山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2007年 08月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 夏の夜に咲くカラスウリの花は全く意外性のある花である。夕方6時頃にその夜に開く蕾を見ていてもこの様に大きな花が咲くとは全然想像できない。
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 以前、このカラスウリを庭に植えて、この花をゆっくり観察したことがある。その花が咲き花弁が拡がって行く様子を1時間以上かけてじっと観察していたところ、この花弁は三重に畳まれており、それが拡がった時には直径5・6センチにも伸びてきた。その妖艶で美しいレースの花も翌朝にはくしゃくしゃな丸い無残な塊となってしまう。
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この、庭に植えての観察は他の意味では大失敗であった。この草は蔓で伸びてゆき、その先端が土に着くと、そこに小さなミョウガのような芋状のものを数個つける。翌年、その芋から元気な芽がどんどん伸びて一気に何にでも絡み付いてしまう。そしてそれを駆除するのが実に難しい、隣の家の庭まで逃げ込んでしまい、迷惑をかけてもまだ根絶出来ないでいる。
 図鑑を調べていて思わぬことが判明した。私は夏にはあせもが出来やすい性質で、風呂上りに「天花粉」を首周りなどに今もつけるが、この粉の成分は容器には表示されていないので、一体何の粉かと疑問に思っていた。ところが、この天花粉(和光堂の名前はシッカロール)はカラスウリの一種黄カラスウリの根から採ったデンプンの粉が「天花粉または天瓜粉」であり、水分の吸収が良いためあせもの治療に利用され、現在はそのデンプンに酸化亜鉛とタルクを配合したものであるという。タルクとは英語で滑石のことであり、滑石の一種をろう石として子供の頃に字や絵を描いた石である。
 カラスウリは誰でも知っているが「スズメウリ」というカラスウリの仲間を知っている方は多くないのではなかろうか。私もこの「スズメウリ」を見たときはこれは何かといぶかったものである。植物に更に興味のある方には、一度図鑑で調べてみることをお薦めする。
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by minoru_mogi | 2007-08-23 20:25 | 山の花 | Trackback | Comments(1)

クマバチ No151 

 知り合いの男手のないお宅で、庭の草木が繁って困っている様子なので、いつも自宅の庭の手入れをしている私が、枝きり鋏・剪定鋏・枝切り鋸・鎌を研いでお手伝いに出掛けた。
2メートル程の枯れたツゲ(柘植)の枝を鋸で切っていると、急に黒くて大きさが23ミリくらいで背が黄色の丸々とした蜂が2匹飛び出してきた。その直前にスズメバチが近くを飛翔しているのを見ていたので少しは警戒していたが、この蜂にはビックリである。この蜂自体は前に見たことがあったが、その性質は詳しくは知らなかった。
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 切った枝をよく見ると、直径2センチ近い穴が木の枝の中にずっと続いており、他の蜂が居ないかと穴の中にアースジエットを噴射して、枝を逆さにして叩いたところ2匹の丸々とした蜂が仮死状態で出たきた。
そのツゲの木を完全に切り倒してしまつたが、そこに先に飛び出した2匹の蜂が羽根音高く代わる代わる戻って飛んできて、元の木の有った辺りを飛び回り、アースジエットを構えて吹きかけるが、なかなか当らない。やっと飛び回る蜂たちに当ったとみえて飛んで来なくなった。
暑い日であったので11時にはまだ仕事はとても完結には遠いが、早々とお宅の奥さんと娘さんの3人での仕事を終えることにした。
帰宅後直ぐに今日出会った蜂について調べてみるとクマバチ、俗称クマンバチである。 (クマンバチをスズメバチの俗称とするものがある) 群れとなって営巣する種類ではなく、オスメスだけで木の中に穴を穿ち幼虫を育てる。そしてミツバチの一種であり、マメ科の花の蜜や花粉を好んで食べるとあった。害虫とは言えない蜂である。大きくて黒く丸い体と背中の金色の毛があり、小さな羽を高速で動かして飛翔する羽音で怖く思っていたが、人を襲う事はないようだ。
図鑑ではクマバチではあるが通称はクマンバチとも書かれる。リムスキーコルサコフの「クマンバチの飛行」の主人公である。
そう言えば、このお宅のご主人は無類の音楽マニアであった。良く知らずにクマンバチを駆除してしまったことは少し可愛そうなことをしたものである。
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by minoru_mogi | 2007-08-16 21:04 | 動物・昆虫・その他 | Trackback | Comments(0)

