山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 我家の庭の高山植物の多くはもう来年の花芽が大きく膨らみ、来春の花が期待できる。
その中の1つにショウジョウバカマがある。この植物は本来山の標高1500m付近から2000m位にかけての湿地の半日陰に成育しており、薄ピンクが本来の色である。しかし、白や赤紫色もあり地域差と個体差が多い。
↓ショウジョウバカマd0059661_2217539.jpg
ある時、この花を全く意外な場所で生育しているのを目にしたことがある。それは京都北野に近い詩仙堂の庭園の流水の脇に沢山の株があるのを目にした。多分、人為的に山より移植したものが環境に上手く適応して増えたものと思える。
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   画像の花の名前のプレートの下右寄りに赤い矢印がやっと見える小さな芽 
 ところが、この植物の増え方が他の植物と極めて異なっているのである。普通の植物は種子で増え、球根は地中で分球し、イチゴなどは種子の他にも匍匐枝(ランナー)で先へと芽を出し、菊などは地下茎で広がってゆく。ところが、このショウジョウバカマは種子の他に伸びた葉が地表に接すると、そこから新しい株が出来て大きく育つのである。しかし、それが花をつけるのは4年くらい掛かるようである。
このことは以前から知識があったが、現実にはなかなか見ることが出来ず、今年になり初めてその姿を確認することが出来た。生物の進化の方向は全く様々な変化をなし、長い時間をかけて環境に適応してきたのである。
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by minoru_mogi | 2007-11-24 22:30 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(0)

縞枯山・八子ヶ峰 No163

 11月12・13日に初冬の山の視界が広大な北八ケ岳へと何時も一諸に歩く友人と出掛けました。朝の中央本線は快晴の中を、にせ八ケ岳の別名のある茅が岳・金ヶ岳を眺めながら茅野へと向つて行くと、八ケ岳の山頂付近は雲で全く見えません。10時過ぎのバスでピラタスロープウエイ駅へと行くと、そこに見えたのは1900m付近から上は森が霧氷で白く、ロープウエイは8日からスキーシーズンの準備の点検中で休止しており、観光客は見えません。
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登山には向かない日でしたが登山道を高度300mほど登り、草原で食事としました。しかし、日差しは全く無く風もあり気温は6度でとても長くは留まっておれません。霧氷の山の写真を撮りスキーのゲレンデの草地を、山裾の陽光で美しい黄色の落葉松の景色を見ながらのんびりと下りました。
宿のペンションのチェックインは15時でしたがお願いして1時間早く入れてもらいました。客は我々二人だけでした。この宿を選んだのは立地が良く、そのお風呂からは御嶽や乗鞍が見えることを以前来て知っていたからです。しかし、この日は夕暮れ頃に入浴したものの、期待の山も夕焼けも出ずに終ってしまいました。翌日は八子ヶ峰(1880m)を女神茶屋からアルビレオの小屋を経て白樺湖へ歩くコースを想定して夕食のテーブルに付きました。
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そのメニューは欧風料理であり、オードブルはサーモンのマリネ、かぼちゃのクリームスープ、ホタテの貝柱のソテー、ローストビーフ、デザートのアイスクリームとチーズケーキ、香ばしいコーヒーに美味しい紅白のカリホルニヤワインにデザートのドイツワインと豪華版で、今日の天候の悪さの不運を吹き飛ばす大満足のものでした。
 翌朝目を覚ますと窓が白く見えます。朝霧かと思いましたが外を見ると昨夜雪が降り、白く残り雨も少し残っています。天気予報では晴れで有ったのでガッカリ。山はやはり山の天気でした。仕方なく八子ヶ峰を諦めて歩いて蓼科湖まで下ってくると、そこでは晴れの日差しが広がり、そこからは北横岳が雪で白く輝いてみえます。今回は「ツイテナカッタ」と青空を見上げて帰路に付きました。
このペンションのサイトは〔 http://www.p-pilatus.jp/ 〕です。参考まで。
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by minoru_mogi | 2007-11-15 23:04 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 栃木県佐野市の郊外にある火災で本堂を最近焼失した菩提寺が、その本堂を再建し落慶式が行われるので出掛けて行った。駅より4キロほどの市の郊外のお寺へは貸し自転車で向かうその途中に、昔中学校より良く見えた日光連山の懐かしい山並みが良く見える。10月も末となると白根山が白く輝き、男体山が雪の縞模様を見せている。
 
