山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2009年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 この季節に郊外を散歩していると、原野の端や、あまり手の入らない空き地などに、小さいが紅く美しい小花を咲かせている雑草の1種が目に入る。摘んできてガラスのコップに入れて、食卓の上に飾ってみたところ、翌朝には花弁が全部散ってしまった。
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この花は一見しただけでフウロウソウ科の花と判る。同種の野草は大変多く、夏の高原などでよく見られるフウロウソウであり、白山フウロウ・浅間フウロウ・郡内フウロウなどがあり、その中でも最も高山性の郡内フウロウは花も大きく、その花色も紫を帯びており、千丈岳と北岳で出合った。
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ずっと以前に蓼科高原の1800m位のダズマ平でハクサンフウロウのスケッチ画を描いたことがある。普通のゲンノウショウコは白色に近い薄ピンクが普通で、写真の紅色のものは割合に珍しいものである。図鑑によると西日本ではこの紅色のものが多いと書かれていた。
 この草は薬草として有名で、センブリと共に民間腱胃薬として有名であり、これを煎じて飲むと下痢止めや腹痛の薬として利用されてきた。正露丸の糖衣錠(黒くなく白く匂わない)の中にはこのゲンノウショウコが入っているとの説明がある。
ゲンノウショウコの命名は「現の証拠」の意味で、この煎じ薬を飲むと30分くらいで効能が現れる意味からついたと記されているが、話が少し出来すぎている感もしないではない。少し目を道端の雑草に向けるのも楽しいことです。
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by minoru_mogi | 2009-09-25 22:46 | 山の花 | Trackback | Comments(2)

コナギ(小菜葱) No253

 我家の庭の端にはプラスチックの大きなたらいが埋め込まれており、その直径は80cm、深さ50cm位あり、そこには蓮が植えつけられています。
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この蓮は隣家の和歌山県出身の方から分けて頂いた由緒あるもので、奈良の唐招提寺の池の蓮を移したものです。その花が今年はピンクの花を2輪咲かせて、今は蓮の実となっています。この実は生命力が強く、田の土の中では千年を越えて発芽力を持ち続け、大賀一郎博士の大賀ハスがそれを実証しています。
 そのハスの根元に普段は田んぼの中に生える「コナギ」が数株25センチほどの高さで繁り、その中ほどに紫色の小さな美しい花を咲かせました。
この水草は私が小学生の頃は田んぼの脇には必ずといって生えていたものでしたが、昨今は農薬によるものか殆どみることができなくなっています。

