山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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<   2005年 06月 ( 9 )   > この月の画像一覧

 毎年6月末にもなると、今年はどこの夏山に登ろうかと計画を頭にめぐらし始める。
山登りに興味を持つことになったのは、高校時代に生物部で昭和30年(1955)に尾瀬の至仏山に登り、姫シャジン雲居ナデシコを見た時の感動から始まる。その頃の尾瀬はまだ今ほど有名ではなく、尾瀬ヶ原の湿原も木道はあまり無く、ブスブスと足が沈み込む歩きにくいものであった。
北アルプスなどで様々な高山植物を見てきたが、この山でしか見られないという花も幾つかある。その中の2つが鳳凰シャジンと高嶺ビランジで、これらは鳳凰三山でしか見ることが出来ないものである。
定年になり、時間的余裕が出来て一人で8月の末にかけて出掛けた。足には自信が無くなっており、初日は夜叉神の小屋へと早々と到着して宿泊を申し込んだ。この頃ともなると登山者も少なくなり、大抵は単独行の登山者が多い。山小屋の管理人の家族が全員来ており、小学生の男の子の2人が食事を出すのを手伝っている。明後日から小学校が始まるので、明日山を下りるのだと話してくれる。
食後、暮れなずむ間の岳の稜線を外で見ていたが、暗くなったので部屋へと引き返した。子供達が布団を敷いてくれている。
暫くすると、子供の一人が「これから花火をやるよー」と部屋に言いに来た。中高年の登山者ばかりであったが7・8人が皆小屋の外の広場へと出てきた。子供達が市販の打ち上げ花火を次々と、しじまの広がる闇の中へ打ち上げる。しかし直ぐに終わり子供と話しながら部屋へと戻った。
 翌日は朝焼けの間の岳を見て、早々にバラバラに出発した。
今回の登山の目的は2種類の花の自然の生育状況を見たくて来たのである。南御室小屋でコンコンと湧き出る冷たい岩清水に喉をうるおし、さらに登ること1時間くらいで、花崗岩ばかりの樹木の無い砂払岳へ出た。d0059661_2251667.jpg
その岩屑の中に初めて見るタカネビランジがあちこちに散見される。傾斜が急で足の置き場が無いような場所ではあったが、スケッチ帳を出してスケッチを始めた。今夜泊まる小屋は近いのでのんびりと山の景色を堪能する。
地蔵岳の小屋は水も無く大変混雑しており、小屋の外でスケッチの色付けに時間を割いた。
翌朝は快晴の中を薬師岳から観音岳へと向かう。d0059661_2264594.jpg d0059661_2251667.jpg
その山道に鳳凰シャジンがあるはずであるが、乱獲された為か周りに注意を集中して見ていても、たったの4株を見つけただけで終わってしまった。その生育場は岩の狭い割れ目から15-20センチくらい茎を下に垂らしてキキョウ科の釣鐘を沢山吊り下げ、その花色は深い紫で大変美しいものであった。
下りは鳳凰の小屋から御座石へ向かったが、静岡から来た登山者と一緒になり、御座石鉱泉に下りて温泉で汗を流し、2人で大瓶のビールを数本飲んだ。彼はそこに泊るとのことで、一人でタクシーで穴山駅へ出て、念願の花たちに会えた満足感を噛み締めながら車窓の鳳凰三山を振返つた。
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by minoru_mogi | 2005-06-26 22:13 | 山の花 | Trackback | Comments(0)
その頃はまだ南アルプススーパー林道は夜叉神トンネルの工事中で、南アルプスの登山基地の広河原へは、身延駅よりバスで奈良田まで行き、更に早川沿いに歩いて入るよりなく、東京よりは1日掛かりでやっと着ける長いアプローチであった。
北岳からの白峰3山縦走の予定で出掛けたが、出発日の天気予報では太平洋の南の方に小さな台風が発生したと報じていた。身延からのバスはシナノナデシコの咲く早川沿いに早川町、西山温泉を経て2時間近く掛けて奈良田の終点に着いた。今日の泊まりは1軒で温泉のある白根荘に決めてある。
