客はやはり定年を過ぎたご夫妻ばかりが目に付いた。
最初はやはりラテンバンドである。そのリズムは昔のそれと同じで心が高鳴る思いである。
若かった時の感動が将に蘇つてきた。ほぼ50年を経た今、まだ同じ感動を覚えることを嬉しく思った。
次に演奏した「原信夫とシャープ&フラッツ」その都会的なリズムにはジャズの心地よさを堪能させられた。
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 そして第3部にはその二つのバンドが、同じステージの上で40人以上の編成で共演してみせた。パーカッションが強調されているラテンと、片や流れるような都会的なジャズの調が、一つになつて聴衆を魅了して実に素晴らしいものであつた。
現在の不景気な底を這うような景気動向の今こそ明るいラテンミュージックが欲しいと感じたものであつた。
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by minoru_mogi | 2010-01-31 23:34 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 藤野駅より歩いて登れる山とあるが、この山はどうしたものか登山案内書には無く、やっと1冊の本に案内があり、冬の暖かな日をみて1人で出かけてみた。
駅より歩いて10時前にコースに入ったが、小さな案内板だけで何となく心もとない。しかし、登るに従い下には桂川に沿って広がる藤野の町並みが見え、山腹には封筒にリボンが付いたアートが見える。
高圧鉄塔に沿ってゆくと、南の開けた所にかなり広い柚子の木の畑が出てきた。こんな高いところに良くぞ畑をつくつたと思えたが、木はあまり高くなく3mくらいのものであまり実の着き方が良さそうには思えない。
そういえば、駅の看板には「柚子の里藤野」とあった。 程なく岩戸山に着いたが、その辺りからは南に丹沢の山々が見え、桂川越しには大室山が見えている。
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そこよりはコブが多くなり登り下りが厳しくなり、笹の道を進むと以前降った雪が融けずに下りの道にあり滑って危ない思いをした。するとそこには下から登ってくる林道が出てきた。
視界の無いコブの連続で少々嫌気の差した頃、そこから尾根を行く道と巻道と分かれる所に出た。よく見ると巻道の方には赤いリボンが有るので、こちらが正しいと道と思い入っていつた。ところがその道は路肩が崩れて、山慣れしていない人には極めて危険な所もあり、やっとそこを越すと今度は立派な踏み跡があった。
どうやら正しくは尾根道であつたようである。
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思いのほかに急な登りが続いて、やつと鷹取山に12:30頃に着いた。頂上からは北と東に木の間に生藤山や陣馬山がずつと高く見えていた。また、その山頂は戦国時代には武田方の烽火台であつた。下りは上沢井のバス停に降りることにした。下りは40分であっという間にバス停に着いた。
 このコースを歩いてみて、山の案内に載せない理由がよく分かつた。この山はその登り降りに思わぬ時間が掛かり、また山道が入り乱れていて解りにくいのである。
この山に登る人は必ず尾根歩きに徹しなければならない。その上に視界も無いのではあまりお勧めできる山ではなかった。途中では1人の登山者に出会ったのみの山であつた。
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by minoru_mogi | 2010-01-22 21:06 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

日本科学未来館 No270

 寒い日が続き、山歩きには不向きなので晴れた16日土曜日お台場の日本未来科学館に出掛けた。浜松町よりは都バスで東京ビッグサイトへ行くバスで、日本科学未来館前で降りてみると、私1人降りただけであつた。正面の入り口はバス停とは反対側に位置しており、12時には少し前であつたが、土曜日としての来客は少なく、入場発券機に数人いるだけである。しかし、プラネタリウムでは早く予約をしないといけないとのことで1時を予約した。

d0059661_1875985.jpg1階の展示場には特別展に「はんしん・淡路大震災から15年、地震防災研究はどう変わったか」との大震災の1月17日を前にして、1日のみの展示会が開かれていた。主催は独立行政法人、防災科学研究所とある。
そこで、町会の防災隊の一員である私にとっては、これをよく見ることとした。そこでは防災研究の最前線の研究や、建物の強度試験、特に高層階住宅の揺れのシュミレーション、地震の発生地点の地下の立体的な分布を見て、そのプレートの沈みこみを目にすることが出来た。しかし、この催しは多くの人々に見てもらってこそ意味があり、会場の選定は悪く、例えば新宿のと都庁などで1週間にわたりするべきものである。
1日だけとはこの独立法人のやったというだけのお役所の無駄に思えてならない。続いてプラネタリウムを見たがさほどの感動も無く次の展示場に向った。
そこには深海掘削探査船の模型や、深海6500の実物、日本のH2ロケットのブースターの実物展示、宇宙実験棟の原寸大模型による宇宙のトイレや宿泊ベットなど、またカミオカンデの実際に使用されている電球状のものなどのものが見られた。
そして、ロボットの展示場では丁度身長130センチ、体重57キロのアシモが、サッカーボールを蹴ったり、片足立ちをしたり、走ってみせたりと、子供たちと共に楽しんだ。
しかし、その展示場には中学生や高校生はほんの僅かしか来ておらず、小学生の低学年の子供を連れた親子の姿が多く、なるほど中高生の理科離れを感ぜずにはいられなかった。
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by minoru_mogi | 2010-01-17 18:08 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 この正月3日、晴天の穏やかな日に総持寺への初詣に行ってきました。
今年私は年男ともなるので何処かへお参りに行こうと考えましたが、近くの高幡不動や高尾山薬王院、また府中の大国魂神社などが頭に浮かびましたが、あまり変哲が無いので、今まで行った事がない寺へと考えた訳です。 この寺は鶴見駅から大変近く、山門までは10分と掛かりませんでした。
既に正月3日目となると初詣として寺へ向う人々はそれほど多くはなく落ち着いておりました。山門を入ると参詣客相手の露天商がその両側に並び、賑やかな掛け声もしています。
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久し振りにお祭りの懐かしい思いがよみがえります。ゆっくりとなだらかな丘を進んでゆくと大きなお堂の屋根が見えてきます。その敷地は10万坪近いとの説明があり、その全体が見えるところに出ると、私には一昨年に京都でみた東福寺と良く似ているなとの印象を持ちました。しかしそれには大きな違いがあり、東福寺のお堂は皆木造の大建築物ですが、この寺のお堂はコンクリート製のいかにも頑丈な建設物が殆どです。
しかしお堂の前の庭が広く良く手入れされており、かなりの参拝者がおりますが込んでいるという印象は全くありません。本堂でお賽銭を入れて手を合わせて今年の健康と平和を祈りました。
子供の頃幼稚園の遠足でこの地の京浜急行花月園よりの遊園地花月園を訪れたことを思い出し、その池には確か白い鴨がいたのがまだ記憶に残っており、懐かしい昔を思い出しながら帰りの坂を下りました。
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by minoru_mogi | 2010-01-10 22:38 | 随想 | Trackback | Comments(1)