山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2007年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 2月末の数日間シンガポールを訪ねましたが、その折に植物園を見に出掛けてみました。
園は東京の都立神代公園の3・4倍はあろうかという位の広さを有しており、大きな池が二つあり手入れも行き届いたもので、しかも無料です。池の周りには芝生が広がり人々がのんびり散策や、犬の散歩をさせておりました。野鳥の水鳥も人を恐れず池の端に3・4メートルの所でも群れています。大きな方の池にはこぶ白鳥が二羽おり、カワセミが彫刻の上に止まっています。周りの樹はヤシ類のものが多く樹木は20メートルを超えるようなものばかりで大木の多いのには驚きました。長年にわたり保護されたものでしょう。
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        画像の上でダブルクリックすると画像を拡大して見られます
 公園の中の一角にかなり広いラン園があります。ここのみが有料であり5シンガポール・ドルで400円です。園内に入ると各科のランが良く分類されてその環境に応じて樹木に着生したり、岩の上に生えたりしています。ランの他にもアナナス属もあり、ランではオンシジュウム・デンドロビューム・シンビジューム・ファレノプシス・ヴァンダ等総ての属が有るようです。ヴァンダとファレノプシス(胡蝶蘭)の類は天井より霧が降りかかるミスト舎の中に育成されていました。


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左のランの名称 MASAKO KOUTAISHI HIDENKA
このラン園を回るだけでも30~40分を要したほどの広い区画でした。今、東京の後楽園で催されているラン展の比ではありません。
今回この園を見て感じた事は、やはり英国の文化遺産として東インド会社の時代から植物の収集に努め、植物学を大切にする伝統が良く見て取れました。街中や住宅地はどこも街路樹と樹木の緑に包まれたGREEN & CLEEN の国でした。

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by minoru_mogi | 2007-02-27 21:11 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)

2月の丹沢山塊 No 124

 2月15日の快晴の日に、いつものハイキング仲間10数人と共に多摩ニュータウンの西部地区にある都立公園を、探鳥会を兼ねて歩きました。
京王相模線の南大沢駅に集合して、南へと丘をゆっくりと歩き始めると、最初にある大平公園でコゲラ・ムクドリ・ヒヨドリ・ハクセキレイのお出ましです。公園内の大きな木の上には大小3つもの鳥の巣を見掛けました。その先のその辺りでは最も高い丘の上にある広妙寺の裏手に登ると、そこからは奥武蔵・奥多摩の山並みが一望です。武川岳・武甲山・大持山・川乗山・3つドッケ・西谷山・雲取山・鷹巣山・御嶽山・大岳山・御前山・三頭山と続き、その先には大菩薩からの小金沢の尾根が長く続きます。
 町田市と八王子市の境になる、戦車道路に連なる低い尾根の林の中を行くと、シジュウカラ・ヤマガラ・エナガの小さい群れに出会い、さらにツグミ・ジョウビタキ・キジバト等が野生動物のサンクチュアリィの周りで観察出来ました。遊歩道にはもう紅梅・白梅が咲き、山椿の花にはヒヨドリが蜜を吸いにきています。その遊歩道の足元は樹皮のチップが撒かれており、歩くと足元がふわふわして、なんとも言えぬ優しい感触でした。
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  大山       塔が岳  丹沢山   蛭が岳   焼山   大室山 