 宿に着いて1時間もしない内に猛烈に強い台風性の雨が急に谷間に降り出した。川原に張られた若者のテントに増水がアッという間に迫り、撤収がやっと間に合う状況である。川幅は一気に広がり、上流から直径50センチ以上の材木すら流れてくる。対岸の山腹からザーと音を立てて落石が続く。大雨の中を登山者が農鳥岳より下ってきた。その中の年配者の一人と同室となった。 夕食の時にラジオを聴くと、小型の台風が太平洋の南から真北に進行して、御前崎付近に上陸の見込みと報じている。夜半は大雨が続き、翌日も朝より風と雨が続く。止む無く一日停滞を決める。
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 同室の年配の登山者と話すと、今回は一人で北岳・間ノ岳(夜叉神峠よりの朝焼けの間ノ岳)・農鳥岳を縦走して奈良田に下りてきたと言う。年齢は70才、広島から来たとのこと。昨年、高校生の孫と一緒に仙丈岳に登り、北岳の姿を見てどうしても登りたいので来たという。その為に広島では1000m位の山に毎月登り足を鍛えてきたとも話してくれた。今年は孫が大学受験で一緒に来ることが出来なかったとの説明であつた。
 3日目の朝は台風一過の晴れとなった。登山は諦めて帰路に着こうとするが、身延よりのバスが途中の道路が谷に崩落してバスは全く動いていないとの説明が、朝の食事の時に宿の主人より伝えられた。止む無く、歩いて下ろうと登山靴を履いていると、宿の主人が同室した年配の客と一緒に行ってくださいと老人を心配して私に声をかけてきた。もちろん異論があるはずもない。
ほんの20分も歩いた所で道路が全面川に落ちてしまい、山側に樹を頼りに登り、その先の道路に出る始末である。そんな事を数回繰り返していると、4・5人のゴム長を履いて道路の状況を調べている作業服の男達のいる場所に出た。すると、その中の180センチもの身長と頑丈そうな40才くらいの男が「お爺さん、今日はバスが来ないから、暫くしたら車でこの男が身延に下りるからそれに乗りな」と言う。すこし待つと、黒塗りのセンチュリーをその大男が長靴で運転して「乗りな」と声を掛ける。もう一人の男が運転席の隣に座った。「この男は建設省の人で、身延まで行くから乗せて貰いな」とも言ってくれる。
途中、早川町に来ると自分の土木建設会社であろうか、会社の前で降りて、「この役人の車がここから出るから乗れ」と指図する。老人と2人で近くのタバコ屋でカートンを買い、手渡そうとすると、その役人に渡して自分は受け取らない。
「困ったときはお互い様だ」と言い、「お爺さん気をつけて行けよ」とも付け加えた。役人の車は間もなく3時頃には身延駅へと着き、礼を言って下りた。
「私はどうしても今日中に広島へ帰らなければならないのです」と言う。「明日は午前中新幹線が工事で不通なので、こんなに早く下りて来られて本当に良かった」と明るい顔をした。
この老人と一緒のお蔭で身延にこれほど早く戻れた事の幸運と、あの大男の荒々しいが優しい言葉、更に老人の山への情熱に感心したものである。
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by minoru_mogi | 2005-06-21 23:52 | 随想 | Trackback | Comments(0)
久しぶりに百貨店に自分の買い物に電車で出掛けた。昼ごろとて、ゆっくり座って行けると思っていたが、来た電車は満席で立っている人もチラホラ。
仕方なく隅のほうでつり革に手を掛けて、何気なく前に座っている人を見ると女子高校生と目が合った。やや暫くしてその女性が「どうぞ」と席を立って譲ってくれる。
「ありがとう」と言って座ったものの、初めて席を譲られて嬉しいけど尻が落ち着かない。
シルバーシートの前に立った訳でもなく、キャップを被ってスポーティーに装ってはいたが、髪の白さからか、顔の筋肉のたるみ具合からか、それなりに老人と思われたかと推測した。
自分では70才くらいになれば老人と思われても仕方がないだろうと思っていただけに、少し淋しい気もする。
間もなくして、隣の人が降りたので「どうぞ」と言い、彼女がまた隣に座った。一呼吸あって言った。d0059661_9493380.jpg「今日は私にとって記念日になりましたよ、初めて席を譲ってもらった日ですからね」と話すと、「いいえ、お年寄りと思って言った訳ではないのです」と釈明する。
これで私は少し気が楽になった。更に話してみると、父親の仕事でロンドンに居たという。多分、そこで身に着けた習慣で席を譲ったのであろう。