御嶽渓谷 No150

この暑い時期に低山歩きはとても出来ません。7月以来一度も自然の中に出掛ける機会がなく少しでもその気分を感じられる近場の御嶽渓谷へと出掛けてみました。
御嶽駅に降りて直ぐに河原へと出て、上流に向かって右岸を進みます。すると岩の間を流れる急流の中で沢山のカヌーの若者たちが練習をしているのです。
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近年、カヌーの人気が出ている事は知っていましたが、これ程多くの若者がこのスポーツに
チャレンジしているのには驚きでした。色とりどりのカヌーは遠くから見ていると楽しそうで、若かったならばやってみたいと思いました。
 河原の木の下を歩いてゆくとモンキアゲハとミヤマカラスアゲハ(No30話「森の宝石」)が絡み合って舞っています。そこにはオニヤンマが行き来しています。この辺りでは自然が色濃く残っている様子でした。涼しい川風を期待していましたが思いのほか暑いハイキングコースです。上流2キロくらいのマス釣り場のところで、川を渡り左岸の木蔭の多い道を下流へ向かって歩き出しました。平日でもあるので、歩いている人は殆ど居ない静かなコースです。
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そこで久し振りにキツネノカミソリを沢山みることが出来ました。この名前は花からは想像できません。薄暗い藪の中に朱色の花が大変よく目立ちます。図鑑では有毒植物とありました。
河岸を御嶽駅の近くまで戻り、玉堂美術館の前を過ぎ、また右岸へ渡り、沢井駅までコンクリートで舗装されたコースを進みます。この辺りでは鮎の友釣りの釣り人ガ目立ちます。
近くに川に面したティールームがあり今年初めてのカキ氷の宇治金時をたべ、盛夏の気分を味わいました。沢井駅を2時少し過ぎに電車に乗り、4時過ぎに家に帰りましたが、温度計をみると36度のうだるような暑さがまだ残っていました。
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by minoru_mogi | 2007-08-14 15:21 | 随想 | Trackback | Comments(0)

ダイダイ No149

 毎年お正月前になると、庭の橙の木に実が50個近く成り、食べることは出来ないが庭の風情を豊なものにしてくれる。私が中学生の頃はお正月の飾りの二段の鏡餅の上にユズリハやウラジロの葉と共に飾ったものであった。しかし、今はママレードにするか、お風呂に2・3個浮かしてその香りと色を楽しむのが常である。
 この木は中国南部の原産で春5月に白くて甘い香りの花を沢山つけて、初冬までには直径8センチくらいのの丸いだいだい色の実となる。この実にはその名前の由来の深い意味がある。
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 この実は冬を越して春になっても落ちることはなく、春になると更にだんだんと大きくなり、色が薄くなってきてグレープフルーツのような大きさとなり、やや薄い緑色さえ見えてくる。
その春には新しい花が咲き、実が大きくなりだいだい色になっても、この前年の実は落ちずに残るのである。即ち2年間にわたり枝に成り続けるのである。
 画像の大きな実が2年目の実であり、子供が手で掴んでいるのが今年の8月の実である。
親の実は子供の成熟を完全に見てから3年目の春に枝から落ちる。
牧野植物図鑑によると、日本名は「代代」の意味で、年を越しても木についているこの実の特性から名づけられたものである。
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by minoru_mogi | 2007-08-08 21:42 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)

尾瀬国立公園 No148

 先日の報道によると、日光国立公園の中から尾瀬地区を分離して尾瀬国立公園となることが決まったという話しは大変喜ばしい。
 私が高校生の頃(昭和29~31年)尾瀬は今のように誰でもが知っている観光地ではなく、生物に興味のある人達が知る特別な植生の地であった。
高校2年の秋に、群馬県の尾瀬への入り口に位置する沼田町の沼田高校の学園祭に同校の生物部を訪ねた。確か、その頃の上越線はまだ蒸気機関車であり、館林より3時間近くかかった。同校の生物部の方々と情報交換して尾瀬について詳しいことを聞き、オゼソウの植物標本を頂いた。
 翌年、私が生物部の部長の時に部員10数名と尾瀬に植物観察へと出掛けた。その頃のバスは大清水までと、鳩待峠方面は戸倉の集落までであった。また、尾瀬の山小屋は湖畔の長蔵小屋、東電小屋、尾瀬ヶ原の分岐点の檜枝又小屋、至仏山山麓の山の鼻小屋に、原の中央部の竜宮小屋のみであった。
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                 鬼怒沼高層湿原と後方は燧岳
丁度季節は7月末でニッコウキスゲの原が素晴らしく、ミズバショウは咲き遅れた花がまだ咲いており、その葉は大きいものでは1m近いものまである。木道は単線であり、それすらない所ではブスブスと湿原に足を取られて大変であった。しかし、至仏山で見たヒメシャジンの美しい紫の釣鐘と、クモイナデシコの繊細なピンクの切れ込みの深い花弁は忘れられないものであった。
 その後、予備校の時に高校時代の仲間6人で、今度はテントを持参して出掛けた。この時は日光より金精峠を越えて丸沼でキャンプして、翌日は四郎峠を越えて尾瀬沼へと出た。しかし、大雨でキャンプは出来ず東電小屋に泊まり、翌日燧岳に登り、尾瀬ヶ原を横切り山の鼻近くの川の傍でキャンプをした。(その頃はまだ規制も厳しい時ではなかったのである)
 その頃の尾瀬に入るルートはいろいろ有ったが、今は利用されない山道も多くなり、四郎峠のルートは地図からは消えてしまった。もう1つの尾瀬へのルートに鬼怒川から川俣に行き、鬼怒沼山から尾瀬沼へとでるものがある。
昭和40年に一人でこのルートに出掛けた折、全く静かな鬼怒沼湿原まで行き、ワタスゲの白く揺れる原で全く静かな燧岳と沼の景色を楽しんだが、予定以上に思わぬ時間がかかり止む無く金精峠へと回って日光から帰ってきたことがある。その湿原の緑と空の抜ける青が水面に映ったパステルの絵がスケッチブックにある。初期の拙いスケッチであるが思いで深い一枚である。
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by minoru_mogi | 2007-08-01 16:11 | 随想 | Trackback | Comments(0)