山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2009年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 暑い季節の山登りはやはり2000mを超える山に行きたいと常々考えるが、しかし、同行者や各種の都合で思うようには出かけられないのが実情である。加えて年齢と言う体力的な余裕のなくなっているのも最大の要因である。
とは言え、月に一度位は山を歩いていないと、次の山行きの時に自信が湧いてこないことがあり、そのためにも極力歩く事に努めている。
 その様な訳であまり好ましい山が思いつかず、足慣らしの山として7月の三頭山に出かけることとした。武蔵五日市駅より乗った都民の森行きバスは山行きの7人の乗客だけであり全員が中高年の同年に近い方々である。バス停に降り立つと、ピンポイントの数馬の天気予報では全日曇りであったが、晴れて雲量は30%とかなり暑くなりそうである。
2年前の10月に歩いた時に三頭滝よりムシカリ峠への道が台風後の崩落で閉鎖されており、このコースを歩いていないので、この沢沿いならば樹下の涼しい道であろうと、ゆっくり登り始めた。
この道はブナコースとあり、大樹が多く立派な大木には樹名が表示され、説明板も完備しており都立森林公園の名に恥じないものである。ケヤキ・カツラ・セン・サワグルミ・トチ・ホオ・ブナ・ミズナラ・シオジ・カエデ・モミ等の緑の木漏れ日の中を進む。
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                      シオジの大木
沢沿いの涼しさを期待したが、風もなく汗が吹きだしてくる。更に思わぬ敵が現れた。「ブヨ」である。この4mm位の黒い羽虫に皮膚を刺される(噛まれる)とその痒さは猛烈なもので、数日、時には数週間も痒みがとれない。この虫はきれいな沢で発生するので、山中での困り虫である。この虫が顔の周りを飛ぶのを手で払いながら沢を離れるまで続いた。
 ムシカリ峠には思いのほか時間が掛かり、20分程でお昼のオニギリを食べ、三頭山の頂上へは30mの高度を登るのを手抜きして12時に巻き道で鞘口峠へと下りに入った。やはり、暑さに加えて脚力の衰えも実感することになってしまった。。
予定の13時のバスに間に合わぬと15:00になってしまうので、膝を痛めない様に気遣いながら1時間以内で下りるべく急ぐ。バス停に着いたのはバス発車の僅か3分前であり、汗だらけのシャツを着替える時間がなく乗車したが、乗客が4人だけでもあったので、後部座席でシャツを着替えることができた。
今回はやはりこの季節の山登りはあまり適さない事を再認識する事にはなったが、このルートの大木には秋の季節に再度会いに来たいという思いも持てた一日であった。
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by minoru_mogi | 2009-07-24 22:51 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
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 今年7月2日の夕刊に「101年前のツングースカ大爆発」の記事が載っていたのを憶えている方がいるだろうか。1908年6月30日のシベリア上空で起き、2000平方メートルに及ぶ森林をなぎ倒す破壊力を持っていたが、クレーターが見つからず決め手がなかった。
しかし、この度の米コーネル大学のチームが発表した論文によると、乾いた隕石や小惑星ではなく、核を持つ氷彗星が起こしたらしいとする説が、NASAの手掛かりで解明された。
その落下の結果、夜異常に明るく見える夜光雲が、この数日後ロンドンで観測されていたのである。
 この記事をみて直ぐに以前読んだノンフィクションの書籍「灼熱の氷惑星」(高橋稔氏電力中央研究所室長、原書房、1975年初版)により書かれた内容を思い出した。
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この説によると、有史以前に地球に大接近した氷を主とした成分の惑星から、地球の引力によりその一部が地球上に引き落とされ、大量の氷(水)が地上に落下したとの考えである。
近年の世界の不思議なことの一つとして、サハラ砂漠の中央付近の岩山に人類が描いた壁画があり、そこには牛や鹿、キリンなどが描かれており、古い時代にはその地は森林に覆われ、人類が狩猟生活をしていたことを示している。
しかし現在は全く水のない砂漠であり、そのサハラ砂漠の周辺地には石油の油田が多く存在する。氏の説によると、惑星から水が(氷)地球に移った場所がこのサハラ砂漠であり、その大量の水の力で森林などの有機物が地中深く埋没して、地圧などで石油が出来たとの推理である。確かに現在でもどうして石油が出来たかは解明されていない。この惑星の周期は数千年であり、その何回かの大接近の比較的最近の記憶が人類に伝承されているのではと考えられている。シベリアなどでマンモスが氷に閉じ込められたのもこの氷の落下によるとされる。 この大量の水が地表にあふれた事実は、人類に口伝でそれ以降継承されて、それがノアの箱舟の話のもとになったと考えられるというものである。
30年以上も前に読んだ書籍であるが、私はこの説に大変感銘してこの本をずっと捨てずに書棚に留めておいたのである。
 過日の7月5日の日曜日の夜、NHKのTV番組でピラミッドの上部は内部通路により石が積み上げられたとするフランス人科学者の説を紹介していた。これもピラミッドの謎解きが1歩進んだ手掛かりと思え注視している。再放送が近々にあるようなので必見である。
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by minoru_mogi | 2009-07-16 21:59 | 動物・昆虫・その他 | Trackback | Comments(0)
 ここ久しくご無沙汰していた映画を数年ぶりに「剱岳点の記」を見に行きました。友人との話で話題となり、一応見ないことには論評出来ないと考えたからです。残念なことに私はまだこの新田次郎氏の書を読んでおりません。本来、私は本を読んだ後にそのタイトルの映画を見るのが、私のスタイルなのですが今回は都合で逆になってしまいました。
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 私が山で剱岳を目にしたのは、今から46年前の昭和38年(1963)の5月、連休明けの静かな立山に出掛けた時でした。
2尺4寸のキスリングにスキー・ピッケル・アイゼンと重装備で、上野を深夜の12時頃に出発して翌日の朝9時頃に富山駅に降り立ちました。冷たい握り飯の朝食を摂り、富山電鉄で立山へと行き、ケーブルカーで美女平へ上がり、そこでバスに乗り替えて5メートルくらいの雪の壁の中を天狗平の終点まで行きました。まだあまり乗客も多くない静かなものでした。
 そこからは室堂の山小屋まで重い荷物と長いスキー(195cm)を担ぎ、喘ぎながら2時間近く登り、下に雷鳥沢が見えた所からはスキーを着けて安定する斜滑降で雷鳥荘へ4時過ぎ頃に着きました。
小屋には山スキーを楽しみに来ている30人くらいの宿泊者がおり、若い30台くらいが中心です。夕食は大きなどんぶりの豚汁とどんぶりに大盛りのご飯と僅かなおかずでしたが、お代わりOKとのことで、急いで食べてお代わりをし豚汁2杯とご飯3杯を平らげました。
ところが、部屋は2階であるので階段を上がろうとすると、喉から食べたものが逆流してしまいそうで、ゆっくりゆっくりとやっと階段を上がりました。
 翌日は雲があるものの晴れとなり、雄山(3003m)に登ることにして、ピッケルと10本爪のアイゼンを着けてアタックザックで、ミドリガ池の近くより夏道の一の越の峠を回らずに、夏ならばハイマツの斜面である雪の傾斜を一気に直登し、雄山の山頂には思いがけず早く到達しました。
 山頂のほこらから北を見ると、そこには白くなだらかなお椀を伏せたような真砂岳が下に見え、その先には剱岳の山稜があたかも恐竜の背の様にガガとして聳えています。
その山姿には登ってみたいなどという感情は湧かず、おごそかな威圧感を覚えたものです。
黒部川の谷側に目をやると、工事が進みだして水が少し溜まりだした黒部ダムが群青の色をしています。
 翌日は春スキーへと山荘より小さな流れを渡って雪渓に入り滑ります。しかし雪崩の跡の雪は小さな岩を含んでおり、危険がありスピードを出しては滑れません。それでも半日ほど楽しんでから山荘に戻りました。そこで同室者の大学生がスケッチブックを広げており、それを見せてもらい、スケッチは誰でも出来ると勧められたことが、その後の私の趣味を豊にしてくれたのです。思い出深い立山と剱岳です。
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by minoru_mogi | 2009-07-09 10:51 | 随想 | Trackback | Comments(0)