その道の途中には西の方が見える眺望の良い所が何箇所かあり、そこからは大山から丹沢山塊が見え、更には道志の大室山までが望めます。少し風の強い日でしたが、その分だけ視界が良く山々が美しく見える、早春にふさわしい軽いハイキングを楽しんだ一日でした。
(ここに掲げたスケッチはその折のものではなく、以前別の日に八王子みなみの駅の近くの丘の上より丹沢山塊を描いたものです。一番右には大室山があり、丹沢山塊をつなぎ左端は大山です。この画像はスケッチ画を広げて描いたものを、左右のページを別々にスキャナーで取り込み、接続してその接続部を修正して一枚のものに仕上げたものです。)
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by minoru_mogi | 2007-02-16 20:49 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
 冬の室内を飾る蘭の一種パフィオペディラムが、我家のダイニングテーブルの上にシクラメンと共に置かれている。この蘭は20数年前に我家が今の所に引っ越す事になった時、近所の親しい家の奥さんより贈られたもので、その後数年は上手く花が咲かなかったが、だんだん性質が判り、いまでは株分けしたものが毎年咲くようになった。
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この花はアジア南部の原産であり、日本のアツモリソウやクマガイソウがこの仲間である。
その花の形状を良く観察すると実に変わっており、その原生地の環境に適応して花に来る昆虫や他の草との競争の中で進化と変化をしてきたに違いない。色彩的にも大変地味であり、匂いも全くない。この花にくる昆虫は一体どのような種類であったのであろうか。この大きくて深い唇弁の中には一体昆虫が欲しがる何かがあるのかも知れない。
何だか宇宙観のような花型であり、毎日注視しているのである。
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by minoru_mogi | 2007-02-09 20:48 | 栽培山野草 | Trackback | Comments(0)
 トロイの遺跡を1871年に発掘したドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンは、その発掘以前に藍の貿易商として大成功を収めた商業活動を1863年に停止した。そして、彼が子供の時からの夢であったトロイ国の遺跡を見つけるべく行動を起こすが、その最初は1865年に世界一周の旅へと出た。その旅の途中で日本も訪れその時の日記が下記の書名で出版されている。
即ち「シュリーマン旅行記・清国・日本」(講談社学術文庫1325)である。
 この中に外国人居留地の横浜から馬で出発して原町田村に泊まり八王子へ旅をした記述がある。この八王子へ入る手前に通ったと考えられる道が、今は「絹の道」として一部残っており、その入り口の近くに「絹の道資料館」が往時の絹の仲買商で豪商であった八木下要右衛門邸跡に建てられてある。この敷地内には異人館と言われた遺構も残されている。
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 この道の一番高い所がこの写真の位置であり、眼下の家並みは丘が整地されて今は住宅地となっているが、日記の中の文章はここよりの眺めの印象を書いたものと思われる。 「横浜滞在中あちらこちら遠出をしたが、特に興味深かったのは、絹の生産地である大きな手工芸の町へイギリス人6人と連れ立って行った旅である。」
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  右 絹の道資料館
6月19日(月)雨天
「田園は到るところ爽やかな風景が広がっていた。『高い丘の頂からの眺めはいっそう素晴らしいものだった。十マイルほど彼方に高い山々をいただいた広大な渓谷が望まれる』やがて八王子の茶屋に着いた。人口は2万くらい。我々は町の散策を始めた」とある。
帰国後の1866年にはパリでソルボンヌ大学にて44歳で考古学を学び、68年には博士号を取得し、同年にギリシャ・トルコを旅している。トロイ遺跡の発掘と発見は1871年のことである。
 往時の日本は和親条約(1854)を欧米各国と結んでより10数年で徳川家茂の時代であり、1867年には徳川慶喜の時大政奉還がなされた頃である。その前後には米国領事館の通訳ヒュースケンが1859年に港区で殺され、1862年の生麦事件では英国人4人が薩摩藩の侍に襲われ、1名は死亡、3名は傷を負って逃げた事件も起きている。 外国人にとっては大変危険な時代であった。また、横浜から出掛けられる範囲は条約により横浜から十里以内とされ、その北の40キロが八王子であった。
このことからしてもシュリーマンがいかに好奇心と探究心に富んでいる人であったかが窺い知れる。歴史に好奇心のある方にはこの書の一読をお薦めしたいものである。
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by minoru_mogi | 2007-02-02 11:10 | 随想 | Trackback | Comments(0)