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     左手の白く見える白根山と中央より右に見える少し雲がかかる男体山
写真には写っていないが、西には浅間山、北西には長い裾野が伸びる赤城山が望まれ、冬には赤城颪がいつも強く吹いていた。
 肝腎の落慶祝いは古い寺であることは認識していたが、奈良の本山長谷寺からの僧正や足利市のばんな寺(足利一門の氏寺)、笠間の古刹など北関東一円から20人を超える僧侶が集い、お稚児行列、堂内での散華やら珍しい華やかな儀式が続いた。
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式後、プロの写真屋の撮影風景をそつと後ろから撮ったものがこの1葉である。
この様なチャンスは人生にて一度有るか無いかの事であり、珍しい体験であった。
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by minoru_mogi | 2007-11-09 11:54 | 随想 | Trackback | Comments(0)
 「荒城の月」の旋律がロシア正教の祈りの歌になっているのを知り驚きました。
今回は何時もの話題を離れて、分野の違う音楽の話とさせてもらいます。
 10月の中旬、目白にある東京カテドラル聖マリア大聖堂において、ラフマニノフの作曲になる「晩禱」が東京トロイカ合唱団(混声合唱40名くらいの編成)により演奏されました。以下はそのプログラムの説明より抜粋したものです。
『この「晩禱」(正しくは徹夜禱と訳すべき)はロシア正教で大きな祝日、主日の前夜に夜を徹して行われる礼拝のための典礼曲である。東方正教会では楽器の使用を認めないので、教会音楽は必然的に無伴奏の合唱曲となる。1915年に完成したセルゲイ・ラフマニノフ(1879~1943)の「晩禱」は、ビザンチンにつながるロシアの伝統と西洋の近代的音楽文法を融合させたロシア正教音楽の集大成とも言うべき稀有の作品だったが、1917年のロシア革命以降、宗教をアヘンとするソ連政権下で演奏される事はなかった。ラフマニノフのピアノ曲、協奏曲、交響曲は世界中で演奏されているが、「晩禱」をラフマニノフの最高傑作とするロシア人は多い。
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これら主教会で歌われる合唱曲の中に「ヘルヴィムの歌」がある。「ヘルヴィムの歌は」聖教会で聖体礼儀の大聖入に歌われる祈りで、この歌はベルギーの修道院でマキシム・ジムネという修道士が日本人修道士から「荒城の月」を知り、これに教会スラブ語のテキストをつけ編曲したものである。
荒城の月は日本の洋楽史上初の芸術歌曲である。日本人なら誰でも知っているこの名曲を瀧廉太郎(1879~1903)は彼がヨーロッパに留学に出る1901年に作曲しているが、しかし、彼は病となり1年で留学を切り上げて帰国し、1903年に没している。
彼がラフマニノフと同時代人であったこと、この世代の日本人にとって西洋音楽はキリスト教の中にあったこと(瀧は聖公会の信者であった)、その彼が残した「荒城の月」が彼が無念の思いで帰国した留学先のヨーロッパで、没後80年以上を経てロシア正教聖歌になっていた』とは、そしてこの曲が日本で初めてこの会場で日本の合唱団で歌われたことは大変意義深いものであり、その編曲の素晴らしさには心を揺さぶられる程の感銘をうけたものでした。
 名曲は国境を越えて広がり多くの曲として歌われています。日本の歌曲の中でも教会音楽が基になっているものも沢山あります。シャボン玉の歌も旋律は賛美歌の中にあり、中山晋平が作曲して野口雨情の詩に活かしたメロディーなのです。
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by minoru_mogi | 2007-11-01 20:43 | 随想 | Trackback | Comments(0)