「躾」とは漢字でなく日本で作られた造字であるという。身についた美しさとは良く出来た文字である。躾の語源は「仕付く」である。
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by minoru_mogi | 2005-06-15 09:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)
5月から6月にかけて、標高500mから1500mくらいの山道を歩いていると、遠目には白い花が咲いているように見えるつる状で5mくらいの木がある。 近づいてみると、それは花が咲いているのではなく、葉が白く変わっているのに気付く。
これは、猫属の心をとろけさせるマタタビである。
この白い斑は葉面の全部に及ぶ時も、葉の一部が白くなる時もある。そして、7月頃から、白い色がピンクに変わってゆく。しかも、秋口になると、今度はピンクの上に緑が乗ってきて、段々と普通の葉と見分けがつかなくなってしまう、なかなかのマジシャンである。
秋の終わり頃、この実を採り、塩付けにしようとして探すが、春のように色が目立たなくなり、知っている筈の場所がなかなか見つからない事がしばしばである。
山歩きの楽しみは山の中の各所に散りばめられている故に、また行きたくなるのであろう。d0059661_21514755.jpg
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by minoru_mogi | 2005-06-13 21:55 | 樹木とその花 | Trackback | Comments(0)
タイトルの「イキイキオンクル」は『活き活きおじさん』の意味である
オンクルはフランス語の「Oncle」であり、かなり昔、フランス映画「Mon Oncle 」 〔ぼくのおじさん〕の、あの漂々とした主人公を憧憬して付けたものである。d0059661_22222841.jpg

仕事を離れて7年、仕事で時間が無かった折に、定年になったら必ず実行しようと考えていた事を毎日追いかけている。この写真のおじさんはシンガポールか香港の商人のイメージがするなーと自分では思っている。そう言えばこの写真はバンコックの中華レストランでで撮られたものである。
第一は登山である。今は年齢のこともあり3000m峰は控えて、1000m台の低山を専らとしている。第二は高山植物の観察と自宅の庭での育成である。第三は海外旅行を含む旅行というところ。第四はスケッチ画を描くことだが、山で描こうとしても疲れて描けない事が度々である。
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第五はパソコンで画像を加工することである。お蔭でパソコンは3年毎の買い替えが必要となる。その他の雑学にも好奇心が動き、言語学や地誌、ギリシャ神話を読んで星野を見ることなどである。
家族は奥さんと娘に、愛犬のアイザー(メス)であり、毎日犬の夕方の散歩1時間半が私の仕事でもある。


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このブログを開設したが、時折タイトルとは離れた話題も入れて、炊き込みご飯のような味の多様なものにしたいと考えている。請うご期待としたい。
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by minoru_mogi | 2005-06-09 22:05 | オンクル自己紹介 | Trackback | Comments(0)
6月7日、入梅直前のタイミングをみて友人2人と武甲山へと出掛けた。
八王子の我が家は丘陵の中に有る事で、標高118mに位置している。
近くの丘の最高高度は180m位あり、奥多摩・奥武蔵・冬には赤城・男体・筑波も見え、武甲ももちろん見えている。
秩父の周りの丸山・二子山・破風山などから武甲山を何度も見たが、今まで登って見たいと思った事は一度も無かった。その山体は無残に階段状に山頂まで削り取られ、とても痛々しい。しかし、我が家の近くから見る山の遠望ではその形はきりりとしたシルエットで見える。
周りの山々もほぼ全部登り、この山だけ未踏山となってしまつた。そこで、半分は義務的に気も進まない中で出掛けてはみたというところである。