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この蓮の植え土は知り合いの田んぼの持ち主から、粘土質の土を分けていただいたもので、その土の中に種が入っていたものと思われます。しかし、不思議な事にこの水草が出る年と全く生えてこない年が有るのです。
例年3月末にたらいの中の土をかき回して、前年の蓮の枯れた根を引き抜き、白い新しい根を好ましい位置に移植しています。このコナギの種または根の性質を再度調べて、この理由を考えてみたいと思います。
どなたかその知識が有る方がおられましたら知りたいものです。
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by minoru_mogi | 2009-09-20 23:37 | 動物・昆虫・その他 | Trackback | Comments(0)
 家の近くの小学校と幼稚園に沿う歩道の街路樹の下は、雑草が繁るにまかされていた。
そこで、昨年の秋にその1区画の雑草の根を抜き小石を掘り出して、乾燥に強いジャーマンアイリスを植えつけておいた。すると、その近くの区画に花苗を入れた人がいたが、誰であるかは判らなかった。
5月になるとこれらの花が紫・白・黄色・が咲き出して、散歩の道すがらが楽しくなってきた。それと同時に犬の散歩で糞をそのままにしてゆくエチケット知らずも減ってきた。
或る時、その周りの区画の雑草を抜いている年配の女性がおり、犬の散歩の折に話すことができた。その方は、そのきれいにした所にケイトウの種を播いておいたという。
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そこで、私も家の庭で芽を出したホウセンカと、種を蒔いて苗を育てたマツバボタンを植えつけた。これらの苗の植え付けは、移植したことにより開花が遅れたが、8月になると与えた肥料が効いて大きく育ってきた。しかし、今度は暑い晴天の夕方には水不足で完全に萎れて枝が垂れている。花も咲いている最中なので、夕方の犬の散歩の折にペットボトルに2リットルの水を入れて運び、毎日水遣りをすることになった。
 この道沿いの街路樹の根方の他の区画も、誰かがアジサイやキク、オシロイバナなどを植えることにより、花の散歩道となってきた。しかし、これをやっている町内の方が誰であるかは判らず、私以外にも3・4人はおりそうである。
そんな折、八王子駅近くに買い物に出向いた時に、以前一度話をした方とバスで一緒になり、その方のお宅の場所と名前を聞く事ができた。やはり花好きの方であったので、その日の午後サギソウの一鉢と育成説明書を手渡した。そして二人で今後も小学校の周りの街路樹の根方に花を増やしてゆく事を話した。
 わが街も高齢者が増えており(私もその1人)、時間のある人がいるので、自然発生的にこの傾向が広がることは喜ばしいことと考えている。因みに、ここの大規模開発住宅地には1500戸があり、65才以上の世帯比率は3割を超えてきているのが実情である。
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by minoru_mogi | 2009-09-12 17:04 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)
 テレビを見ていたら外国でのハンバーガーの話をしていた。その時、ふと私が最初に食べた米軍横田基地でのハンバーガーのことを思い出した。
私は昭和35年(1960)、大学1年の春休みから米軍基地の立川・横田・所沢(ジョンソン)などで週に二度ほどアルバイトで働いた経験がある。その仕事は米軍家族が国内又は本国への引越しの折に、その家財道具をコンテナーに梱包して、トラックで送り出す仕事であった。
立川にある日本通運で英語会話のテストがパスして初めてその仕事に就ける訳であるが、このオーラルテストは難しく、同じ大学でも3年生の英語研究会の数人しかパスしていなかった。
しかし、ものは試しとばかりその試験を受けてみたところ、思いがけずパスする事が出来た。
仕事の内容はトラック1・2台に作業リーダー1名、運転手、若者の作業員7・8名であり、それに加えて私の役のインベントリーマン(英語商品名数量記入リスト作成者)であり、通訳兼書類作成者であった。仕事の中ではナンバースリー扱いで、いつもトラックの運転手の隣に乗っていた。(一般の労働者はトラックの荷台に乗り、運転席にはもちろん冷房はなかった)
 ある時、空軍中尉の家庭が、横田から所沢のジョンソン基地への引越しがありその仕事に携わっていた。彼らは私が大学生であると判ると大変親切に色々と判らないことを教えてくれた。もとより、この仕事の半分の目的は英語の会話が上手になることでもあった。
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8月の暑い日であつたが、10時のブレイク(休憩)の時に、その家のご主人が自分の車に乗るように言った。何かと思い一緒に乗ると基地の中のショップに行き、そこでハンバーガーを我々の人数分とコカコーラのクラッシュアイス入りのものを、大きな保冷ジヤーに入れて軍票(軍のお金)で支払いをした。
それを休憩中の皆のところに持ち帰りご馳走してくれたのである。初めて食べたバーガーは今国内で売られているものなどより遥かに大きかったが、そのパンに挟まれていたサニーレタスと、直径が12センチ程もあった生玉葱のスライスを見て、私は沢山の数を注文したので良く焼けていない玉葱をそのまま挟んでしまったものと理解した。(その頃日本では生野菜を食べる習慣は無かったのである)
コカコーラは前に一度飲んでおり、その薬くささを知っていたので私は美味しく飲んだ。
ところが、労働者の少し年配の数人は、こんな醤油のような薬くさいものは飲めないと、飲もうとしなかった。
この仕事は一般のアルバイトの2倍位の賃金を貰えて、英語の勉強にもなったのだが半年くらいで辞めた。その訳は一般の労働者と話しているとかなり低俗な話しが多く、学生としての純粋さに悪影響があると判断したからである。
でも、あの時に食べたハンバーガーの味と、冷えたコカコーラは美味しかった。
 因に、マックのハンバーガー1号店が銀座の三越の1階路面側に開店したのは1971年、昭和46年のことであり、私が味わってから11年も後のことである。
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by minoru_mogi | 2009-09-04 22:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)