日本列島発掘展 No242

 文化庁主催による江戸東京博物館の「発掘された日本列島2009」の展示会を例年のように今年も見に行ってきました。日本全国では年間9000件を超える発掘調査が行われており、その中の近年注目される20遺跡の600点の出土品が展示されています。

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 先ずは旧石器時代約30,000年前の鹿児島県種子島の大津保畑遺跡では、多数の日本最古の落とし穴がまとまって発見され、古代人の狩猟生活がうかがえます。その穴は壺状に中が広がっており、古代人がほとんど道具もなく苦労して掘ったものでしょうが、その知恵が感じられます。
縄文時代のものには沖縄県北谷町の伊礼原(いれいばる)遺跡の湧水の周りの生活跡(6800~2500年前)、東京都北区西ヶ原の西ヶ原貝塚(4000~3500年前)はその辺りが海岸線であったことが判る膨大な貝殻の層が発見されています。
弥生時代のものでは、東大阪市の鬼虎川遺跡(2100年前)には銅鐸、銅剣の生産工房が見られます。福岡市の今宿五郎江遺跡(1900~1700年前)では、伊都国(いとこく)の環濠集落に大陸系遺物がザクザク出ています。
 私が大変関心を持ったのは古代岩手県矢巾町の徳丹城跡(1200年前)で発掘された木製のヘルメット状兜であり、木をくりぬいて漆塗りを施してあり、150年間使用されて、最後には井戸の水の汲み上げ用の桶の代わりとして再利用されていたもので、かなり完全な姿をとどめていました。
もう一つは中世における新潟県妙高市鮫ヶ尾城からは、上杉景虎終焉の地(450年前)であり、そこから戦火で焼けて炭化した握り飯がかなりの数発見されています。戦国時代の戦いの中で戦いが急に始まり、握り飯を食べ終える間も無く落城したのでしょう。
テレビドラマ「天・地・人」を見ていると、映像の中の様なものではなく、現実には遥かに厳しい時代であったかが彷彿としてきます。あまりテレビの脚色に左右されずに歴史的事実を読書などにより知るように心掛けています。(東京会場 8月2日まで)
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by minoru_mogi | 2009-07-04 14:45 | 随想 | Trackback | Comments(0)