横瀬駅からはタクシーを利用して山頂の武甲山神社登山道の8丁目(600M)まで行き、杉林の中を登りはじめた。32丁目の樹齢800年と推定されている大杉を経て、樹下のフタリシズカとクワガタソウ(写真)、ニリンソウしかない花を見ながら山頂へと向かった。
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山頂は手前の神社の裏を山頂への道を行くとフェンスがあり、直ぐ先3M位からは垂直に山が削られて石灰石の採掘現場となっている。(二子山よりの武甲山
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100m位下では大型のブルトーザーやら、ホイールローダー、ダンプカーが動きまわり、そのずーと先に秩父の市街地が霞む。
山頂は10人近くの人がおり、昼食をとり、のんびりと体を休めていると、神社の改修の仕事をしている人が、12:30に発破があると言う。そしてここまで4輪駆動車で山頂の直ぐそばまで採掘場から上がって来たのだと話す。それでは、その発破の音でも聞いていこうかと、12時半近くまで待つが5分前になっても警告のサイレンも鳴らない。多分、今日は発破は無いのだろうと腰を上げ歩き出すと、その時ズシンというあまり大きくない音の響きが聞こえた。
下りは一気に生川(うぶ川)に降り、3時過ぎの電車で5時半には帰宅できた。
でも、今回はいつもの充実感は得られない登山であつた。
  
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by minoru_mogi | 2005-06-08 12:14 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)
数年前の6月初旬に、友人の誘いで家内と二人でオレゴン州のポートランド市を訪れました。
目的は全米的にも有名な、その市のバラ祭りとバラ園を見るためです。
其の年は6月12日(日)が祭りのハイライトのパレードの日でした。
バラ園は丘陵に有り、広大な敷地に素晴らしいバラ庭園が広がり、日本庭園も併設されており、こちらもかなりの規模で滝までありました。
 当日は市内中心部の繁華街には何万人という市民と旅行者が歩道に集まっています。市民たちは歩道の車道側に椅子を整然と並べてフロートの来るのを待ち受けています。
コーストガードの音楽隊に続いて、市のバラで飾ったフロートには写真にあるバラの女王たち(選ばれた高校生)が乗り,手を振っています。d0059661_1691055.jpg
次には州のフロート、森林警備隊の騎馬隊の行進、地区の大学のチアガールの軽快な踊りの一群、いくつもの高校のブラスバンド、市の姉妹都市、札幌の太鼓のフロート、台湾高雄市の高い竹馬の一団、ヨーロッパはアントワープ市のフロート、メキシコからのソンブレロの一団、その間に市長のオープンカー、ボランティア活動の市の表彰者もオープンカーの上です。保険会社は童話をテーマのフロート、その他にも、延々50台くらいが2時間近く続きます。 もちろん、沿道の観衆は拍手と掛け声でその素晴らしさを賞賛します。
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 その中で私が最も感銘したのは若い女性の20人くらいの一群が犬を連れて行進して来ました。直ぐその後を大きなハーネスを着けた犬の像を載せたフロートが来ました。これは盲導犬育成の団体(会社?)のものです。高校のバンドの中には車椅子にのり、後ろから押してもらいながら皆と一緒にホルンを吹いている若者もいました。
盲導犬Seeing Eye Dog,またはGuide Dog とありました。盲導犬のフロートを見てください。翌日、たまたまノードストローム百貨店で買い物をしていた時、年配の女性が車椅子で犬に引かれ買い物をしています。この犬を何と英語で言いますかと、尋ねるとAssistant dog ですとの返事。そして、見て御覧なさいと言い、車椅子を走らせながら、車のキーを落とすと、その音を聞きつけ犬は直ぐに止まり、それをくわえて拾い、女性に渡します。このことが絶対に必要なことなのですとの言葉は車社会のアメリカでは如何に重要か理解しました。
弱者に対する配慮と平等の社会を見る貴重な機会でした。
日本の盲導犬育成団体アイメイト協会のお手伝いと、介助犬になりそびれた我が家のアイザーがその思いを引き継いでいます。
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by minoru_mogi | 2005-06-05 16:25 | 随想 | Trackback | Comments(0)
毎年6月の初旬になると、山のシャクナゲとレンゲツツジの花に会いたくなります。
とりわけ、今年はツツジ科の植物の花の当たり年です。でも、残念なことに予定が重なり、十文字峠にアズマシャクナゲを見に行きたいと考えながら、実行に移せません。
d0059661_1120262.jpgシャクナゲに魅せられて各地の山を見て歩きました。天城の万三郎岳では10センチを超える高さ4メートルにもなる巨木にもお目にかかりました。草津白根、瑞牆山、蓼科山、八ヶ岳、蔵王また、奈良の室生寺と各種の花に出合いました。
その花色のやわらかなピンクは咲き始めは濃く、だんだんと色が薄くなります。屋久島シャクナゲは濃い赤から白に変化して行きます。
我が家の庭で栽培しているものは4月の下旬に咲きました。暑い日が有ったので花の見頃が長くは続きませんでした。吾妻シヤクナゲと庭の細葉シャクナゲ・筑紫シャクナゲ・大和シャクナゲの咲き誇る画像を見てください。山では6月10日頃がピークであろうと、これまでの出会いを思い出しています。
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by minoru_mogi | 2005-06-03 11:27 | 樹木とその花 | Trackback(1) | Comments(0)
やっと仕事の合間に休みが取れて、3月の末に霧が峰の奥の沢沿いのヒュッテジャヴェルに、ラングラウフスキーにと独りで出掛けたのは今から20年も前の事であつたろうか。
雪の多かった年で、まだ70センチ近い積雪があった。
山小屋の宿泊者はヒュッテのご家族のご主人と奥さん、ご子息のほかは学齢前の子供2人連れの夫妻、外国人と一緒の学者風の2人、若いカップル、に私であった。
山小屋らしくない見栄えの良い夕食を、クラシック音楽のバックグランドミュージックで楽しんでいると、若いカップルが「ビールがありませんか」と言う、宿の奥さんが「私どもは山小屋なのでお酒は出していません」との返事をした。実は、その時に外国人との2人がワインを空けていたのである。「お客様がお持ちになったものまで禁止には出来ないので、その場合は認めています」と言う。なかなか見識のある山小屋だなーと私は感心していた。
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食後、独りの私を気遣ってか、ストーブの周りでご主人が話かけてきた。部屋の壁には油彩画が1枚と20枚くらいの水彩の風景画がシンプルな額で飾ってあった。また、壁際には山小屋にはそぐわない立派なレコードプレーヤーボックスがあり、尾崎喜八のレコードケースが飾ってある。
一通り絵を見て、「この中で私が一番惹かれるのは、山ラッキョウの絵ですね」と話しかけると、「私もそう思っています」と言う。それは20センチ×15センチ位の最も小さい絵であつた。
「私は絵描きになりたかったのです」、とご主人。「最近東京の出版社がこの絵のいくつかを貸してもらいたいとの事で、何か雑誌に載るそうです」と言う。
「何と言う雑誌ですか」と尋ねると「たしかルルブとか言ったな」との独り言のような返事。
 山から帰り、暫くして書店で本を見つけると別冊るるぶ愛蔵版信濃路の旅であり
トップのカラーグラビアの4ページが、この高橋達郎氏の絵と文であつた。
ヒュッテジャヴェルのジャヴェルは、後になりフランス人の登山家で山岳文学の著者
エミール・ジャヴェル≪一登山家の思い出≫によるものと知った。
挿入の絵は高橋達郎氏の本に掲載された〔強清水スキー場付近から中央アルプス〕
をスキャナーで取り込んだものである。ヒュッテはインターネットで検索できます。
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by minoru_mogi | 2005-06-02 21:46 | 随想 | Trackback | Comments(0)